雑賀光夫の徒然草

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体罰について 2

八、体罰は「子どもの発達の筋道から外れている」ということについて

◇有効な方法を放棄する体罰
 教師として、子どもにあれこれ要求する場合、その内容が子どもの発達の段階にとって適切であるかどうか、或いは対象にしているその子どもにとって課題であるのか、かけはなれたものになっていないかの一応の吟味が必要である。
 とくに一人ひとりの子どもをみる場合、今日の非行の最大の課題である「発達の崩れによる歪み」がどのようにあらわれているのかということも考慮に入れて考えなければならないと思う。
 体罰がおきるのは子どもが言うことを聞かない、分かろうとしないという条件の中で良く起きてくる問題であるだけに、それぞれの子どもの状況をつかみ、それに即したとりくみの道を明らかにしていくことが大切であり、体罰によって何とかしようというのは教師にとって有効な方法を探求することを放棄したもので、その場しのぎの安易なやり方といえる。子どもの人間的な歪みを正すのに筋道から外れた歪んだやり方で歪みを正すことはできない。

九、正当な怒りにも体罰は不必要
 
体罰問題を話し合っている会の中で、ある中学校の先生から次のような体験がだされた。
 「私は今までどちらかというと体罰を行使したことがない。この前、英語の時間、わたしの学級にAという勉強のできない生徒が一生懸命努力しているのをみた隣に座っているB生徒が『おまえ、
いくらやっても分かれへんのに、止めとけ』とからかい嘲笑しているんです。A生徒は障害児学級の対象にもなったことがあり、できないんですけど一生懸命頑張っているんです。それをみて嘲笑し侮辱しているB生徒の態度、許せんと思った。そこで、B生徒をきびしく怒った。怒りながら思わずその生徒を殴っでしまった。まわりの生徒は、この私の怒りを支持してくれたと思う。A生徒もうつむいてしまって私の怒りを受けとめてくれたのではないかと思う」。
 これをめぐって論議が深まった。そして不正なことに対する教師の怒りというものは非常に大切なものであるが、正当な怒りを指導に移す場合、困難であっても理性という鏡に照らして移すことを忘れてはいけないという話がでた。私は酷なようだが、先生の怒りが正当なだけに、殴ったことに対する教師の自省を抜かしてはならないという意見をだした。

十、体罰には教育効果はない
 
教育心理学者たちは、教育心理学の立場から体罰の弊害として次の五つをあげている。
① 体罰に対する恐怖心から子どもの望ましい行動まで抑制してしまう。
④ 子どもと教師の教育関係を破壊してしまう。
③ 体罰を加える教師に対して憎しみや反発を感ずるが、子どもの協力がなかったら教育・授業は成立しない。
④ 子どもの自尊心を傷つける。この子どもの自尊心こそ子どもが自発的にのびていくためにどうしても必要なものであり、これを傷つけたら子どものもっている良いものを引き出すことはできない。それやえ、体罰は子どもが伸びていく内発的動機を破壊してしまう。 
① 罰を避けるために要領の良さとか、ずるがしこさ等の望ましくない回避行動を子どものなかに生み出す。
 体罰は子どもに欲求不満を与える。すると緊張解消行動として教師を殴ったり器物を壊すという直接攻撃や弱いものいじめといった転移性攻撃があらわれてくる。
 以上の点が体罰に関する世界の心理学研究をふまえてのまとめである。

十一、体罰の横行する背景
 
私たちの教育界では、長年の間体罰についてのまともな論議がなされてこなかったという事情のもとで、体罰に何らかの教育効果を期待するという悪弊が半ば許容されてきたという経過があります。加えて近年「子どもがなかなか言うことを聞かない」という状況が増大している中で力ででも言うことを聞かすというやり方が、かえって増えてきているのではないかと思われる。その一つの現われとして、いくつかの地域で中学校の生徒指導主任として圧倒的多くが、体育教科あるいは生徒ににらみのきく先生が選ばれている実態があります。
 体罰で得られる何らかの効果というものは一体どういうものなのか、それぞれの具体的な実例の深い検討を通して問題点を明らかにしていく必要があります。

十二、法が休罰を禁止するのはなぜか

 このことについて今橋盛勝教授(千葉大) の説を紹介する。           
 「現行憲法の基本的人権の尊重、教育基本法の人格の完成(教育目的)のもとで、法が体罰を禁止するのは次のような理由からである。
 第一は、体罰の実態・本質は生徒に対する教師の暴力的権力的支配であり、そのため生徒の生命・人身を侵害するからである。
 第二は、心理学者が言うように、生徒の精神に打撃をあたえ健全な発達を歪めたり破壊したりするからである。暴力による身体の損傷・苦痛・屈辱感・恐怖心・反撃心を生み出す。兼子仁教授がいうように『人が人間らしく扱われることの憲法的保障』を人権といい、そして他方で教師から殴られる蹴られる、髪の毛をもって振り回される、膝で地面に顔を押しつぶされる、黒板消しを投げつけられる、問題が解けないからといって錐を小学校低学年の子どもの頭に落とされることを、子ども・生徒及び父母が受忍しなければならないと
するなら、この子ども・生徒は『人間』でないことになる。『人間らしく』扱われないでどうして子ども・生徒は人間らしくなっていけるのだろうか。
 第三には、近・現代社会における、人と人との関係・対立は暴力によって解決されてはならないとする非暴力主義の原理、それをふまえた人間関係の在り方を学ばせない点で、非教育的・反社会的である。逆に暴力としての体罰によって暴力による自己主張、他者・『弱者』支配を子ども・生徒に教えているともいえよう。
 第四は、体罰は教師の専門性に反する。体力・知力・身分的に勝っている教師が、それらの点で劣っている子ども・生徒に暴力としての体罰を加えるほど容易なことはない。しかも体罰は子ども・生徒が反撃してこない、それを許さない、また体罰を拒否したりその場から自らの身を守るために逃避することを許さないような条件・状況のもとで行う点で、中学生のわが子に父母が体罰を加える場合とも明らかに異なっている。体罰は法的教育機関としての学校・教師に憲法・教育基本法が要請する『ありうるべき教育』の内容・方法からのもっとも容易な逃避行であり自らの教師の専門性と人格を拒否する行為である。つまり体罰は教育法的には許されざる反教育的行為・違法行為であり、子ども・生徒の学習権と一般人権を侵害する行為であると解されるのである」(『文化評論』一九八三年五月)    
 私たち教師は、教授する権利を持ち、行使にあたって何人からも干渉を許さない厳しさが必要であると同時に、物事の「条理」に忠実でなければならないと思う。
 体罰の本質は暴力であるというとらえ方を改めて深くとらえ直してみたいと思う。

十三、体罰として禁止されているものについて

 体罰の禁止についての法務省の解釈を紹介しておきます。法務長官の「児童懲戒権の限界について」(昭和二十三年)で次のような通達がだされている。
 身体に対する侵害を内容とする懲戒=殴る、蹴るの類、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒もまたこれに該当する。たとえば端座(筆者注・膝を揃えて姿勢正しく座ること)・直立等、特定の姿勢を長時間にわたって保持させるような懲戒は体罰の一種と解さられなければならない。
 さらに具体的問題について「生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得」(昭和二十四年)は次の判断を示しています。
 用便に行かせなかったり食事が過ぎても教室に留めおくことは、肉体的苦痛を伴うから体罰となり学校教育法に違反する。遅刻した生徒を教室に入れず、授業をうけさせないことはたとえ短時間であっても義務教育では許されない。
 授業時間中に怠けたり騒いだからといって生徒を教室外に出すことは許されない。教室内に立たせることは、体罰にならないかぎり、懲戒権内と認めてよい。           
 人の物を盗んだり壊したりした場合など、懲らしめる意味で体罰にならない程度に放課後残しても差し支えない。
 盗みの場合などその生徒や証人を放課後尋問することは良いが、自白や供述を強制してはならない。
 遅刻や怠けたことによって、掃除当番などの回数を多くするのは差し支えないが、不当な差別待遇や酷使はいけない。
 遅刻防止のための合同登校は構わないが、軍事教練的色彩を帯びないように注意すること。
 以上のごとく学校教育法の体罰禁止条項は、暴力をふるうことを禁じているだけでなく、懲戒の手段として肉体的苦痛を与えてはいけないとしています。

十四、教師の懲戒権について

 懲戒の基本は本人に自覚させることである。教師の行なう懲戒については学校教育法十一条でも認められており、法的にも根拠があります。生徒・児童が学校生活に必要な決まりを守らない場合、教師の指導で誤りを自覚させるのは望ましいのですが、暴力や大きな事件を起こした生徒には自分の誤りがすぐさま十分には理解が出来なくても一連の懲戒はありうる事です。この懲戒は生徒全体の学習権と、人権を守るものであり、本人にまだ不満があってもともかく自分の行為はみんなから権利侵害として非難されているんだということを十分自覚させる措置で、出来るだけ本人が誤りを納待するよう描導していくことが大切です。その時加える懲戒が本人にとっても不満であってもそれを通して分からせていくということになると思う。もちろん児童生徒に言い分のある時はよく聞いてやるべきで、何を懲戒とされているのかを分からせていくとりくみは手抜きをしてはならないと思います。

十五、教育的立場を貫く懲戒が大切

 義務教育段階では、退学・停学できないのは当然であります(学校でも教育上出来るだけさけるべきです)。具体的には教師自身が状況に応じて考えなければならない問題ですが、たとえば自宅学習というやり方がありますが、親が終日ともにいて子どもを観察したり話し合ったり出来る条件のある場合は、効果は期待できるが、その条件のない場合はかえって逆効果であります。学校へ登校させて別室で特別指導するとか、教師とともに特別の作業を課すとか色々工夫が必要であろう。                                         
こうした懲戒は非常に「困難な教育的状況」のなかで行使されるだけに難しいと思うが「教育的懲戒」といわれるかぎり、教育的立場を貫く懲戒のあり方を求められることはさけられない。

