雑賀光夫の徒然草

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終戦記念日宣伝・2011年8月15日


終戦記念日宣伝   2011年8月15日


日本共産党県議会議員の雑賀光夫です。東日本大震災・大津波から、5ヶ月になります。被災地での苦難がつづいています。
さらに原発事故、放射能汚染は、どこまで広がるのか、不安がひろがっています。一日も早く収束するために全力を挙げる。放射能汚染などのデーターは、全面公開することです。
今日は、終戦記念日です。無謀な侵略戦争をして、アジアの人々に大きな犠牲をあたえた。日本国民も戦争に駆り出され、海南市でも爆撃がありました。そしてヒロシマ・ナガサキの悲劇があったわけです。
戦後日本は、二つのメッセージを世界に発してきました。
一つは、侵略戦争の反省に立って、日本は二度と戦争をしない。「憲法9条」の決意であります。
もう一つは、ヒロシマ・ナガサキをくりかえすな。ノーモアヒロシマズというメッセージでございます。
ヒロシマ・ナガサキ、そして第五福竜丸と原爆・死の灰の被害をうけてきた日本で、世界最悪の原発事故がおこったということを、私たちはどう考えたらいいのでしょうか。
まず、歴代自民党政府は、「日本の原子力発電は絶対に安全だ」という「安全神話」をふりまいてまいりました。そして、和歌山県にも原子力発電所をつくろうとしてきました。古座原発、日置川原発、日高原発。
しかし、漁師のみなさんは、どんなにお金を積まれても故郷を売るまい、海を売るまいと原発を拒否してきました。日本共産党は、原発は技術的に未完成であること、廃棄物処理技術が確立されていない、トイレなきマンションであると批判してきました。
それでも、このたびのフクシマ原発事故がおきてみると、私自身は自分の認識が甘かったと思わないではいられません。
原子力発電所は、事故が起こったら取り返しがつかない。大量の放射能がでてきています。フクシマではいまも放射能がもれだし、汚染がひろがっています。汚染牛肉が全国にひろがっています。
この放射能廃棄物というもの、商業用原発ひとつから、1日に、ヒロシマ型原発、3発分の放射能廃棄物が生み出されるのだそうです。1年間では、1000発分になる。
ヒロシマ・ナガサキでは多くの方がなくなり、直後には、強い放射能をあびましたが、今は立派に復興しています。しかし、原発事故ではそうはなりません。1年間に1000発分の放射性廃棄物がうみだされている。
私は、そのことを知ったのは、フクシマ原発事故がおこったあとのことでした。そして、大量の放射性廃棄物の処理に莫大な費用がかかる。原子力発電の費用は安くないということを、一般新聞でも報道するようになりました。
「原子力発電は安全だ」という神話も「安上がりだ」という神話も完全にくずれたのです。
日本共産党は、「期限を切って原子力発電から撤退」ということを呼びかけています。
原子力発電の開発につかわれていた予算、電源立地交付金というものを、自然エネルギーの開発につかえば、太陽光発電、小水力発電、バイオマスといった自然エネルギーの開発にまわせば、地域にねむっているエネルギーを引き出すことができます。
私は、昨日、和歌山大学システム工学部にうかがって、自然エネルギー開発のお話を聞いてまいりました。谷川に水車をおいて、電力発電をすれば、遠方の発電所から長い距離の電線でロスを生みながら電気を引いてくるよりも効率がいい。しかも、地域の電気屋さんや土建やさんに仕事が回るというお話です。
もちろん、大きな火力発電所や水力発電所も必要ですが、地域では、エネルギーの「地産地消」で、地域を活性化するというお話です。
これまで、東京・大阪と言った大都市中心、そこで大企業が経済活動をするのに都合がいいような経済のしくみ、大企業の利潤追求優先の社会でした。
それが、原子力発電の暴走となって、今度の事故でそれが破綻したのではないでしょうか。
このたびの事故では、日本の食糧が大変心配です。いまでも低い食料自給率。牛肉や野菜の放射能が問題になっていますが、お米も心配です。
放射能汚染の心配ない紀美野町のようなところで、農業の振興を図らなくてはならない。そのためには、農業で食べていけるようにしなくてはなりません。
そんなとき、日本の農業をつぶしてしまうTPP協定。アメリカやオーストラリアなど太平洋を囲む国々で、農産物を含む関税撤廃などとんでもないことです。
それは「大企業に利益追求第一」「アメリカいいなり」の政治から抜け出すことをもとめているのではないでしょうか。

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# by saikamituo | 2011-08-17 14:17

海南市PTA総会でのあいさつ 5月13日

みなさんこんばんは。県会議員の雑賀光夫でございます。尾崎議員・藤山議員も出席しておられますが、順番ですので、私から、ご挨拶を申し上げます。

 本日は、PTA総会ご盛会、おめでとうごあいます。
私はよく、「子どもの姿をまぶたにうかべて話し合えば、父母と教職員は必ず一致できる」と申し上げてきました。しかし、現実には、むずかしいこともある。モンスターピアレンツなどという言葉もある。そうすると、私にはどう考えていいのか分からなくなってしまいます。
そこで、教育の問題は、複雑ですから、分からないことがあって当たり前と開き直ることにしています。

