雑賀光夫の徒然草

saikamituo.exblog.jp
ブログトップ

「儒子の牛となる」探訪

(一) 議員の仕事は「儒子の牛」

 県会議員になって、6年近くなる。お酒を飲みながら、「議員とはどういう仕事なのかな」と考えた。
 ふと、若いころ魯迅の詩として覚えた一節を思い出した。「眉をひたたえて千夫の指に対し、首を臥して甘んじて儒子の牛となる」と記憶していた。いつ覚えたものか。まだ高校生のころ、姉が読んでいた「アカハタ」新聞か「民青新聞」に紹介されていたような記憶がある。 
 けれどもその原文を見たことがない。インターネットで検索できないだろうか。「眉をひたたえて」と検索したがヒットしない。「儒子の牛となる」で検索したらでてきた。
 「岩辺泰史の午後の歩き方」のブログに、神田の「兵六」という居酒屋にいったときのことが出てきた。
「山住正巳先生が好きだった魯迅の言葉が額に入っている。「冷ややかに眉を横たえて千夫の指差しに対し、頭を垂れて甘んじて儒子の牛となる」(だと思う)というもの。」
 岩辺泰史という方は「ランドセルが運ぶ風」などという教育書を出しておられるかただが、読んだことがない。山住正巳というのは優れた教育学者だったと思う。ああ、こんなひとたちが、この詩句に思いを寄せていたのかとうれしくなった。

(二)創価大学の創立者に教えてもらった出典

 さらに探してみると「創価大学創立者の講演」がでてきたのは意外だった。そのなかで、「眉を横たえて冷(ひやや)かに対す千夫(せんぷ)の指、首を俯(ふ)して甘んじて為る儒子の牛」(「自嘲」松枝訳)を紹介し「"たとえ千人の敵から指弾(しだん)されようとも、眉をあげて、冷然と立ちむかう。しかし、幼子のためには、頭を垂れて、甘んじて牛となって、背中に乗せてあげる"との心である。
 傲慢な権力とは、いかなる迫害を受けようとも、断じて戦う。
 誠実に生きる民衆には、尽くして尽くし抜いていく。
 この民衆愛の精神こそ、新中国をつくった若き指導者たちの魂であったのだ。」と紹介している。ここで出典をはじめて知ったのであった。

(三)  魯迅の原文をたずねて
 そこで「自嘲・魯人」と検索して、はじめてその原文に出会うことができた。
ところが、その解説を読んでみると、私が「議員活動の指針」として思い出した趣旨とは、すこし違うようなのである。
 解説は、次のような結びになっている。「…そのような意味であるから『自嘲』と題が付けられた。魯迅は時節の急変に即応できない自身の心中の懊悩を文字にしたのではなかろうか。闘将であればこそより一層戦うべきであるのに、日本租界にいて中国国内の文壇、“旧思想”と闘っている自分の姿に“自嘲”の念を懐いたのではなかろうか。
 その後、魯迅は毛沢東より高く買われ、上記の『在延安文芸座談会上的講話』でも、英雄的であると褒められ、「”千夫”とは敵のことである、…孺子とは、プロレタリア階級と人民大衆である…と如何様に凶悪な敵であっても、我々は決して屈服しない…」とまでいわれたので引っ込みが附かなくなったのではないか。…魯迅の作品を見て謂えることだが、彼は作品の主張を言明した用語、用字は、ない。反語、諧謔はままあるが。しかし、読み進めば、全体として、主張がよくわかる、というやり方である。
 魯迅は、確かに闘将である。感性豊かな闘将なのである。何如。」
このホームページの作成者はどういう方か分からないが、この解釈は説得性をもっているように思われる。そうだとすれば、創価大学の創立者の方も誤解しておられることになる。
 私は、久しぶりで「毛沢東選集」をひっぱりだして、「文芸講話」を目で追った。「自嘲」の詩句は、その最後で紹介される。「毛沢東」についてはずいぶん読んだつもりだったし、「文芸講話」も読んでいたつもりだったけれども、私の記憶にはまったく残っていなかった。人間の記憶というのは、妙なものである。

[PR]
by saikamituo | 2008-11-14 21:59