十六、「罰」について

 教師が指導にあたる場合、教育的見地から子どもに対して、一定の必要と思われる罰を加えることはありえるし、学校教育法の上でも認められている。
 この際ひとつは、罰はあくまでも教育上必要と思われる範囲内で教師が考えるべきであり、その子どもや置かれている諸々の条件を十分考慮に入れて判断すべきである。もう一つは、基本的に子どもの学習権を奪ってはいけないということをふまえておく必要がある。三つは罰そのものの中に人間的な「はずかしめ」があってはならないと思う。
 具体的な点でたとえば、忘れ物をよくしてくる子どもがいる。いくら注意をしても聞かない。思いあまって取りに帰らせる。これも一種の罰だと思うが始業前、または休憩時間の時ならまあまあ良いとして授業を抜けてまで取りに帰らせるのは間違いだと思う。わけても今日の交通の事情や留守家庭の子が多いという点を考えると、教室のなかに留めおいて何らかの手立てを考えるのが妥当だと思う。もし、忘れ物が授業に必要なものであっても家に帰らせるのでなく、その子には不自由な(不十分な)形の授業のままで参加させることの方がより妥当であると思う。むしろ、その子どもの日常の生活態度や親の方に問題が深く関わっている場合が多いので、それについての長期の粘り強いとりくみが解決の糸口になるのではないかと思う。
 授業中、先生の話を聞かないで騒ぐ、他の子どもの邪魔をするということが日常的にぶちあたる。また、教室の後へ立たせるのは良いが廊下や外へ出すのはいけない。しかし、教室に立たせるにしても立たせっぱなしにしないで、立たされている子どもの様子を観察しておいて、一定の効果(あくまでも一定の効果)を認めたならばすぐ解除しなければいけないし、効果が認められない場合そのまま長時間立たせることはさけるべきであろう。全然何らかの効果もあたええない懲罰は、懲罰として無意味であるからである。
その子にとって無意味な懲罰は苦痛でしかないし、恨めしさと憎しみしか残らないようになることを心配する。その他みせしめという形の罰、屈辱を与えるような罰等々、相当学校現場には根強いものがあると思う。全面的に再検討する必要があると思う。

十七、「辱め」「みせし」の罰について
 いわゆる、「懲らしめ」の罰の限界についてであるが、徳川時代の罪人を罰するのに腕に刺青をしたり市中衆人の中を引き回しをする、衆人の前で刑を加える、さらし者にする等のことがやられたようである。このことと現在の懲戒とを単純に比較するのは当を得ていないが、懲戒という名によるよく似たことが、私たちの回りに皆無といえない。相手が子どもであるからか、また、自分でも悪いことをしたという意識が働いているからか、相当ひどい罰であっても直接的には大人である教師を告発しない。「懲らしめ」の罪にも限界があり「辱め」「みせしめ」となると、明らかに懲戒の限界をこえるものである。
私も実のところ小学校時代には非常にやんちゃであり、よく先生に怒られた経験がある。その中でいちばんいやであったのは、職員室のなかで怒られることであった。怒られている事実よりも、他の大勢の先生のなかでさらし者になっていることがなによりも苦痛であった。むしろその場でゴッンと一発殴られることの方がかえってすっきりした記憶がある。小さな子どもでもどんなに悪さをする子どもでも自尊心があるのである。直接身体に加える「殴る」等の体罰よりも、ある意味では「みせしめ、辱め」の罰は子どもの心を深く傷つけるのではないかと思う。

十八、学校で今、大切なことは

 今依然として子どもの非行が広く深く進行している中で、子どもの心に辛抱強く問いかける余裕のない中で、取締や規則あるいはてっとり早い懲罰で止むなく切り抜けようとする状況について、この辺で思い切った検討を加えてみたいと思う。こうしたものは、ひそかにそれぞれの教室でやられているだけに公開の論議になりにくいと思うが、実際のとりくみの事実から教育を出発させる勇気が今必要になってきていると思う。
 以上、「体罰」 に問題を絞って、いくつかの点について述べてきましたが、一先ずこれで終わることにする。重要な点でふれなかったところ、不十分なところ、実際非行問題に直面して苦悩している中での問題点に正しくこたえられなかったところ等、多く残してきていると思う。体罰は、永年にわたって残されてきた悪弊であり、それの克服は簡単ではない。だからといって先送りするのでなく、まず、学校の中からすべての暴力を一掃し、体罰を否定するところから教育を出発させること、そして、体罰によらないで子どもの内面の願いに視点をあてながら、子どもとの間に人間的なつながりを作り上げていく努力をする必要がある。
              岩尾靖弘(和歌山県国民教育研究所事務局長)
(参考文献)
☆牧柾名・今橋勝編著『教師の懲戒と体罰』(絵合労働研究所発行)
☆牧柾名著『学校と子どもの人権』(新日本新書)
☆埼玉教組「学校から体罰をなくし人間を大切にする指導を貫くために」(埼玉教育新聞号外) 、
☆「学校暴力から教育を守る共産党の提言」(『赤旗』一九八三年三月十≡目付)
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# by saikamituo | 2013-02-05 18:21

福沢諭吉の評価をめぐって 

福沢諭吉の評価をめぐって 「季論21」バックナンバーから

「季論21」という雑誌を手にした。まえから和歌山大学の松浦先生からお聞きしていたものである。編集委員は、鯵坂真(哲学)浜林正夫(イギリス近現代史)、堀尾輝久(教育学)、森住卓(フォトジャーナリスト)、渡辺治(政治学)など、学習協会員のみなさんにもなじみの方が多い。松浦先生もそのお一人である。
 このたび、バックナンバー18冊をとりよせ目次をくっている。そこには論争がある。論争好きの僕は、毎日それにかじりついている。そのいくつかについて紹介したいが、とりあえずは「福沢諭吉の評価をめぐって」である。

1 「天は人の上に人を作らず・・・」という文句は、小学生でも知っていよう。人権尊重作文の書き出しにもつかわれる。「封建制度は親の仇でござる」といった福沢諭吉は、晩年、朝鮮への侵略戦争に反対せず「外戦もやむなし」という態度をとったことも知られている。
 政治学者・丸山真男は、福沢諭吉を高く評価して、「文明論の概略を読む」(岩波新書3冊)など著作があり、僕も読んだことがある。一方、安川寿之輔さんという方が「福沢諭吉と丸山真男 『丸山諭吉』神話を解体する」(高文研)で、二人を重ねてぶちきるような批判をされている。

2 「季論21」では、編集委員でもある吉田傑俊氏が書いた「福沢諭吉と中江兆民」という本について、おなじく編集委員である宮地正人氏が「福沢諭吉の評価をめぐって」という問題提起をする。(第5号、2009年夏)それにたいして吉田氏は「第6号」で「宮地正人氏への返書」というものを発表される。
 吉田氏の本は読んでいないが、安川さんのような批判でなく、諭吉を「近代化」(啓蒙思想)、兆民を「民主化」(自由民権)の代表的政治家・思想家としてそれぞれ評価しながら、その違いを明らかにし、前者が「正統」、後者が「異端」とされていることはどうかという問題意識であったらしい。
 
*私の個人的なことを言えば、吉田傑俊氏は、京大部落研の先輩である。一緒に子ども会をやったことはないが、新入生学習会で「ものの見方について」(三一書房)という中国の人が書いた本をテキストに学習会の講師をしてくれたことがある。そのとき僕は、唯物論の根本について質問したことを覚えている。それは、「西田幾多郎の『善の研究』でのべられている絶対否定できないのは『純粋経験の事実だけである』という主観的観念論の主張をどう論駁したらいいのだろうか」という質問だった。
  のちにレーニンの「唯物論と経験批判論」のなかで、「主観的観念論が徹底的にその立場をつらぬくならば、いかなる三段論法をもってもしれを論駁することは不可能である」という意味の文章を見つけたとき、僕が持ち続けた疑問が、レーニンも論駁できないということに自信を持ったことがある。これは脱線。

3 「季論21.第7号」「特集 日本の近代化と『坂の上の雲』」の冒頭で、「生きた思想とは何か 近代啓蒙思想と自由民権」と題して、堀尾輝久氏を司会者にして、宮地・吉田両氏が直接討論する。論争好きの私には、こたえられない。夢中になるゆえんである。
吉田さんと宮地さんの対論では、吉田さんは、遠慮しながら発言しているように見える。また宮地さんに説得されているようにも見えた。
 私も宮地さんがいう「福沢諭吉が切り開いた世界の中で兆民が活躍したのだ、そして兆民とその仲間たちは、福沢が一番愛した馬場辰猪とともに自由民権運動をたたかいました」「それは対立でなく補完なのです」「兆民の『一年有半』に名前を挙げる中に福沢だけを『福沢先生』と書いています」という部分を「なるほど」と思いながら読んだ。馬場というのは、宮地さんによると諭吉の愛弟子で、馬場が亡くなった時、諭吉は「あまりに早くすぎた」と追悼文を書いたそうだ。
 僕は、子どもの頃読んだ「偉人伝」史観にとらわれているから、福沢諭吉ファンなので、吉田さんには悪いが宮地さんに軍配をあげたくなる。(注)
≪(注)僕は、「戦後政治の中の天皇制」(渡辺治)の書評を書いて、そのなかで、子どもの頃「偉人伝」(ポプラ社・偕成社)を読んで、皇国史観や英雄史観の影響を深く受けたという自己分析をしたことがある。「学習新聞」に投稿しただろうか?≫
 しかし、宮地さんが諭吉が日清戦争に賛成した問題で、帝国主義戦争に反対し他民族蔑視を乗り越えるイデオロギーは、レーニンまでなかったのだという主張には、本当にそうかなと思いながら読んだ。