 考えてみますと、「私は自分の子どものことはよくわかっています」という自信を持って、学校にご意見を言ってこられるお父さんがいます。しかも、「自分の子どもが悪い点も、先生の立場もよく理解しています」とまでおっしゃる。
 それに対する先生は、「私は子どものために、こんなに、教育の取り組みをしています」と一生懸命、お話になる。ところがかみ合わない。こんな場面があるのではないでしょうか。

 子どもと教育のことが、親でも先生でも完璧にわかることなんてないと思います。私は、県議会の本会議で、未熟な若い教員であったころの失敗の話をしたことがあります。そして、県の教育長に、「あなたも若いころいろいろ失敗もしただろう。それを語ってください」という質問をしました。この質問に答えてもらえる教育長と思ったからの質問でした。ベテランになっても失敗がある。それほど、教育はむずかしい。

 教育長さんも…今日はおられませんが…、校長先生も、若いころの失敗の経験を、若い先生に語ったらいいのではないかと思います。そして、お父さん、お母さんも、「子どものころ、こんな失敗をしたんだよ」という話を子どもさんにしてあげたらいいのではないでしょうか

「かしこい親ほど子どもをダメにする」という本を読んだことがあります。大人が「かしこい」ふりをすると、子どもは息が詰まります。
先生も親も自分が不完全なものだと意識して、教育には分からないことがいっぱいあることを踏まえて、発達途上にあって、それこそ不完全な子どもの姿をまぶたに浮かべて話し合うなら、かならず一致点はえられるのかなあと思うようになりました。
 子どもたちは、ストレス、イライラをためこんでいると思います。ゆとりをもって、子どもの声に耳を傾けてあげてください。

 そして、県会議員は、教育条件整備のために、力を合わせていきたいと思っています。

 最後に、ひとことだけ。最近流行の「トイレの神様」という歌が、私は大好きです。涙がでてきます。どうしたら、あのおばあちゃんのような躾をできるようになるのだろうと考えますが、答えは見つかりません。一緒に考えていただけたらと思います。
 とりとめもないことを申し上げましたが、PTAの発展をお祈りします。
ありがとうございました。


この日、教育委員会からは次のプリントを配って、教育について大事なことを説明されていました。font>
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# by saikamituo | 2011-05-13 22:00

紹介「現代の哲学と政治」

紹介「現代の哲学と政治」
(岩波新書・ジョンサマヴィル著・芝田進午編訳)
志位委員長のアメリカ訪問にかかわって
(一)
 参議院選挙を前にして、街頭宣伝にでます。
…いま、最大の政治問題は、沖縄基地の問題です。
鳩山首相は「国外に移す、最低でも県外に、」とさかんに言っていましたが、いま鳩山首相が言っているのは、当面は今の基地をそのままにして、名護市の沖に杭を打ち込んで、新しい基地をつくり、一部を鹿児島県の徳之島に移す計画です。今、沖縄県では、自民党から共産党まで、すべての政党が、民主党の公約違反に怒り、先月25日には、9万人の県民大集会が開かれ(中略)
鳩山首相のあやまりはどこにあったのか。オバマ大統領と会って、「トラストミー」(を信じて下さい)などといって、アメリカも気に入るようなことを考える。沖縄県民の声を受けて、全面返還の交渉をしようとしないことです。d0067266_9532496.jpg
このたび、志位委員長など共産党代表団がアメリカを訪問し、「日米友好のためにも、普天間基地は全面返還しかないことをアメリカ政府に伝えました。そればかりではなく、アメリカ建国の精神とリンカーン大統領とマルクスの交流に触れて、アメリカ民主主義に訴えかけたのでした。…
このたびの志位委員長のアメリカ訪問、そこでアメリカ国民に訴えた中身は、大変深い思想的意味をもつものだと思います。
            (二)
私は、いま、若い人たちに読んでもらいたい一冊の新書本を本棚からとりだしました。標題にかかげた本です。1968年に出されたもので、私の蔵書には、「1971年3月30日―31日」と書き込んでいます。学校現場でいて組合青年部や民主青年同盟の活動をしていた時代です。65歳になったいまなら、新書本でも読みとおすのに一週間ぐらいかかりますが、「40年前には、二日で読んだんなあ」という感慨もわきます。読書は、若いころにこそすべきものです。インクで書き込みがあります。「マルクス主義とジェファソン主義は、共通の基礎に立ちうる!」
ジェファソンというのは、アメリカの第三代目の大統領ですが、アメリカ独立宣言起草に中心的役割を果たしたのです。独立戦争で大きな役割を果たした軍人のジョージ・ワシントンが第一代大統領になるのですが、アメリカ独立宣言の思想をジェファソン主義というのだそうです。この本ではじめて知って、本に書きこんだのでしょう。

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# by saikamituo | 2010-12-14 21:20

魯迅と宮沢賢治

魯迅と宮沢賢治
 サラリーマン・宮沢賢治がテレビで紹介された。これまでにない新しい視角で、それなりに面白かった。童話を何度も書き直したということも紹介されていた。そこで久しぶりに宮沢賢治詩集をとりだした。
 宮沢賢治の詩というのは、わかりにくいのである。「雨ニモマケズ」というのは、分かりやすいから、宮沢賢治という人はそんな詩を書いた人だと思ってはいけない。岩波文庫の「宮沢賢治詩集」は、谷川徹三編集のものだが、そのかなりの部分を占める「春と修羅」などという詩は、僕には全く理解できない。「雨ニモマケズ」というのは、生前に発表されたものでなく、サラリーマン賢治の鞄の中の手帳に書きつけられていたもの。それが一番有名な詩になったわけである。
 一時、「もし私が先生になったら」というのがはやったことがある。 『もし私が先生になったら』 もし 私が先生になったら 自分が 真実から目をそむけていて どうして子供たちにあしたのことを語れるか・・・。 もし私が先生になったら 自分が 未来に目をそむけていて どうして子供たちにあしたのことを語れるか・・・。 (以下・略)
   作:作者不明(宮沢賢治とされているが違う)

 宮沢賢治だったら、こんな風に語っただろうということが、誰かが詩の形式で語ったもので、大変よくできている。一時、「宮沢賢治・作」ということで流れていたが、「賢治にそんな作品はない」ということになった。その論議の時、「本当の宮沢賢治なら、こんな平明な表現はしない」という専門家の意見があったが、僕もそうだろうと思う。ただ、この偽作は、それ独自の価値を持って、先生の在り方を語っている。宮沢賢治も「勝手に名前を使ってけしからん」とは、言わないのではないだろうか。
そんなころ、谷川徹三編集の賢治詩集を手にした。教育にかかわるもので「生徒諸君によせる」という詩がある。生徒諸君の中には多くの天才がいるとして、未来のダーウィンよ、コペルニクスよ、マルクスよと呼びかける壮大なスケールの詩である。「雨ニモマケズ」の素朴・平明さは、例外的である。

d0067266_1054859.jpg 宮沢賢治の晦渋な詩と平明な童話や「雨ニモマケズ」について考えているとき、もう一人の文筆家の名前が頭をかすめた。魯迅である。最近、「魯迅評論集」(岩波文庫・竹内好)をベッドに持ち込で読んでみた。この魯迅が、分かりにくいのである。「私は人をだましたい」などという文がある。魯迅の「故郷」というのが好きだった。「故郷に帰ってきて、幼馴染に昔のように声をかける。ところが幼馴染は、『旦那さま』といって、その息子にまで頭を下げさせる。そこに作者は矛盾を感じる」という、平明な内容で、「はぐるま教材」にはいっていた。
 平明さと晦渋さをあわせもつ賢治と魯迅。そこに彼らが生きた時代の反映があるのではないかと思うのである。

 ベッドでの読書の最たる友は、夏目漱石、とくに「吾輩は猫である」である。
先日、中学校のころから読んだ文庫本がぼろぼろになったので、岩波文庫の一冊を買って、今も枕元においている。d0067266_1062826.jpg
 魯迅と漱石というと「私の読書法」(岩波新書1960年)を思い出す「「図書」に掲載されたものをまとめたものだ。高校生の時、海南高校図書室で手にした。その中で大内兵衛さんは「このごろの読書」として、「寝床で漱石と魯迅を読んでいる。魯迅はえらすぎる。」という趣旨のことを書いておられたのを記憶していた。
 改めてひもといてみると、「夜中に目が覚める。2・3時間読書することもあるが、たいていは10分間で寝てしまう」とある。「10分間で寝てしまう」だけは一緒だとうれしくなる。50年前の大内先生にちかづいたようでうれしくなる。
 
 作品に大きな違いをもつのに違和感を持ったもう一人の作家が太宰治である。「人間失格」と「走れメロス」はどうして同じ作家の作品となれたのだろうか。
ここに、その時代を生きた作者の屈折があるのではないかと思うのである・

2010年5月23日

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# by saikamituo | 2010-12-14 21:18

ガンビのはなし・没にした原稿

ガンビのはなし
  ・没にした原稿

 
 「議会と自治体」編集部から「和歌山の教育についてのとりくみをまとめてください」といわれて原稿を書き始めました。最初の草稿の書き出しが、以下の分です。
しかし、これは教育・労働運動家としての私の個人的問題意識がですぎると思って、没にしました。しかし、捨てがたく、ここに掲載します。