4 論争はそれにとどまらない。「季論21・第8号」に「福沢諭吉についての対論をめぐって」(宮崎光雄)という討論参加者があらわれる。宮崎氏は、基本的には、吉田さんを支持するという。それでも宮地氏にも敬意を表しながらの討論参加である。宮崎さんの論文で面白いと思ったのが、勝海舟のことである。
 実は僕は、「坂の上の雲」の関係もあって、明治の文化人が、日清・日露の戦争をどう見ていたのか知りたいという問題意識をもっていた、夏目漱石は、日露戦争をひややかに斜めから見ていたと思う。このことは、和歌浦の老人ホームで開かれる「漱石を読む会」に参加し、漱石に「趣味の遺伝」(日露戦争で戦死した親友に思いをはせるところからはじまる)という小説があることを知って間違いないと思っている。
 知りたいと思っていたのが、勝海舟であった。「氷川清話」に中国の政治家は大きいね、大したものだというような発言があって、勝海舟の中国・朝鮮への見方を知りたいと思っていた。
 宮崎光雄さんの論文に、勝海舟と海舟が師とあおぐ横井小楠が紹介される。それが、福沢諭吉よりも進歩的な観点をもっていたというのである。また「勝は、『西郷は征韓論者ではない』という発言を最後まで繰り返した」という。
勝海舟の「氷川清話」(岩波文庫では「海舟座談」)というのは、僕が良く寝床に持ち込む一冊である。「海舟座談」をまたひっくり返さなくてはならない。
*「海舟座談」で見つからず、インターネットで「勝海舟 西郷 征韓論」と検索したら、「読書日記」というものが出てきた。そこで次のような紹介がある。
≪征韓論(とされているもの)に破れた西郷が、横浜から船で大阪へ向かうとき、真方衆の急報で、横須賀から横浜へ駆けつけた勝海舟が西郷と対話したときの話の内容について、それから二十年後の日清戦争の頃、勝が巌本善治に語ったとして、巌本は、その内容を『女学雑誌』に次のように発表している。
 「“ナニが征韓論ダ、いつ迄、馬鹿を見てるのだ、あの時、己は海軍に居ったよ。もし西郷が戦かふつもりなら、何とか話しがあらふジャアないか。一言も打合はないよ。あとで、己が西郷に 聞いてやった。『お前さん、どうする積りだった』と言ったら、西郷メ『あなたには分ってましよふ』と言ってアハアハ笑って居たよ。其れに、ナンダイ、今時分まで、西郷の遺志を継ぐなどと、馬鹿なことを言ってる奴があるがエ。朝鮮を征伐して、西郷の志を継ぐなどと云ふことが、何処にあるェ”と言ふことで、丁度日清戦争の頃ろ、烈しいお話しのあったことがある。つくづく西郷先生当年の言動を考へて見ると、忽まち此の秘密が頓悟されるやうに思はれる」≫

5 討論はさらに続く。「季論21・第16号」には「『福沢諭吉神話』を超えて」(杉田聡)という論文が掲載されている。それは、宮地氏の見解とは対極にある、冒頭に紹介した安川寿之輔さんの「福沢諭吉と丸山真男 『丸山諭吉』神話を解体する」と同じような見解なのだ。
 編集委員でもある宮地さんと全く対立する論文を掲載するところに、この雑誌の魅力がある。

 福沢諭吉びいきのわたしは、ここで「文明論之概略」で福沢諭吉が、論争は民主主義の基礎であることを強調したことを紹介しておこう。
 僕のHPに1998年にアップした「福沢諭吉との40年ぶりの出会い」という文で、次のように書いた。
≪「文明論之概略」は、いま、読みかけだが、すごくおもしろい。
 「第一章 議論の本位定る事」とある。福沢はその進歩性の限界が語られることがあるが、福沢なりの限定された歴史的制約の中での判断も、それなりにうなずかれるような気がする。
おもしろいのは、秦の始皇帝が、書物を焼く焚書をしたのはなぜかという分析であった。焚書では、孔子・孟子の書物も焼かれたが、孔孟だけなら、始皇帝も焚書はしなかっただろうという。その時代は、諸子百家という百家争鳴の時代だった。異なる意見を戦わせることが民主主義の基礎であると諭吉は考える。だから、始皇帝は書物がこわかったという。≫(1998年以前 記)

雑賀光夫 2013年1月 記

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# by saikamituo | 2013-01-30 21:50

のまさんの大きな手

野間さんの大きな手 
   …野間さんは庶民の心に生きている… 
 

 野間さんが逝かれた。和歌山の共産党と民主運動の時代を画した巨星落つとの思いにかられる。
 議員をさせていただいている関係で地域をまわると、「野間さんをよう知ってるんや。おい・おまえ、の関係でつきあってきた」と言われる方によくお会いする。先日も、紀美野町でお会いした方は、「野間さんの手は大きかったなあ。土方などのアルバイトをしながら大学へいって弁護士になったんやもんなあ。あんな人、ないで」と言われた。野間さんは、今も庶民の心の中に生きている。
 野間さんが初当選した1972年。社会党現職の中谷鉄也氏が突然の立候補辞退。かわって貴志八郎氏が「死中に活を求めて」「革新一議席は社会党」と立候補。私は、投票日直前に海南鋼管の前で中山豊さんたちとビラ配りをしていた。社会党陣営も、ビラを配っている。社会党幹部の方が中山さんの近づいてささやいた。
 「あと一歩なんや。ここはゆずってくれんか」
 そんな攻撃を跳ね返して、世直し弁護士・野間さんの当選をかちとったのは、共産党と後援会の奮闘とともに、真の革新・本当の庶民の代表を国会に送りたいという和歌山県民の熱い願いだったろう。
 「紀ノ川のように」という野間友一随想・対談集がある。そこでは、尾藤監督との対談とならんで、私の父・紀光も対談している。紀光が後に野間さんのリーフレットに推薦の言葉を寄せたことがある。
「野間さんは立派な人だ。その野間さんを毎回国会に送っている和歌山県民も立派だ。」
県党常任委員だった松葉さんが「ええ言葉やなあ」と言ってくれたが、野間さんを国会に送ってきたことは、県民の誇りである。
 野間さんの当選と共産党の躍進は、労働運動にも大きな影響を及ぼした。争議団共闘などは、前進的に解決にむかう。1980年ごろになるが、いま、海南海草の党の責任者をしている西上さんは、美里(今の紀美野町)のある企業で労働争議をしていた。田舎のことで悪戦苦闘。そこに野間さんが激励にきてくれた。それだけで、地域の空気ががらりと変わり、勝利和解に向かったという。
 野間さんの当選は、大企業労働者のたたかいを励ました。その一つが住友金属の労災隠しである。沖縄出身の下請け労働者が工場内で亡くなった。いったんは病死とされ、遺体が故郷に送られていたものが「電気溶接の感電死だ」という職場活動家の告発を聞いて、野間さんは遺体を和歌山に送り返させた。和医大で解剖して、労働災害が認定されたのであった。野間さんはその問題を国会でもとりあげた。
銀行のサービス残業問題も大きく前進した。残業手当が支払われただけでなく、夕方になって自宅に早く帰って来た銀行員の夫は「どこか悪いの?」と奥さんから聞かれたという。
田中角栄のもとでの狂乱物価もあって、73、74春闘は、15%、30%の大幅賃上げを勝ち取る。74年の年末には公務員労働者の「人事院勧告差額」は、「ボーナスが二回あったようだった」と今も語られる。和教組委員長をされた田淵史郎さんは、「政治闘争の前進が賃金や教育条件改善などの要求運動にどう影響するか」という例にこの話をよくされたものだった。
 野間さんは、タクシー労働者などに特に人気があった。県地評幹部だった木戸孝和さんは、「野間さんの偉いところは、労働者から訴えを受けた時、それが解決できるかということの前に、一緒になって共感して『許せん!』と怒ることなんや」と言われたことがある。議員になってから、その言葉を何度もかみしめている。

                    和歌山県議会議員 雑賀 光夫

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# by saikamituo | 2012-10-06 18:57

漱石と日露戦争

夏目漱石と日露戦争

1 「趣味の遺伝」という作品があることを知ったのは最近だが、私は「漱石の日露戦争観」に関心を持ってきた。
 親友である正岡子規は、「坂の上の雲」の3人の主人公の一人にされた。軍人である秋山兄弟とは立場が違うが、同じような角度で時代をみていたのではないか。そこで日清戦争では従軍記者を志願する。日露戦争のときには他界していた。d0067266_17525666.jpg
 漱石は、日清戦争のことはわからないが、日露戦争については、斜めからひややかにみていたように思う。「草枕」からそのにおいを嗅ぎ取ってきた。徴兵忌避をしたということは、最近知った。
 漱石は、「坂の上の雲」の原作では松山で子規が下宿に転がり込んでいた時代のことが出てくる。映画では、「大和魂」についての持論(「吾輩は猫である」に出てくる)をはいて、あとから謝るというような変な登場させられる。これは、子規の死後、高浜虚子が主宰する会で「猫」を読み上げたという事実から映画に組み込んだのだろうが、原作にはあるのか?謝ったのなら、出版した「猫」には組入れなかっただろうと思うが・・・。
 漱石は、のちに満州への旅行にでかけるのだが、それは、斜めに見ている漱石を、大学の友人である満鉄総裁・中村是公が「わしらがどんなすごいことをやってるか、見に来いよ」と誘い出したものではないか。
 ここまでは、確たるものをもたない私の、漱石や子規については子供時代の「偉人伝」レベルの知識に基づく印象である。

*「満韓ところどころ」を読みかけている。子どもの頃の「偉人伝」からの印象は、そうまちがっていないようだ。

2 「趣味の遺伝」を初めて読んでびっくりした。
 日露戦争で日本中が沸き立っているなかで、よくまあ、あそこまでかけたものだと思った。
 私たちは、戦前の時代に反戦・厭戦の小説は弾圧をうけるように思ってしまうが、与謝野晶子の「君死に給うことなかれ」は、家に石を投げられたとしても、官憲の弾圧をうけたわけではないから、おどろかなくてもいいのかもしれない。
 しかし、漱石が描く日露戦争、203高地のたたかいは、きわめて概念的である。芥川龍之介に「将軍」という小説があり、そこに203高地への突撃の白襷隊がえがかれる。芥川のほうが、はるかに人間の機微をえがいている。
 ぼくは、ここに漱石の限界を見る。「趣味の遺伝」のなかで主人公の「余」は、図書館へいくぐらいしかしない人間だと述べている。大変正直に自分の限界を述べているのは、漱石の偉さかもしれない。
 漱石の多くの小説に登場するのは、「吾輩は猫である」を例にとれば、学者(くしゃみ先生とその家族、寒月君)と親の財産でくらしている高等遊民(迷亭など)が中心になる。中学校の生徒、どろぼう、巡査、軽蔑の対象としての実業家(金田・鈴木君)もでてくるが中心的登場人物ではない。肉体労働者は「車屋」であるが教養のない軽蔑の対象でしかない。
 林田茂雄さんが「漱石の悲劇」という本に「漱石の作品の主人公の家は、どんなに落ちぶれても、ばあやを雇っている」という意味の指摘をしている。
 ばあやのいる家から学校と図書館に通う生活から見える世界が、漱石の世界だというのが、漱石の一面である。
 漱石の作品で、労働者を主人公に近い扱いにしたものがある。「工夫」である。炭鉱の仕事を手伝ったことのある学生が持ち込んだネタで学生の目を通して工夫を描いている。異色の作品である。
 この漱石の限界から、203高地の激戦は、概念的なものにとどまっている。漱石は、「余は、日露戦争に主眼を置いたのではなく、菊の花を持ってきた麗人を描いたのであるから、ケチをつけないでくれ」というかもしれない。

3 しかし、学校と図書館を行き来する漱石は、イギリスにも留学して、古今東西、万巻の書に通じた大学者である。哲学者・戸坂潤が、「岩波文化」「教養主義」という線上で、漱石の教養の高さというものを評価したことがある。
 だから、この人物は「時流に乗る」というような、安っぽさがない。日露戦争で日本中が湧き上がっていても、幸徳秋水のように戦争に反対するわけではないか、時流を冷ややかにみるという余裕をもっている。d0067266_17543766.jpg
 そこで「大和魂」を茶化しもするし、日露戦争を斜めに見る。
 和歌山での講演「現代日本の開化」が、前日の国威高揚の演説会に冷や水を浴びせたというのは、教養ある世界的視野を持った漱石である。

4 戸坂潤が言う「教養主義」あるいは「岩波文化」「漱石文化」というものは、民主主義の幅広い基盤であると思う。
 戸坂潤というのは、京都大学の西田門下から唯物論に進んだ論客である。西田学派が戦争に協力したといわれるが、それは、西田幾多郎の亜流ではないかと思う。西田幾多郎のものを読んでみると、観念論の枠内で、偏った考え方をきらう論評がある。そうでなければ、その門下から、三木清、戸坂潤、柳田謙十郎、務台理作といった唯物論(あるいはそれに近い)哲学者が出るはずがないと僕は思う。

写真は 戸坂潤

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# by saikamituo | 2012-10-06 17:43

日中平和のつどいでの挨拶2012

おはようございます。県連副会長・共産党県会議員の雑賀です。

今年は日中国交回復40周年の年でございます。そして、和歌浦の孫文と熊楠の出会いの地に念願の表示板もできました。d0067266_1640845.jpg
 一方では、尖閣諸島の問題など日中間には、難しい問題もありますし、日本も中国も国民が主人公と言える平和国家になるためには、まだまだ課題がたくさんあります。
 しかし、いまや日本にとっては中国は輸出も輸入も第一位の経済関係が一番深い国になっています。中国にとっては、日本が輸入で第一位、輸出ではアメリカに次いで第二位です。
 多くの課題を抱えながらも発展する中国と、どう友好関係を築くのかは日本にとって避けて通れない問題です。d0067266_16422190.jpg
 最近、日本共産党の志位委員長は日本の対外関係がどうあるべきかの「外交ビジョン」を発表しました。
 実は、私は今年の3月、大阪の中国総領事館を訪問して総領事と懇談いたしました。孫文・熊楠の出会いの地に標示板ができた記念集会に招待にあがったわけです。懇談の最後に、私は申し上げました。
「私たちは日中友好の基礎に日本国憲法9条を置きたいと考えています。二度と戦争をしないという憲法9条の立場に立てば、沖縄にアメリカの殴りこみ部隊の基地はいりません。1機100億円もする戦闘機もいりません。
日本の外交がその立場に立てば、中国も多額の費用をつかって軍事力増強する必要もなくなるでしょう。
 そうすれば、アメリカも日本も中国も、財政力の多くを、国民の生活向上のために振り向けることができます。
 本日の訪問をきっかけに、対等平等な日中両国の平和と友好を、さらに発展させたいと願うものです。」
日中間のむずかしい問題も外交的努力で解決することができる。これが、日本共産党の「外交ビジョン」であります。
対等平等の立場で日中友好運動をすすめてきた私たちの出番です。
ご一緒にがんばります。
ありがとうございました。

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# by saikamituo | 2012-08-16 16:30

あまりにひどい「放射線副読本」

あまりにひどい「放射線副読本」


1、このたび、文部科学省から「放射線副読本」というものが、各学校に送られてくるという話を聞きました。奈良県会議員・宮本次郎さんがブログで批判しているのを松坂県議が見つけて教えてくれたのです。
県教委の担当者にお聞きすると、昨年秋つくられ、文部科学省から各学校に見本がおくられ、希望を取って、来週にも送られてくるというものです。ほとんどの学校が希望したと言います。d0067266_1159367.jpg

2、「小学生のための放射線副読本」、「中学生のための…」「高校生のための…」の3冊とそれぞれの教師用指導書があります。どれもがカラー、上質紙で、「小学生の」は、18ページ、「中学生の」「高校生の」は、それぞれ22ページあります。教師用指導書は、細かくてもうすこしページがあります。

3 とりあえず「中学生のための放射性副読本」を開いてみましょう。
① 「はじめに」という文があってこの「副読本」の趣旨がかかれています。
 原発事故によって、放射性物質が大気中や海中に放出された。避難や出荷制限がおこっている。
 「放射線への関心や放射線による人体への影響などについて不安を抱いている人が多いと考え、放射線について解説・説明した副読本を作成しました」とかかれている。
② 「不思議な放射能の世界」(P3-4)「太古の昔から自然界に存在する放射能」(P5-6)は、「原爆や原発と無関係に放射線は活用されていること」「自然の中に放射線はある」という説明です。
 「原爆や原発で放射能は怖いものという思い込みがあるが、そんなことだけを考えるのは一面的だよ」ということをいいたいのでしょう。
③ 「放射線とは」「放射線の基礎知識」では、放射線の基礎知識がとかれます。ここではじめて「放射能」「放射性物質」ということばがでてきます。
 「ベクレル」「シーベルト」という単位の説明や、「半減期」の説明、「測定器」の紹介があります。
④「コラム 放射能・放射線の歴史」(p12)
 レントゲン、キュリー夫人などの放射能研究の歴史がかかれています。ところが、悪魔の兵器・核兵器につながったということにもふれていない。原爆の悲惨さも原子力発電所事故もどこにもないのです。
⑤「放射線による影響…外部被爆と内部被爆」(P13-14)
 ほんとうなら、ここは放射能・放射線の危険を説明しなくてはなりません。ところが、その内容は驚くべきものです。
 「放射線は体を通り抜けるため、からだにとどまることはなく」というのは、たしかにそのとおりですが、「そのことが人間の細胞に傷つける場合がある」という説明はありません。妊婦がレントゲン撮影をさけるのは、そのためではありませんか。
 「万一汚染してしまった場合は、シャワーを浴びたり、洗濯すれば洗い流すことができます」…そんな簡単なものでしょうか?
 「内部被爆を防ぐには、放射性物質を体内に取り込まないようにすることが大切です」と書いてあるだけです。そのために日本中が大騒動しているのではありませんか。
 挿絵が、なんともまあ、平気な顔で放射線をあびている女の子、放射線のはいった水を飲んでいる男の子。なんと無神経なのでしょう。
 さらに、ご丁寧に「体内・食物中の自然放射性物質」の詳しい説明。「原発事故がなくても、放射能はどこにでもあるんだよ」という最初にあった説明の繰り返しです。
 「出典(財)原子力安全研究協会「生活環境放射線データーに関する研究」(1983年)より作成」と丁寧に書いてくれているので、「お里が知れる」というものでしょう。
 その次の「放射線から身を守るには」というのが一番大事なところですが
 距離をおいたり、時間を短くしたり、へいしゃ物をおけば、「放射線をへらすことができる」(大丈夫・大丈夫という印象をあたえる記述)
⑥「放射線による影響…放射線量と健康との関係」(P15-16)
 「100ミリシーベルトの放射線をうけても、癌発生が1000人のうち300人が305人に増えるだけだ」しかも、「癌発生の原因は、いろいろで、喫煙・食事・食習慣・ウィルス・大気汚染など…これらと同様の原因の一つと考えられる放射線についても受ける量をできるだけ少なくすることが大切です」
⑦「くらしや産業での放射線の利用」(P17-18)
 またも繰り返して、放射線は役に立っているという説明です。
⑧ 「放射線の管理・防護」(P19-20)
 まず、平常は、原子炉のまわりはモニタリングされているから大丈夫ですという説明です。
 「非常時における放射性物質に対する防護」は、ひどいものです。全文紹介しましょう。
「原子力発電所や放射性物質を扱う施設などの事故により、放射性物質が風に乗って飛んで来ることもあります。
 その際、長袖の服を着たりマスクをしたりすることにより、体に付いたり吸い込んだりすることを防ぐことができます。屋内へ入り、ドアや窓を閉めたりエアコン(外気導入型)や換気扇の使用を控えたりすることも大切です。なお、放射性物質は、顔や手に付いても洗い流すことができます。
 その後、時間がたてば放射性物質は地面に落ちるなどして、空気中に含まれる量が少なくなっていきます。そうすれば、マスクをしなくてもよくなります。」
4 おそらくこの「副読本」は、原子力発電所を見学に行ったとき説明されることの焼き直しでしょう。福島原発で安全神話がくずれ、日本中が、原子力のあり方は、いままでのままでいいのかと模索しているとき、こんな副読本を子供たちに配ろうという文部科学省の神経は、どうなっているのでしょうか。
 しかも、その最後には、「編集委員」メンバーの名前がならんでいます。
 編集委員長は 中村尚司(東北大学名誉教授)副委員長は熊野善介(静岡大学教育学部教授)よくまあ、恥ずかしげもなく名前をならべたものだと思います。
2012年3月10日 さいか