1 子どもをまるごとつかむ

 和歌山県の民主教育をささえてきた合言葉に「子どもをまるごとつかむ」という言葉があります。子どもの学力・体力・情操・徳性の発達だけでなく、子どもをとりまく家庭や生活をふくめてとらえなくてはならないという意味でしょう。
 和歌山県では戦後の生活困難をかかえる子どもたちと向き合って教育実践をすすめてきた中に、こんなエピソードがあります。
 和歌山県南部の西牟婁地方での話です。子どもたちは家計をたすけるために、山に雁皮をとりにいきます。子どもたちにとって重労働です。雁皮というのは、コウゾ・ミツマタとともに和紙の原料になる植物です。「雁皮は、お札になるそうや。けど、雁皮ひきにいく兄ちゃんも僕もお金がない」と生活綴り方に書きます。「働くものがどうして貧しいのか」と告発した綴り方です。
 この教育実践が、教育研究集会で報告されました。「こういう実態をどう考えてどう取り組んだらいいのでしょうか」という報告者の質問に、助言者席にいた勝田守一教授(戦後民主教育の大御所というべき東京大学教授)が「私にも分かりません」とお答えになったという話です。
 私が、和歌山の同和教育などの民主教育の歴史を考えるとき、いつも思い出すこのエピソードは、民主的な同和教育の発展に大きな役割を果たされた西滋勝和歌山大学教授(故人)からお聞きしたものだと思っています。
 若かった西先生は、勝田先生という大御所が、「私にも分かりません」とお答えになった率直さに感動されて、私たちに語られたのでしょう。そして、どうしていいか分からなくても、子どもの生活の事実をつかむことが、その後の民主的な教育実践の出発点になったんだということを私たちに教えるためにこのエピソードを語られたのだろうと思います。
 労働組合運動の理論の発展に貢献された堀江正規先生は、ことあるごとの、エンゲルス「イギリスにおける労働者階級の状態」の冒頭にいわれている「労働者階級の状態は、すべての社会運動の出発点である」という言葉を引用されました。
 子どもの状態・労働者階級の状態をリアルにつかむことが、昔も今も、教育でも労働運動でも出発点だと思うのです。



あとがき
 このエピソードが、西先生がどこで語ったのか。著作を探したがわからない。
 ここまで覚えているのだから、誰かに聞いたものに違いない。
 池田孝雄先生にお聞きしたら、「その話、よく知らないが、浜本收(元県会議員・白浜町長)の実践ではないか」と言われた。いまでは、確かめようもない。
2012年2月12日

追記
民研の教育運動史研究班に入れてもらっている。
 和歌山の教育遺産を掘り起こして「解題」を書く仕事をしている。
 そこで「ガンビの話」をして「出典がわからないか」と言ったら、今日、楠本一郎さんからメールがとどいていた。
 西滋勝先生体感記念「教育学研究収録」1989年 所収
 「責善教育の歴史と教訓」初出1985年 県・高教組責善集会講演
であることが分かった     1917年1月24日 

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# by saikamituo | 2010-07-29 02:01

朝青龍問題に思う

朝青龍問題に思う
(一)
 僕はスポーツの問題は何も分からない。だから僕が考えることは見当違いかもしれない。しかし、朝青龍の問題でマスコミで言われていることには違和感を感じて、仕方がない。ただ、朝青龍の最後の暴力問題は、文句なしに許されない行動である。しかし、それまでのさまざまな問題、「モンゴルでのサッカー」「毎日稽古しない」「ガッツポーズ」などの問題は、文化の違いではないかと思う。批判する側が狭い日本の「相撲文化」にとらわれていて、グローバルの時代についていけない「漫画」のような気がしてならない。
 やくみつるさんも、自分を漫画の対象と考えてもいいのではないか。
                (二)
 今日のテレビで冬季オリンピックについての報道をしている。スキーの「ノルディック複合」というのだろうか、ジャンプとクロスカントリーを組み合わせた競技で、日本選手はゴール直前で勝利が確実になって「日の丸」をもってゴールした。しかし、スポーツ競技は、「より高く・より早く」をめざす以上、競技に勝てるからといって国威高揚などせずに、競技に集中すべきだという意見があってもいいのではないか。そんな批判は聞いたことがない。
 野球では普通のことであるガッツポーズが、相撲ではタブーなのだろうか。柔道のヘーシングが勝った時に、沸き立つ自分の応援団を抑えたということもいわれるが、そんなことまで探し出して、ガッツポーズを批判することに、違和感、日本的狭さを感じるのはおかしいのだろうか。
                (三)
 「仮病で巡業を休んで、モンゴールでサッカーをしていた」と批判される。僕は、朝青龍のサッカー映像に感嘆した。「なんとすばらしい運動能力だろう」と。そこには、奇形化せずに全面発達したスポーツマンの姿があった。
 「相撲取り」というものは、ちゃんこ鍋を食べて体重をつける。それは、医学的にはどうなのだろうか。太りすぎた体は、命をちぢめるのではないだろうか。相撲取りの平均寿命の統計があれば知りたいと思う。僕の周りでも、かつてのスポーツマンが、腰を痛め、肩を痛め、50歳、60歳になって体を壊している例は枚挙にいとまがない。
 相撲取りであっても、自分の体が休養を必要と感じたら、巡業を休んで休養する、休養の間には、体に無理のないゴルフでもサッカーでもして、リフレッシュするという権利は、相撲文化より上位の、人間としての基本的人権ではないのか。そんなことを認めない「相撲文化」のほうが奇形ではないのか。ちゃんこ鍋を無理に食べて体重を増やして相撲に強くなるが命を短くするとすれば、それはスポーツとして奇形である。
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# by saikamituo | 2010-02-11 21:30