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# by saikamituo | 2012-03-10 11:52

孫文・熊楠の交友の地を 日中友好のシンボルに


孫文・熊楠の交友の地を
   日中友好のシンボルに 



2012年2月10日
日中友好協会和歌山県連合会

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劉中国大阪総領事らと懇談
日中県連代表団



2月2日、日中友好協会和歌山県連合会代表団が、中国在大阪総領事館を訪問しました。
県連副会長   雑賀 光夫(団長)
同       由井勝(和歌山市支部長)
同       幡川 文彦(海南支部長)
同 理事長   岡本 弘雄
同 事務局員  田野 裕司
総領事館からは、次のみなさんです。
 総領事     劉 毅仁
 副総領事    コンドズ・ユスツ
 領事      殷 達奇(政治文化室長)
 領事アタッシュ 宋 雄偉 
はじめは、総領事と政治文化室長が対応されたのですが、「この前、○○さんにお会いしました」と言う話から、「空いていれば呼びましょう」ということで、この4人が出てくれました。
「雪の降る大変な日に、遠くからごくろうさまでした。何なら日を変えてもらってもいいと話していたところです。」と劉総領事。「和歌山はあったかいですから大丈夫です」と雑賀団長。気さくな話から、懇談ははじまりました。


孫文・熊楠の友好を記念して
   雑賀光夫団長(副会長)の挨拶


本日はお忙しいところ、ありがとうございます。
私は、日中友好協会和歌山県連合会副会長・県議会議員の雑賀光夫でございます。
まず、今回訪問させていただいたメンバーを紹介させていただきます。(メンバー紹介)
橋爪利次会長からは、病気療養中で参加できないが、よろしくお伝えくださいとのことでした。

今回の訪問の主な目的は、和歌山市・和歌浦に中国の国父といわれる孫文と和歌山の博物学者・南方熊楠が交友をあたためた場所がありまして、その地を、日中友好のシンボルにしたいということです。
まず、私たち日中友好協会和歌山県連合会の紹介をさせていただきます。(用意した写真を見せながらお話した)d0067266_21185077.jpg

私が住む海南市には、「日中両国平和の塔」があります。1971年、日中国交回復の前の年に、市民の募金で建てられました。この塔の前では、毎年8月15日には、日中不再戦のつどいが開かれます.
しかし、1960年代後半から、中国の文化大革命の混乱によって、私たちの協会と中国との交流ができなくなりました。
1998年の日中両国共産党の関係正常化、その後の私たちの協会との関係も正常化され、交流がはじまりました。
児童画の交換もしました。d0067266_2124316.jpg
四川大地震では、救援募金にとりくみ、その年は、四川省を訪問しました。
昨年は、北京・西安の旅。中国人民抗日戦争記念館を訪問し、陝西省対外人民友好協会では、このたびの日本の東日本大震災にあたっての中国人民の支援にお礼を申し上げました。
今日、日高支部からは参加できなかったのですが、この地域でのアヘン栽培が侵略戦争に使われた問題を究明したこともあります。
さて、この写真は、和歌山市支部の会員が、太極拳をしています。この地は、かつて、孫文と南方熊楠が旧交を温めた和歌の浦の地です。芦辺屋という料理旅館があって、ロンドンで知り合った孫文と南方熊楠が懇談したのです。d0067266_21251221.jpg
ここに、日中友好のモニュメントを作りたいと運動してきました。和歌山市長・県知事(前)に申し入れもしました。
このたび、和歌の浦が国の名勝に指定されたのを機会に、掲示板が立てられます。そこに、孫文と南方熊楠の再会の地であるということも書き込まれます。
私たちの本当の願いは、独自のモニュメントを作るとことですが、その第一歩です。
また、和歌の浦は、徳川時代に、中国に模して整備されました。中国の杭州の西湖の風景と大変よく似ています。杭州への旅では、そのことも紹介しました。
この地に掲示板が作られたのを機会に、日中友好と孫文・熊楠の交友を語るつどいを3月25日に開催することになりました。
ぜひとも、総領事館からもおいでいただきたいということが、本日の訪問の主旨でございます。

あわせて、日中友好についての交流・意見交換ができれば、大変ありがたいと考えております。


懇談・意見交換より(要旨)

岡本理事長から、「案内板設置」までの資料をお渡しし、「記念集会」へのお誘いをしました。また、海南市の『不再戦の集い』、和歌山市の 『中秋のお月見』、日高・御坊の『戦争犠牲者を悼み平和を願うとうろう流し』、美浜町の 『平和のための戦争展』、その他『薬草探そう会』、『きりえ教室』、『漢方相談の会』、『太極拳同好会』 のチラシやニュースをお渡しして、各支部の活動を紹介しました。
そのあと、懇談をおこないました。

☆ 四川大地震のときは、義援金を持って、橋爪会長といっしょにこちらにうかがいました。あのときの総領事は、中国にお帰りになって交通事故でお亡くなりになったのですね。
★ そうです。大変残念なことでした。
☆ 私は、太極拳をやってきたのですが、脳卒中で体が不自由になりました。そこで、リハビリとしての太極拳をひろげています。私も大分からだが動くようになりました。
★ 太極拳が、リハビリになるのですか。
d0067266_21443183.jpg☆ 春節に、水餃子をたべる会をします。
★ 日本の人は、焼きギョウザを作る人は多いのですが、水餃子をつくれるひとは少ないですね。
☆ お母さんが、八路軍の従軍看護婦をしていて、中国で生まれた会員がいるのです。
★ 都合がつけば、私たちも参加させていただいて楽しみたいですね。
☆ 和歌山市役所にいって、総領事にお会いする といったら、是非渡してくれと観光案内を預かってきました。中国から2000人ほど、船でお客さんが来てくれるという話しもあります。(観光パンフレットを渡す)
★ 確かに受け取ったと、お伝え下さい。
  先日、和歌山市のポルトヨーロッパに行った人が、中国からの観光客ばかりだったと言っていました。
★ みなさん、いろんなチャンネルで、日中友好にとりくんでおられる。自分の仕事以外のボランティアでやっておられる。どんなことでも、私たちのほうの「政治・文化室」にも言ってきて下さい。
3月25日の「つどい」には、必ずだれか参加できるようにします。
☆ 総領事は、日本語が上手ですね。
★ 私は北京外国語大学を卒業して、九州大学に留学もしました。2000年から2年間、大阪副総領事もしましたし、日本にかかわることをやってきまして、昨年12月に大阪総領事になりました。都合がつかず、まだ和歌山県を訪問できていません。
☆ 私たちの取り組みをお話したので、総領事から中国の様子などもお聞かせ下さい。
★ 日本は、昨年は災害で大変でした。
中国も東西南北ひろいので、災害もあり大変です。経済成長は、9・2%を維持しています。国民生活の改善のスピードはダウンしていますが、それでも改善に向かっています。
また日本との関係も、野田首相が北京を訪問して胡錦涛主席と会談しましたが、戦略的互恵関係を絶えず発展させ、互恵・ウィンウィンの発展をはかる。国交回復四十周年を迎え、中日両国民の交流友好年と位置づけ、政治・経済・青少年ほか、友好交流と互恵を推進し、関係を充実していきたいと考えております。
 加えて、四十周年を記念して、政府間・民間の交流事業計画をお互いに計画したいと思います。
中国からは、例年以上に訪日の予定があります。関東や東北は放射能事故の問題がありますが、その分、孫文や南方熊楠など友好にゆかりの深いところに、中国からたくさんの人々が、和歌山を含め関西を訪ねてくるのではないかと推測しております。
それに対して、総領事館も他行事に合わせ中日友好関係を強化していきたいと思っています。
日本は、バブルが崩壊したあと、失われた20年がありました。そのあと、災害で大変ですね。それでも日本はしっかりした経済基盤と、立派な技術をもっています。
中国は、経済成長のパターンも、重化学工業からエコ・グリーン・省エネに向かいます。中国共産党大会が開かれ、新しい指導部が選ばれます。
日本と中国の間には、いろいろな問題も起こりますが、それをどう乗り越えるかが大切だと思っています。
和歌山と中国、日本と中国が、世界の平和と繁栄に貢献していけるようがんばっていきましょう。


憲法9条の立場に立って
雑賀団長のお礼のことば


本日は、ありがとうございました。
日中両国の間には、領土問題など、意見が違う問題もあります。そうした問題を、日中両国人民の友好のさまたげにしてはならないし、平和的に解決しなくてはなりません。
 私たちは、日中友好の基礎を、日本の平和憲法、憲法9条に置きたいと考えています。
 侵略戦争への反省から、国際紛争の解決に武力を行使しないと世界に宣言したこの立場に立てば、一機100億円もかかるステルス戦闘機を多数買い入れる必要はありません。沖縄に、アメリカの殴りこみ部隊・海兵隊基地をおく必要はありません。日本の外交がその立場に立てば、中国も多額の費用をつかって軍事力増強する必要もなくなるでしょう。
 そうすれば、アメリカも日本も中国も、財政力の多くを、国民の生活向上のために振り向けることができるでしょう。
 本日の訪問を契機として、対等平等な日中両国の平和と友好を、和歌山の地からさらに発展させたいと願うものです。今後ともよろしくお願いします。

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# by saikamituo | 2012-02-11 21:13

文学論 スタンダール「赤と黒」1

文学論 スタンダール「赤と黒」

       和教組海草支部書記局  岩尾靖弘


(『紀北教育』第二〇号、一九六二年四月)

  気楽にしゃべりますから、あとはどんなにしようと勝手にして下さい。どんなに感じるかは勝手に判断してもらって、間違ったこともいいますが、間違った部分は大事なことでないので適当につかんで下さい。全然感じが悪ければ忘れてくださってけっこうです。また、自分の体を通して消化してもらって、別の形に発展させるものがあれば幸いです。とても無責任な形で時間をつなぎたいと思います。d0067266_1741579.jpg
  いろいろ文学論ということについては何かあると思いますが、事務局が勝手につけた内容であって、ぼくは何なにについてというふうな内容について話したいと思います。何々は何かということはしゃべった後でついてくるものと言うことでこらえてもらいたい。というほどまとまっていないし、最近は、安保体制をいかに打破するかとか、国内情勢とか国際情勢とかいうことばかり言うてるので、二、三の本を読みながら感じたものというのでご容赦たまわりたい。
【写真は若き日の岩尾靖弘さん】

いかに生きるかを考える二つの型
 

  かつて黒江小学校におるとき、その時の校長・福井英一さんと話したのですが、福井さんはいろいろ人間の生き方、あるいは如何にいくべきかということを考える時期は、一生のうち必ず一回か二回はあるというのです。また、どうしたらよいか、どう教訓をみちびきだすかという場合は二つの形があるのではないかというのです。ひとつの型は、できるだけそのものをズバッと教えてくれるものを読んで、そのなかで教訓を導き出す。端的に言えば「いかに生くべきか」という本を読むとか、宗教書を読むとか、あるいは教訓を直接ならべたててくれる論文を読むとか、哲学書を読むとか、あるいは歴史について知りたければ歴史的事実に直接ふれた本を読むという型です。
  もう一つは、できるだけ文学というものを通した、あるいは小説という形をとった、あるいは詩という形を通じて、あるいは歴史観なり、社会観なり、あるいは生き方など直接説いていないものから生き方をとらえていく型とがあるようで、前者の型がどうもワシ(福井)のようだと言われるのです。わしはどうしてもカタクルシイ本を読まんと読んだ気になれないのだ、というのです。
  それに対して、私は歴史を歴史の本によって学ぶより、歴史的事実を背景にして動いている主人公なりの生き方を通じて歴史的背景をつかむのです。端的にいえば、詩なり小説なりという形態を通じて学ぶ方が、私にとって学びやすいし、よく残ります、というような話をよくしました。
  いくらかの類型はあるにしても、多かれすくなかれ、このどちらかに属するのではないかと私は思うわけです。そういう点で教師である以上、教育雑誌を読んだり、あるいは実践報告を読んだりすることを通じて自分の実践をみがき、教師としての完成をはかっていくという面と、それから、それとは何の関係もないように見えるものを通じて何か教師としての豊かさをつかみとっていく面と、この二つの面が何か作用しているのではないかという感じを持つわけです。
  これは単なる私の感じですが、こういう点で極端に言えば、先生というのはあんまり小説を読まないのではないかという感じを抱いているのです。d0067266_17465213.jpg
  非常にむつかしい本を読んだり小説を読むにしても、古典的に誰に言われても何か自分の流儀を持ってどんどん読んでいき読みながら批判するという力は自分にはなんら持ち合わさないので、いずれおもしろいこと、おもしろさにつられて読んでいく中で知識が蓄積されて、それがいつか蓄積されたものが再生されて、そこではじめて批判検討の時期をむかえるという場合もあると思います。だから私は、いつでも本を読むのは単なる興味で読んでいきます。従っておもしろくない本はあまり読まないのです。
  というのは最近そういう傾向がとくに強くなったわけですが、かつては相当むつかしいと思われる本も単に名作だからという理由で読みました。私もそうですし、皆さんもたぶんそうでしょうが、二〇才前後の経過を見たら、何か一つの作品にとりつかれて情熱的な、強熱的にその本にとりつくという思い出をもっておられると思いますが、そういうような強熱的なもの、古典的な名作に対する評論家たちの評価に引きつけられて、最も人間の心の奥底にふれる、ごく素朴な情熱をはばんでいくような年齢の読み方というものが、つきまとっていると思うのです。
    【岩尾さんと妻・富子さん】

おもしろいかどうかを第一の基準に読む

  そういう事等考え、或はそういう経過の中で私は私流にいろいろな作品を読んできましたけれども、やっぱり面白くない本は読む価値がないと感じ、最近とくにその感じを強く持つようになりました。
  いろいろ理屈をつければ、文章上の問題、構成上の問題あるいは作者の意図がどういう形で浄化されて新しい人間が作り出され行動が展開されているかということが小説を味わう原則的なことだと思うのですが・・・・・。私はそういうことより、むしろ読んで面白いか面白くないかということを一つの基準にしています。そういう点で日本にもいろいろな小説はありますが、あまり面白くないです。おもしろいなと思って読んだ小説は余り見あたらないなという感じをいまだに持っています。
  それぞれ読んでいるときはおもしろいなと思って読んでいるし、あるいは辛抱して読む場合もあるのです。しかし、それらを読んだ日からしばらくたつと忘れてしまって何だったかなと思うような小説があまりにも多いのではないかと思っています。
  私だけがそういう感じを持つのか、文章をかじりかけの青二才がこんなヒニクれた感じをもつのかという反省をしてみますが、やはり私だけでなく終戦後こういう形で数多くの文学青年たちが日本の面白くない小説にわざわいされてか身投げをしたり、自殺したりするという悲劇がおこっています。私流に解釈すれば、日本の小説が面白い、あるいは、わくわくしながら、あるいは読んでいる間にしんみりと幸せがあじわえるような作品がないんだということです。 
この考えは、十年ほど前からのものです。こういう問題をはっきりさせようと思えば、日本の近代文学がどういう形で始まっているかということにふれなければならない。こういう問題にはいっていくと、勤評や安保や国際情勢ということばかり言っているので、それを解明する能力を持ち合わさないのです。というのは、この問題にふれようとすれば、それらの系列のなかにおける典型的な作品を読まないとものが言えないわけです。端的に言って、二、三例をあげても、日本の自然主義のはしりは田山花袋の「蒲団」と言われる。けれども、田山花袋や……とあるそれらの作品を読んだうえで、日本の近代文学がどういう中で発生し、どういう中でゆがめられ発展したかという問題は、これから作品にふれてあげていかんと具体的な問題として話すことができにくいので簡単に……。
  二、三、問題提起としてあげておきたいのです。
  一つは、近代文学の発生の特徴はどこにあるかというと、やっぱり観念的な小説とか尾崎紅葉の美文調のものとかから現実をありのままに描写すること(への発展)、美しいところだけをいっそう美しくというのでなしに、現実をありのままに冷たい目でみにくいところもえぐりだしてさらけだすということ、言いかえると暴露するところからはじまっています。これが暴露するときには外科医が手術するときメスをふるうように冷厳なのです。あたたかい血のかよった目ではどうしてもメスがにぶるという、こんなでなしにできるだけ冷たく突き放して見るということが必要になってくる。そういう小説の技法のなかで、手っ取り早く取り上げられたのが世の中を見るというのでなく、先ず自分を見るということからはじまっている。手っ取り早いことは自分という形で取り出されるのです。自分は、やはりひとつの現実です。どこかであんなにして女と遊んだとか、金を盗んだとかいうキタナイ部分を全部克明に描いていくという形を取るところからはじまっています。
  
日本近代文学の社会的条件

  それが一番手始めにされたのが田山花袋だというのですが、かれが描いたような描写は以前に日本では見られない。自分を放出してありのままに冷たい目で見つめてそれを克明に描いていくという点では非常に画期的な前進的な息吹を持った出発をしていくわけだけれど、日本の場合、それがかえって自分に溺れてしまうということになっていくのです。自分を突き放して描きだすとなにか愛着がでてくる。それをさらに突き放して一つの戯化して、それを客観的にずうと描ききっていくというところまで発展させえないで、自分を描くところで自分に溺れてしまって、他との関係をなくしてしまうという形で発展していくのです。
  端的に言って、世の中のわずらわしいことをさけるということ、そしてできるだけ何の関係もないところに自分をおいて描いていくのです。このように社会から切り離したところに自分をおいて、自分の純粋性を見いだして、自分を見つめていくということとか、小説本来が要請しているロマン性を否定するとか、物語だから読んだ人が夢を持ち、ロマンに感動する問題からできるだけさけていく、あるいは小説というのは本来的に一つの虚構を作ることだと言われているのですが、ある一つの別の世界を作ることによって、そこで人々の実感に訴えるようなものを作り出すのですが、虚構とかフィクションとかをできるだけなくしてしまうとか、人生の生きていく途上における偶発的な事件の発生をできるだけのぞいてしまうとか、小説本来の持っている面白いという感じをできるだけなくして、できるだけ自分が純粋になって、その純粋になったものを克明に描いていくという形で日本の近代的文学の発生がなされているといわれます。
  そんな形になんでなったかということについてはっきりつかんでいないが、比叡山の夏季講座での桑原武夫さんの講演があるのですが、その中で、日本資本主義が明治維新が(民主主義革命としては)不徹底の形で進み、いわゆるへんてこな形でおわり、資本主義が発達したというところあたりも、自分ができるだけ他との関係をなくし、あるいは社会のなかにまきこまれるというのでなしに、そこからさけることによってできるだけ純粋な現実凝視の法をつくっていくというところあたりにも大きな原因があるのではないかと言われている。
  こういう点について、中村光夫が風俗小説論で書いているが、狭い枠に閉じこもることによってみがきみがきして書かれた珠玉の短編集というのですか、私小説というジャンルを形成していった一つの社会的条件として、日本資本主義の変則性というのですか、社会構造の問題が相当明らかにされていると思いますのでそこへゆずらせてもらいます。d0067266_17502941.jpg
  そういうことから、私の本を読むときにおもしろくないという一番主要な基準が日本の場合には決して根拠がないとはいいきれないと自ら性格づけています。そういう点で日本の小説を読まない人は、それなりの正当性はあるのではないでしょうか。
  私はいろいろと雑学に首を突っ込むほうですので講談本もよめばチャンバラの国定忠治も読むし、浪花節の原本も読めば落語の原本も読むし、さんざひまがあれば読むわけです。やっぱり読めば読むだけの面白さを味わっている。そして読んでいくという蓄積を通じてしか批判できないということからふるいにかけられて残った作品というものがやっぱりあります。
  最近でも読んだ本で面白かったのは、こんなことをいうと人間が上等に聞こえないのですが、師範学校にいっているころ圧迫されていたので道あるく女学生は皆別嬪さんにみえた。そのころ、三人の女学生と友達になってデイトを重ねていました。そういうころですし、そういう話が向くわけですし、そう振りたい年代でありますし、映画の話としても一級品の名しかあげない、見ないのではなくあげないのです。作品についても一級品の名しかのぼせないのです。たまたま女学生三人の一人が「私が一番好きなのは探偵小説だ。」と言った。その生き生きとした彼女のことばが今でも印象に残っています。文学を味わったり、詩を味わったりすることの感動は自分一人のものです。つきつめれば、何に対して面白いのか、何に対して感動しようと一切他人に責任をもってもらわなくてよいのではないか、というつもりでいろんな作品に接してきたし、その接し方の一つの蓄積の中では相当、淘汰され浄化され、そしてあってるとしたら批評感も質的に高められたと思っている。
  やはり最近読んだ本で、「人間の条件」は面白かった。第一版が出たとき買って、誰もまだこんな本を知らんときに、面白いなあと思って読んで友達に貸したりした。それからしばらくするとベストセラーになっていたりした。あれは今まで日本の小説の中になかったロマン性なり、あるいは物語の一つの構造上の一つの構成に成功したということはあるにしてもそれだけのおもしろさだけでした。読んだあとでつまらん感じがだけがのこるのです。(次につづく)