堀田奉文さん、やすらかに

お別れの言葉
「トト、早く元気になって」
 東浜の共産党生活相談所の七夕かざりをしたとき、孫の大雅君が短冊に託した願いもむなしく、堀田奉文さんは、永い眠りにつかれました。
 堀田さんと私は、東浜の昔の電車通りをへだてた向かい同士に育ちました。でも、一学年違いの海南一中と海南二中。お付き合いがありませんでした。
 初めて言葉を交わしたのが、お互い60歳近く、私が県会議員に挑戦して、幡川さんと一緒に東浜をまわっていたときでした。あいてかまわず「お世話になっています」と頭を下げることにしていた私に、「あんた、わしが誰か知ってるんか」という鋭い問いを発して、私をどぎまぎさせました。それが、いつの間にか、「雑賀勝手連」と自称する力づよい応援団になってくれていたのでした。
 私より先に、妻の康子が日方小学校で娘の理沙さんを担任し、亡くなった奥様とは、肝胆相照らす間柄になっていました。きびしい先生だったそうですが、お母さん方にはめっぽう評判がよかったようです。私がお会いしたとき、大雅君がおなかの中にいました。生まれてきた大雅君は、「さいかです」といって入っていく私の口真似をして、電話の受話器を持って「さいかです」といって、遊ぶようになりました。
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 堀田さんは、花が大好き。花を買ってきて大雅君が通う幼稚園や近所に植えてあげる、花配達人です。料理が上手で、おいしいものを知り合いに配る、ご馳走配達人でした。堀田さんの周りには、堀田さんを兄貴と慕い、恩人と慕う人たちがいっぱいです。仕事の面では大変厳しい人でしたが、みなさんに尽くしても見返りを求めない堀田さんに、「この人のためなら」と慕う人たちです。
 そんな堀田さんと、世のため人のために、自分の損得を省みずに尽くし、社会進歩に貢献することを持ち前としている共産党との交流が深まっていったのは当然のことでした。
 「わしは共産党とちがう。雑賀勝手連や」といいながら、生活相談所や選挙事務所においしいものを届けてくれましたね。和歌山の国重事務所にまで、激励に行っていただきました。「しんぶん赤旗」の拡大部数がたりないと泣きつくと、相談にものってくれました。
 志位委員長が和歌山にきたときです。演説会にいかれた堀田さんは、志位さんの演説をほめ、「たいしたものだ」と繰り返されたものでした。
 沖野々に医療生協が総合介護センター「げんき」を立ち上げることになりました。多くの海南市民のみなさんの力を結集したものです。堀田さんは、ひと肌もふた肌も脱がれました。「げんき」には、畑があって、土いじりができます。「げんき」という花文字が、堀田さんが花を運び、ボランティアのみなさんとの協力でできました。
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 堀田さんは、体調をくずして、4月1日に入院されました。まさかの大病です。
 ちょうど、自民党政治は、末期症状をあらわにしていました。私たち共産党は、「国民を苦しめてきた自公政権を退場させよう。新しい政権のもとで是是非非の立場で建設的野党としてがんばる共産党の議席を伸ばして下さい」と訴えていました。海南市では共産党は選挙区候補を立てないということもあって、堀田さんは、民主党の阪口直人さんに肩入れされました。粉河の事務所まで出かけていって、「もう暑くなるのにクーラーもないのは大変だ」とその手配までされたのです。病院から帰って体調がいいと、おいしいものをつくって、海南の選挙事務所に運んでおられましたね。
 自分でおいしいものを作るだけでなく、割烹みなみや紀三井寺のレストラン・デサフィナードの支援もされましたね。私たちは食事券をたくさんもらって、仲間たちと食事会をさせていただきました。入院しても、料理の意欲はおとろえず、「元気になったら、あれもつくらなあかん」と言っていたそうです。
 堀田さんの家系は、もともとはテキヤのもと締めの親分。寅さんの親分です。寅さんのような暖かさを持っています。
私的なことになりますが、私たち夫婦もけんかして、2日ほど口を利かないことがあります。そんなとき、口を利くきっかけが、「堀田さんが料理を取りに来いといってるよ」など、堀田さんにかかわることなのです。堀田さんが入院されてから、夫婦喧嘩はしないことにしました。
 堀田さんがお亡くなりになる前、亡くなった奥さんと一緒にかわいがっていた年老いた猫のミミが姿を消したそうです。奥さんを見送った後、また堀田さんまで見送るのがつらかったのかもしれません。あるいは、奥さんと一緒に天国で待っていてくれるのかもしれません。
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堀田さんは、娘婿の誠さんや娘の理沙さんの献身的な看護のかいなく旅立たれました。みなさんに花を配り、おいしいものを配り、幸せを配った堀田さん。お疲れ様でした。安らかにお休みください。

                                       二〇〇九年十二月十四日
                                               県議会議員  雑賀 光夫

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# by saikamituo | 2009-12-15 20:21