【写真は原水爆禁止阪井大会での岩尾さん】



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# by saikamituo | 2012-01-12 22:32

文学論 スタンダール「赤と黒」2

作品の内容にふれるけれども作者の甘さというもの悲壮感だけがオーバーになって戦争という限界条件では人間がどうなるかということを設定して、自分はどちらにもいないで、どちらともつかない唯漠然としたところを見て、また、梶という人間もあいまいなかたちで悩んだり、苦しんだりするというオーバーなところが気に残って変にあいまいなと思うのです。
 もう一つ松本清張の「黒い森」などは、もしえらそうな言い方が許されるなら作者の位置がはっきりしているということでしょう。社会に対する対処のし方というものが一応はっきりしておもしろいし、小説としても構成上からおもしろい。吉川英治の「宮本武蔵」などもおもしろいけれどクサイです。本人がありますからもったいぶってるのです。だから、あまり、ピチピチした若い層にはむかないとおもいます。


「赤と黒」は読んで幸せになる小説 

こういうことから今まで一番面白いと思った本を実は紹介したかったのです。それは、スタンダールの「赤と黒」という作品です。オーバーないいかたをすれば、この本を読んで幸せになるというようによくいわれます。この本を読むときほど幸せに感ずる時はないと多くの人からいわれています。まさにそのとおり私も感じました。スタンダールの「赤と黒」をちょっと解説をすれば、訳は桑原さんと生島さんです。この「赤と黒」の訳本は他に二・三でていますが、桑原さんのが一番いいといわれ、これほどの名著はないとまでいわれています。しいて欠点をいえば訳がうますぎるということです。ひとつの本を紹介して皆さんが是非読まれるようにしてください。なんで読んでほしいかというと青野秀吉さんという人が(なくなりましたが)「赤と黒」がどこがおもしろいかという質問ほどばかげた質問はないといっています。およそ小説を読んでどことどこが面白いかというほど愚問はないというのです。と言うのは、はじめから、終わりまで読まなわからんということです。とくに、桑原さんなどもいっています。d0067266_17583591.jpg
 「赤と黒」の筋はなんだというとジュリアンソレルという町人の息子がある町の町長の家庭教師にはいってその家の奥さんとなかよくなって、追い出され、貴族の娘と仲良くなり、子どもを生ます。前の婦人から中傷され、はらたって婦人を殺して罪を問われて自分も死ぬという筋です。そんなものなんで面白いかといえば、読まなわからんということです。
 この本は一八三一年だからいまから一九六一年から引いてくれたらわかるが・・・。当時この本が出されたときには本屋はどうせ売れまいということで実際は三〇年に印刷して三〇年に出しているが、発行日をわざと一年遅らせて、出しているというほどの曰くつきの本です。当時、パリの評論家たちからどんないわれ方をしたかというと「作者の心理分析のあまりの厳しさと社会主義に対する風刺の激しさに不安を抱き賛辞をためらう」ということです。メリメというフランスの評論家が主宰する「パリ評論」にのった評論がこんなんです。

心理小説でもあり社会小説としても評価

 バルザックは「あのような重大な誠らしさの欠如を示し、あのように道徳に欠けているが称賛すべき作品だ」だけです。あるいは「我々に残っている人間性と信仰との最後の一点までも我我からうばいさるという冷ややかな哲学のあらわれだ」ともいって、たいていは筆を加えることできなくして黙殺してしまっているのです。唯、ひとりだけ予言した人があった。それはゲーテです。おかしいことにスタンダールはゲーテを「あんなもったいぶった野郎はだいきらいだ」という一番嫌いな人が彼の作品について予言しているのです。「フランスの心理小説の最高のものだと多くの人からいわれ、当時の社会情勢を的確に描いたという社会小説としての評価もされる」これはフランスの七月革命あたりの問題からもう一度検討したうえでこの問題に触れることが私の責任でもあるのですが・・・。 一口にいってフランスの七月革命があり、それに対する反動期をむかえ、そのあたりの大衆の生活状態や様子を非常に的確に描いているという定説もあるのです。これは作品の所々にでてきます。例えば、ある貴族が御者を乱暴にようあつかわないのです。これは彼らがまた主人公になるかもわからないからということを恐れ、その時は、私の首を大切にしてもらいたいという不安と押さえつけようという反動的な社会の様子が簡潔にえがかかれているということです。あるいは、あるひとつの階級の考えなり観念というようなものを克明に表した最初の作品だというともいわれています。なお、ひとつ現在のフランスの作者たちがどういう作品に影響を受けたかというアンケートのなかでスタンダールの「赤と黒」が一番おおかったという圧倒的な結果がでています。
 はじめどうしても売れまいと一年も発行日を本屋が遅らせてだした本が今日まで生きておるという内容をどうしてつかんでいくかということが、この作品に対して一番基本的なことになるでしょう。なお「赤と黒」意味ですが、赤は軍隊、軍隊はナポレオンをあらわすもの、黒は坊さん・僧侶です。当時、ナポレオンのころはどんな平民も、どんな百姓も武器を持って闘って、武器の力で栄達できた。非常に解放的な進取の気性に満ちた人間というものがたくさんおったが、現在においては平民は上にのし上がるにあがれないということから、わずか坊さんになって栄達するという道しかなかった。という中で権力を握っていったという模様を象徴しているともいわれている。ところがスタンダールはこれにはなにもいっていない。
 もう一つ読んでもらうために青野さんが「スタンダール覚え書き」という短いレポートのなかでいっていることを紹介すると「私は少青年時代にスタンダールを読まなかったことを後悔している。ジュリアンの若さと夢とモラルと幸福がつよく働きかけてこないはずはなかったろうと想像されないことはない。ジュリアンは誰のなかにもひとりでもみごもっており、時代の像をこえて永遠の像として生きており、唯それが少青年の時代に牙をぬかれ、または殺されてしまうかそうでないかの違いである。その違いは大きい。」誰にでもジュリアンがもっているロマンスと夢とモラルと幸福はおよそ人間が生きているかぎり持っているし、心の底に眠っているものだというのです。それがどのように伸びていくか、あるいは若い頃になんらかの条件でその前がつみとられるかということで生き方が変わってくるということを指摘しているのです。
 また、「私のジュリアが顔をもたげないうちにしめ殺されてしまった。もし、・・・の変わりに「赤と黒」を読んでジュリアンという主人公に接しておったらばもっと違った形で生き方かたがあったに違いない」と感想を述べています。ことに二〇才前後少年期から青年期にかけて、こんな作品にふれるのとふれないのとでは大きな違いがあるんだといってるのです。そうにしてもまた、いま読んだにしてもわたしのジュリアンが心のどこかから、ジュリアンのロマンと夢と幸福がつかめないというのではない。それほど強烈なものを受けると感想を述べています。
 あるいは「罪と罰」の主人公にラスコルニコフという人があります。彼は質屋の婆さんが生きててもしかたないとして殺してしまいますが、彼と比較して「私はラスコルニコフと一緒にいき、行動しない」「みている」というのです。但し、ジュリアンの場合はそうはいかん、ジュリアンに同化してしまって一緒に行動するというのです。
 こういう単純な指摘もなされています。ジュリアンは町長のベナール夫人と恋愛して追い出されるわけですが、一旦帰ってきて、梯子で夫人の部屋にしのびこむことの例を挙げて私はジュリアンと一緒に梯子をかついで夫人の部屋にしのびこむとまでいっています。
 ジュリアンはどんな人かと聞かれていうとすれば非常に偽善家です。自己をあらわすひ非常な才能を持っている。虚栄心の満々たる猛烈な野心家でジュリアンから野心を抜いたらなにもなくなるほど強烈な野心家です。その野心に支えられて生きていくというような性格です。それにしたがって非常に冷酷です。あるいはエゴイストです。そういう盲目的激情的感情の持ち主です。いわゆる社会の悪徳をすべてひっさげ備えているということなんです。あらゆる美徳をふみにじって平然としている人間が描かれているのです。

主人公ジュリアンで色々な人間を描く

 それがなぜ私たちを引き付けるのかというのですが、それについて誰も明確な答を出していません。それぞれの人がこの本を読んだ感動でもって直接ジュリアンに接していくという以外に回答はでてきません。いいかえるとすれば「我々は非常に高貴な魂とだけ対決せなあかん」ということとか、低くて狭い魂ほどつまらんものはないとか、最高の勇気とはあらゆる悪徳とあらゆる善とに打ち勝つときにあるといわれています。最高に大事なのは悪にも善にもさらに越えたところに魂の光が輝く何らかのものを持ってるものがあるという、こんなものをジュリアンのなかによみとるものがよいとされる。通常我々、善とか悪とかいっている中でなされている行動の評価で描かれているジュリアンを通じて描かれている色々な人間は悪いことしてもよいことしても滑稽にみえるのです。ここらあたりが日本の小説と違ってくるところです。日本の小説に喜劇性がないというのもこんなところにあるのです。
 さらに善とか悪とか醜いものとかいうものを超越した所からみれば滑稽なとこもでてくれば、深刻な所、楽天的なとこがでてくるということです。こんなところが興味のまとになっているといって違いない。
 それから最後に青野さんのまとめは「ジュリアンは臆病者である。例えば家庭教師になる家のレナール夫人という素晴らしい美人ともう一人のレジット夫人と三人が庭で暗くなって話をするのです。たまたまレナール夫人の手がジュリアンの手に触れるのです。しかし、夫人はその手を引っ込めるのです。ジュリアンはこれを侮辱されたと見込んでなんとかしても握りかえさないとおさまらんという義務を感ずるのです。自分に対する自分の高貴な魂がけがされたと、絶対に握るという義務を果たさない限り自分の魂は救われないとして一〇時になるのを待つわけです。冷汗たらたら何をしているのかわからないくらいになってしまうのです。それほど強烈なのです。一〇時の鐘がなったら自分の義務を果たすためあらゆる障害を乗り越えて握りにいくわけです。払い除けられるがまたギュッと握ると夫人の方からも握り返してくるというくらい卑俗に聞こえるがその間の心理の移り変わり、そこらのニュアンスというものの素晴らしさは読んでみないとわからん。
 また恋愛小説としても素晴らしい作品だと思うがありきたりの物のつもりで読むと所々で立ち止まります。どんな所かというと初めて部屋のなかに偲びこんで一夜をあかすんですが、何した、かあしたというのでなしについ読み切ってしまってキスしたとかどうとかいうことは一つも描いていない。ところがそこを読むときはまったくうっとりさせられます。恋愛的な感情に移ってしまって常人がするようなことこの人らどこでしたのかとお下劣な人間なら探すというほど素晴らしい恋愛描写があちこちにあります。レナール夫人とこから追い出されてラモール侯爵ところの娘と仲良くなって貴族の集まりに列席して、野心家ですから喜ぶわけです。その時レナール夫人から投書が入ってジュリアンは野心家で自分の栄達のために何もかも利用するという手紙をジュリアンは読むわけです。ジュリアンはすぐさま怒って教会の中におるレナール夫人を射ち殺すわけです。ここがこの小説の一番悪評のあるところらしいですが、これだけの野心家がたった一片の中傷の手紙で自分の生命を捨ててしまうというほどとりみだし、人を殺すとは理屈にあわんとうのです。ピストルで射つ時もレナール夫人と顔を見合わせる。その時にうたんとそむけた時に射つという最高に好きな人を射つという心理描写がほんの二・三行の中に描かれているのです。

  「赤と黒」と「パルムの僧院」、どちらが名作か


 尚「パルムの僧院」という小説もあるがこれとどちらが面白いという論争では後で読んだ方がおもしろい、後で読んだほうが名作とするのが答えらしいです。それほどよくできているということと比べるのは馬鹿らしいというものでしょう。文学作品を味わうときはやはり本当に自分を大事にするという面があります。これを教育という部面に入ったときでもおなじこといえると思う。言い換えると、読んでええなとすまして通ってよい教材とあるじゃないか、あってしかるべきだというのと読んでええなあすまそうという教師の配慮があってよいということです。こんな教材の扱い方をもう少しやってよいのじゃないかな。楽になるとかならんとかいうことはもちろん含んでます。映画をみてもすぐ理屈をいいたがったり、すぐ理屈でまとめあげさせようとしたりしないと気がすまんということから教訓垂れたもうおいうやりかた、こんな習性はなくしていくほうがよい。そのため小説を楽しんでほしい。


 本稿は、一九六一年の「紀北教育研究会」夏季合宿での報告である。中山豊先生の字でガリが切られている。当時、岩尾先生は、和教組海草支部専従書記長、中山先生は起訴休職で海草支部書記局で仕事をしていた。

「紀北教育」第二二号(一九六二年四月)より

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# by saikamituo | 2012-01-12 22:30

父・紀光についての雑感

父・紀光についての雑感



(一)
 わたしの父は、雑賀紀光という絵かきである。紀光の子であることを知ると、ひとはわたしに「あなたも絵をかくんですか」ときく。全くダメである。
中学時代、美術の先生がわたしを呼んだ。
 「雑賀、作品がでていないぞ。やりかけがあれぱ仕上げて出せ」
苦手な美術の作品提出の催促など、無視したいところだったが、絵の教師の子にあんまりな点もつけにくいという先生の立場も考えて、しわくちゃやにした作品をひっぱり出し提出したことがある。
 わたしは「絵かきの紀光さんの息子で」と紹介されるのがいやであった。三○代になっても、父のワクよりずっとせまいところにいることを思い知らされる。
 あるとき、北又前和教組委員長から、農民組合の委員長にひきあわせていただいた。
 「この人は絵かきの紀光さんの息子で…」「雑質さんというと、もしかしたたら
海南の教員組合にいた方では………」わたしは大得意になった。「どんなもんだ。
おやじを知らんでも、ぼくを知っている人がいるんだ」と。 
(二)
 父の絵は、だれにもわかりやすい絵てある。いわゆる「芸術家」型でなく「職人」型の絵である。
 このことについて父が、ふともらしたことがある。「ミケランジェロも、ダビンチも職人だった。時代のたかまりの頂上にいる職人だった」と。
 凡人の父とミケランジェロを比べるのではないが、「○○○も職人だった」というところが、なぜか今も心にのこっている。
 きのう、こんなことばをみつけた。「もし私が遠くを見たとすれば、それは巨人の肩の上にのっかってみたのだ」(ニユートン)。高田求さんの「未来をきりひらく保育観」という本の中である。
 ふと、こんなことを考えた。「すばらしい教育実践にとりくんでいる一人ひとりの仲間たちも『教え子を再び戦場に送るな』という合ことばのもとにすすめられてきた民主的な教育運動の肩の上にのって可能なのだ」と。
 このことは、ニユートンの天才を否定していないのと同様、日夜、子どもととりくんでいる一人ひとりの教師の血のにじむような個人的努力や教育的力量の高さを無視するということではない。
  (三)
 父は、革新懇の世話人に名をつらねている。かといって革新的入物ではない。奇術に凝っていた当時は警察とのお付き合いも長かった。「絵を買ってくれるのは、自民党の先生方のほうが多いから………。」ともいう。いつか、保守の有力者が、銀座の個展にならべた絵の一枚を自民党本部だか首相官邸だかにかけるといって買ってくれたといってよろこんでいた。本当にかけてくれているかどうかは知らないけれど………。
 そんな父も、戦争だげはいやだという。体の小さい父は、徴兵検査で五玉をはねられた。「お前はもうい!」と記録もしてくれなかったという。おかげで終戦まで召集をまぬがれた。「召集されていたら生きていなかった」と小さいころ父にきかされた。戦災のあと、やけのこった家財を荷車につんで「次の電柱まで。次の電柱までJと自分にいいきかせ、はげましながら、海南の借家までたどりついたことなど……。弱々しい人間の、ごく平凡な戦争体験でしかないけれと、自分の孫たちにそんな経験をざせてはならないとだけは思っているようだ。
 そのことだげ思っていてくれれば、革新想のメンバ-としては十分だろう。よびかけ人や世話人というがらではないけれど。
 「彼は決して政治を求めては行かなかった。ところが政治が彼を求めてきた」(ロマンロラン「魅せられたる魂」第九巻)という、戦争と平和の問題にだれもが無関心でおれない時代に、また、さしかかっている。
                         (一九八二、五、三)
………………………………………………………………………………………………
 父のことについて、ふと雑文をかいてみたくなり、どこにのせるともなく書きとめておいた。父が野間さんを推せんしだ機会に、ひっぱり出してみた。
(和教組書記長) (「和歌山民報」掲載)
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「あとがき」にあるように、「和歌山民報」にのせるために書いたものでなく、自分の手記である。「和歌山民報」の下角さんに見せたら、「これは面白い」と載せてくれた。
 生前、親に一言も親孝行の声をかけたことのない息子が、「民報」紙上で親父に送った親孝行の言葉である。父とこのことについて話したことはないが、母が「お父ちゃん、よろこんでたよ」と言っているのは聞いた。父と息子の対話の少なさというのは、こういうものであろうか。
 日本共産党から「お父さんに野間さんのパンフレットに推薦をいただけないか」と相談を受けたとき、私は、こう答えたと思う。
「僕は、絵の依頼でもなんでも、自分で親に頼まないことにしている。いろいろ引き受けている親父が、息子の義理でまで仕事を引き受けてはかわいそうだと思うから。僕には無関係に話を持ち込んでほしい」と。
父が野間さんの推薦を引き受ける判断をしたのには、野間さんへの評価とともに、当時の父は、「自民党の先生」に気兼ねしなくても誰でも絵を評価してもらえるという絵描きとしての自信を持てるようになったことに加えて、息子が野間さんにお世話になっていることへの配慮もあったかもしれない。
 一方、この文を、「民報」にもち込んだ私のほうにも、父の立場への配慮がはたらしていることも読み取っていただけよう。
ところで、その父が、野間さんのパンフレットに寄せた言葉。
「………野間さんは立派だ。その野間さんを毎回国会に送っている和歌山県民も立派だ。」
県委員会の松葉さんが「ええことばやなあ」と言ってくれたが、僕も、親父にほれ込んだ言葉である。
(父の死後、HPに載せるにあたって書き加えた)

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# by saikamituo | 2012-01-12 12:46