最近の漱石とのつきあい



1 えらく安い買い物をした。県庁前・宇治書店で買った岩波文庫「我輩は猫である」(夏目漱石・563ページ)が、税こみで410円だったのである。宇治書店だからということではない。本に定価が書かれている。同じ岩波文庫で「文学評論」(漱石・262ページ)は570円である。「草枕」(漱石・222ページ)は、360円。ちくま文庫「夏目漱石を読む」(吉本隆明・287ページ)は、800円+税である。岩波書店は、「猫である」については特別安い値段で売っているのだろうか。よく売れるから、安くても採算がとれるのだろうかなど、どうでもいいことを考えた。
 なぜ、いまごろ「猫である」の文庫本を買い求めたのか。中学校一年生の夏休みに読んで読書感想文を書いて以後、寝床に持ち込んでは、眠れないときどこでもいいから開いて、何度読み返したかしれない本が、ぼろぼろになった。古い本で活字が読みにくいから新しいもので読みたかったからである。このごろ、新しい論文を読んでも頭に入らないので、昔読んだものを読み返す。漱石の講演集も改めて読んだ。和歌山市での講演「現代日本の開化」、学習院大学での講演「私の個人主義」など。また、最近読んで刺激を受けたのが「夏目漱石を読む」(吉本隆明)だった。吉本隆明というのは、僕の学生時代の「左翼」学生によく読まれた論客だが、最近は、大分丸くなって、朝日新聞などにも寄稿させてもらっている。自分で自分が「転向」したといっているらしい。「漱石を読む」は、取り上げている作品は、ほとんど僕も読んでいる物で、けっこう面白かった。「猫」の前半と後半で、猫の視点が変わっているというような指摘は、「へえっ」と思った。「草枕」もとりあげてほしかったが、とりあげていない。
吉本隆明程度のレベルの「草枕論」なら僕にも書けるかな?などと思ってみる。
 そんなことで、いま「草枕」と「猫である」を寝床に持ち込んでいるわけである。

2 朝日新聞の和歌山版で「漱石と和歌山」という囲み記事をみた。和歌浦の老人施設の理事長さんが中心になって、夏目漱石と和歌山・和歌浦のつながりにちなんで読書会を開いているという紹介である。実は、私は、「和歌浦観光」について、「万葉集、松尾芭蕉、夏目漱石、孫文と南方熊楠の出会いの地といういろいろなことを和歌浦観光に生かしてはどうか」という県議会での提言をしたことがある。漱石の「行人」という小説の舞台に和歌浦がつかわれているのです。
 新聞記事を読むと、その読書会が発足したのは、ちょうど私が提言したのと同じ時期、まったくの偶然である。
 私は、県議会質問のパンフレットをそえて、理事長さんにお手紙を差し上げた。すると、ていねいなご返事を頂いた。読書会を開いたいきさつとともに海南とのご縁もかかれている。奥さんは海南の方で、紀光の絵もお持ちいただいている。
 人と人のご縁はどこでつながるかわからない。次の読書会には、森鴎外の「青年」を取り上げるというので文庫本を買ってきて読み始めている。
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# by saikamituo | 2009-12-12 00:10

四川省への旅<和歌山民報掲載原稿)

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      (一)
日中友好協会和歌山県連・海南支部訪中団(団長・雑賀光夫ほか十六人)は、一〇月一一日から十六日、中国四川省を友好訪問した。和歌山県連として、「文化大革命」の混乱以後の第五次訪中団ということになります。海南支部のメンバーが半数、県下各地からの参加、日中友好新聞」で知ったという大阪からの参加者もありました。
今回の訪中の目的は二つありました。ひとつは一年半前の四川汶川大地震へのお見舞いと復興状況の視察です。もうひとつは、九塞溝など世界遺産への観光です。
     (二)
四川省成都空港におりたった翌日の十二日、訪中団は、四川省人民対外友好協会を訪問しました。「協会」というのは、人口八千万人を超す四川省の対外関係を扱う外務省のようなものです。
対外友好協会からは秦琳会長、向瓊花アジア・アフリカ部長が対応しました。お二人とも女性です。向部長は日本語もぺらぺらです。会長は「四川省大地震でみなさまから受けたご支援を決して忘れません」などお礼の言葉を述べました。
雑賀団長は「海南市も大きな津波被害をうけたことがあり、四川省大地震のニュースを聞き、他人事とは思えなかった。すぐに義捐金カンパにとりくみました」語りました。街頭カンパ活動の写真を示し「この女性は、戦後も中国いて八路軍の従軍看護婦をしていた方です。直ぐにでも飛んで行って看病してあげたいという思いで街頭カンパに立ってくれたのです」などと紹介。
また、日中友好協会の運動として、日本の侵略戦争の誤りを繰り返さないために、海南市では日中国交回復前に市民の運動で「日中両国平和の塔」が建てられ、毎年平和集会が開かれていることを紹介しました。中国の文化大革命の時代には、特定指導者への崇拝を受け入れず排除されたが、日中人民の友好が実現することを信じて運動してきたとも述べました。
最後に富士山の図柄の黒江漆器の衝立と海南市の紹介、中国語も入った和歌山の観光紹介・高野熊野の世界遺産紹介・和歌山の食などのパンフレット・防災パンフレットなど手渡しました。
中国側からは、パンダの図柄の掛け軸やテーブルクロスがお土産にと贈られました。
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    (三)
そのあと訪中団は、震災現場が保存されている綿竹市の現場を訪問。徳陽市対外人民友好協会林主任が現場を案内してくれました。震災現場の被害の現状を一部そのまま保存しているのです。一部といっても相当広い地域です。広い中国だからできることですが、震災直後のように被害の大きさがわかります。震災のすごさとともに、使われている鉄筋や鉄骨の量が少なく、建築物に問題があったという追及の声が上がったのももっともだとうなづかれました。
移設されたプレハブ教室の小学校を訪問し、子どもたちに折り紙やボールペンのお土産をわたして大きな歓迎をうけました。すんだ瞳を持ち、元気に育っている子どもたちの姿にふれて感動したというのが、多くの団員の感想でした。
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     〈四〉
第三日からは、世界遺産・楽山大仏や自然遺産・九塞溝などを訪れました。九塞溝を回った日には前日までの雨がやんで晴れ上がり、四千mから五千mの山がくっきり遠望できて、湖に映る山影と透き通った水底の区別もつきかねるような美しさに心を奪われ、自然遺産だと納得したのでした。
三国志の諸葛孔明の廟、詩聖・杜甫の草庵、民族芸能の鑑賞、めずらしい郷土料理など、ハードスケジュールだったけれども、参加者みんなが満足した旅でした。
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# by saikamituo | 2009-12-11 23:13

グラムシから「経済学哲学草稿」へ

グラムシから「経済学哲学草稿」へ
さらに田中吉六から僕の原点への旅

1 グラムシに引かれて「経済学・哲学草稿」へ

 竹村英輔「グラムシの思想」を読んで「(グラムシの見解は)しばしば、自然の先位性の否定のように引用されたが、人間の認識の歴史的社会的相対性の否定に対する詰問として…理解すべきではないか」として、「人間がなかったとしたら、という仮説が成り立たぬことを指摘しているという意味で、むしろマルクスの『経済学哲学手稿』(岩波文庫P146-147)の指摘と共通であり…」との指摘にぶつかった僕は、「経済学・哲学草稿」の岩波文庫版を買わなくてはならないことになった。
 県庁まえの宇治書店で取り寄せて手元にとどいた。「城塚登・田中吉六訳」となっている。「田中吉六」というのは、在野の異色の理論家である。戦後民科に結集していた「正統派」マルクス主義哲学者とは一線を画し、三浦つとむなどと親交があり、物理学者・武谷三男を尊敬していた。「経済学・哲学草稿」に沈潜して「主体的唯物論」を主張した人だということは知っていた。
さっそく「P146-147」をくってみる。 
 「…すなわち君がさらにだれが私の父を産み、だれが父の祖父を産んだのか、などと問いつづけでいくような無限の進行にだけ注目してはならない。君はまた、あの進行のなかで感覚的に見てとることができる循環運動をも、すなわちそれにしたがえば人間が生殖において自己自身を反復するところの、したがって人間がつねに主体としてふみとどまるところの循環運動をも、しつかりつかまなければならない。……君が白然と人間との創造について問う場合、君は人間と自然とを捨象しているのだ。君はそれらを存在しないものとして措定しておきながら、しかもそれらを存在するものとして私が君に証明することを君は要求しているのだ。そこで私は君にこう言おう、君の捨象をやめたまえ、そうすれば、君はまた君の問いをもやめるだろう。それとも君が君の捨象に固執しょうとするなら、首尾一貫したまえ。そして君は人間と自然とを存在しないものとして考えながら、考えを進めるのなら、君もまた自然であり人間であるのだから、君自身を存在しないものと考えたまえ。…」
 何のことだかさっぱり分からない。竹村英輔氏に導かれてこの文章にたどりついた経過からみれば、「人間がいない自然など考えることが無意味だ」ということにつながるのだろうか。
僕は「経哲草稿」をあちこちひっくり返してみるが、さっぱりわからない。理解する手がかりになる解説はないのだろうか。

2 田中吉六とその周辺

 そこで僕は、田中吉六の著作を買っていたのを思い出した。「マルクス、再出発」(三交社1975年刊)である。東京には、古本ではない新本だが本屋で売れ残って返本になった本を安い値段で売る店がある。そんな書店で買ったもので、定価1500円の本に250円のシールを貼っている。もう一冊「史的唯物論の成立」(1949年理論社刊、1971年季節社再刊900円)は、300円のシールを貼っている。
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 私は、歯が立たない難解な古典に近づくために次のようは方法をとっている。
 「岩波文庫」で先に引用した「P146-147」の欄外に「竹村『グラムシの思想』p225」と記入しておく。実際にはもっと簡略に「竹グp225」とする。「竹村『グラムシの思想』p225にこの箇所についての論及があった」という意味である。
 こんどは、「マルクス、再出発」の田中の講演に引用されているものをマルクスの原本にあたって、欄外に「田中P18」など書き込んでいくのである。
 堀江正規さんの「文章の読み方」にも「経済学・哲学手稿から」として「意識的生産と美の法則にもとづく創作」と表題をつけた文章の解説があったのを思いだした。それを開いてみたが「マルエン全集第40巻」というだけで、ページが示されていない。これでは探しようがない。ところが、「マルクス、再出発」に同じ文が引用され、ページが示されている。さっそく探して、欄外に「堀江178」「田中50」と書き込む。さらに「文章の読み方」の該当箇所に「岩波P96」「田中・再出発p50」と書き込むわけである。
 書き込みはつづく。「ドイツイデオロギー」(岩波P37)「人間相互の間にはひとつの唯物論的つながりがあって、これは欲望と生産様式とによって制約され、そして人間と同じように古いのである」という箇所の欄外にも、「田中P41」と書き込む。

 田中吉六は戦後直ぐの時代に、一定の注目を浴びた理論家である。1970年代に突然生き返ったように「左派」学生(ブンド派)の中で講演してまわる。その講演には、僕にとって懐かしい名前がでてくる。
・ 武谷三男……湯川・坂田とともに「素粒子論グループの三羽烏」といわれた物理学者。最近の日本の物理学者のノーベル賞受賞にかかわって、マスコミにも湯川・坂田の名前はよくでるが、武谷の名前があまりでてこない。不破さんがこの問題にふれるときには、正当に評価している。
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武谷三男
・ 三浦つとむ……僕が高校時代に一番よく読んだ「哲学者」。共産党では神山茂夫(志賀義雄とともにソ連に追従して分派)に近く、神山よりも先に党を離れる。「日本語とはどういう言語か」という本が講談社文庫ででている。早くからスターリン批判をしていた点では、先駆性をもつ。
・ 梅本克己……「人間論」「マルクス主義における思想と科学」などの著作を持ち戦後活躍した「主体的唯物論派」といわれた理論家。緻密な理論家で、三浦つとむ批判では、この方の批判で納得した。
・ 黒田寛一……トロツキスト学生の大御所である。
・ 広松 渉……ドイツイデオロギーの原文に近い翻訳をした。その翻訳をめぐっては服部文男氏などから批判があり、新訳が出されている。広松訳についても、最近、「岩波文庫」(ワイド版)が出ている。

 田中吉六の論争の対象は、三浦つとむ、黒田寛一、広松渉、梅本克己などにかぎられる。古在由重、芝田信午、寺沢恒信などことのついでにふれられるだけである。田中に言わせと戦後「民科」に結集した民主的哲学者、マルクス主義・科学的社会主義の学者は、話にならない、論争相手にする必要もないという調子で、「左翼」学生の中でとくとくと講演しているわけである。
そんな田中の講演を、「経済学哲学手稿」を読み解く手引きにするなんて、僕もかわりものだなあと思う。

4 河合栄治郎教授の登場

 田中吉六が、河合栄治郎が「経済学哲学手稿」についての「書評」を昭和2年の東大経済学部「経済学論集」に載せているとして、評価しているのをみつけてびっくりした。(「マルクス、再出発」P149)
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                  河合栄治郎
 僕のマルクス主義への接近途上で、忘れることができない一人が、河合栄治郎教授なのである。僕の本箱には「マルキシズムとは何か」「学生に与う」(「現代教養文庫」)がある。
 「学生に与う」という本は、学生の思想善導(赤化防止)のためにかかれたものである。「マルキシズムとは何か」の中で、河合教授は大要次のようにのべている。
 「東大、法経学部には、3000人の学生がいるが、7割は何の目的ももたない酔生夢死の徒である。あとの3割のうち、1割がマルクス主義に近い、1割人が自由主義的、1割が右翼的学生である。その中で1割のマルクス主義的学生が頭脳も優れた人格の立派な学生だということが心配だ。」(「マルキシズムとは何か」P19)
 この文章は、同じく反マルクス主義の小泉信三が「私とマルクシズム」の中で、野呂栄太郎の思い出を敬意をこめて書ていることも思い出させる。
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                  小泉信三
 反マルクス主義の立場で学生の「思想善導」につとめた河合栄治郎教授は、その後、その自由主義的思想のゆえに、官憲の弾圧を受けることになる。
 河合教授と僕の出会いは、海南高校の「どんぐり会」の一員だったころだった。マルクス主義とちがったものも読まなくてはバランスを欠くと言う思いから読んだ。柳田謙十郎さんの「わが思想の遍歴」は、西田哲学からマルクス主義への思想遍歴を述べた名著だが、「わが思想の遍歴」によく似た表題の著作で「わが精神の遍歴」(亀井勝一郎)がある。これは僕にとってはやっかいな本だった。亀井勝一郎は「東大新人会」という左翼学生のメンバーだった。自分としては無理をして左翼学生をつづけるのがしんどくなっているときに逮捕されて転向してすっきりしたということらしい。僕も、部落子ども会にとけこめず、「左翼であることに自分は無理をしてるんじゃないかな」と学生時代思ったとき、亀井勝一郎を思い出したものである。
 河合栄治郎の「マルキシズムとは何か」亀井勝一郎の「わが精神の遍歴」は、マルクス願望の青年だった僕を、うしろから引き止めるものだった。
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                        亀井勝一郎

5 おわりに

 グラムシから「経済学哲学草稿」、そして田中吉六を読んで、思いつくことを書いてきた。これは僕の青春の思想遍歴の思い出である。
 ところで、河合栄次郎や亀井勝一郎から後ろからひっぱられ、新左翼・社会主義学生同盟からオルグされてはゆらぎ、構造改革派(統一社会主義同盟)にもゆらぎ、いろいろ揺らいだ僕が、人生の方向を決断したのは、大学一年生の夏休みに古い海南教育会館での中山豊先生との出会いだった。
 とつとつと語る中山先生のお話を聞きながら、「僕は大学に入ってすごく世界が広くなったように思っているが、あの学生たちは地域に帰ってその思想を通せるのだろうか」という疑問がわいた。
これが、わたしの人生を決め、いま共産党県会議員をさせていただいている原点なのである。(2009/07/24原稿を3分の2に圧縮)

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# by saikamituo | 2009-07-28 21:55