人気ブログランキング | 話題のタグを見る

雑賀光夫の徒然草

saikamituo.exblog.jp
ブログトップ

私の原点

 古いフロッピーを検索したら、和教組委員長になったとき和歌山大学におられた碓井先生と対談した原稿がでてきた。
 実際に対談はしたのだが、自分の発言に加筆する原稿を作って、つきあわせて、スペースにあわせて削って対談を仕上げた。
 ここに収録するのは、削る前の私の原稿。わたしの原点を語っているようだ。

「月報」碓井・雑賀対談 雑賀部分原稿案

雑賀 大学は経済学部でした。高校時代は海南高校でどんぐり会どいう部落問題研究会にであいまして、そこから社会のこと教育のことに目を開きました。

雑賀 和責連という高校生の責善教育をすすめる組織がありました。海南高校でその役員になったので、部落問題にふれ、ドングリ会をつくる一員になるのですが………。私が1年生のとき、県教委が「責善教育」を廃止して「人尊教育」を押しつけた。高校生のなかでもおかしいじゃないかと論議しました。そのリーダーだったのが、星林高校3年生だった、いま西牟婁におられる加藤元昭先生。私などほんとにうしろからついていく影の薄い存在でした。
その後、海南高校には東上高志先生や住井すえさんが見えて部落問題についての講演をされるのですが、当時の校長は、涙を流しながら天皇崇拝を語るような方でした。そこで、校長が反対の立場の講師を呼んで講演させる。その時の講師先生や校長を相手にしても論争するようなことにもなりました。ややはねあがった高校生でした。

雑賀 大学に入学して、部落研で子ども会活動などするんですが、勉強か子ども会かなやみました。子どもとかくれんぼしながら「こんなことに時間をつぶすより、資本論を読みたい」と思い「資本主義的生産様式が支配している社会の富は膨大な商品の蒐集として現れ、個々の商品はその要素形態をなしている」という資本論冒頭の文句をくちずさんでみた思い出があります。もともと、人や子どもと交わるのが下手な人間でしたから。

雑賀 教員になったのは、1967年。海南市立野上中学校(今の東海南中学校)がかけだしです。英語の免許が取りやすかったので英語の免許をとりましたが、受験英語しかやっていないから、英語が話せない英語教師です。教員の採用試験は、京都・大阪・和歌山の高校全部落ちまして、和歌山の中学校にだけすべりこみました。
 部落子ども会などやってきていましたから、民主的な教師になりたいという気持ちはありました。でも教師の仕事は、理念だけでできないでしょう。未熟な教師でした。英語の授業も、教えるのが下手だから騒がしくなる。子どもともうまく行かない。自分は教師に向いていないとおもって、『教師をやめたい』となやんだこともありました。
 担任しているクラスに、しょうのないのがいましてね。授業妨害する、クラブ活動のじゃまをする。そのうち、まじめな女の子が日記に『先生は優しすぎるから男の子はまじめにしないんです』と書いてきたときは焦りました。前の日から、今度騒いだら殴ろうと決めて、自分の頭を殴って、手加減を確かめました。マカレンコというソビエトの教育学者の教育実践記録(教育詩)に子どもを殴る場面があることを知っていましたから、それを読み返して、「なぐってもいいんだ」と自分に言い聞かせました。
明くる日、ニュープリンスリーダーズの教科書でその子の頭をはったかしたのを今でも覚えています。教室は、一瞬静かになりました。女の子は日記に「今日の先生はいつになく厳しかった」とほめてくれました。でもそんなことでうまく行くはずがありません。子どもたちの反抗はいっそうひどくなりました。
一学期最後の個人面談のときです。僕は、親に言いつけるつもりで、子どもの悪いことをノートに書き付けて待ちかまえていました。お父さんが来たのは、面談の最後でした。私の話を聞いたお父さんは「いろいろ迷惑かけてすみません」といったあと、家庭での子どもの様子を話し始めたのです。
 「家内が病気なので、あの子が食事の支度をしてくれます。わし、このあいだ『もっとうまいもの食わしてくれ』といったんです。そしたらあの子は『お父ちゃん、うまいものつくろと思ったら、お金かかるんや。お母ちゃん病気でお金かかるんやろ。僕もしんぼしてるんやから、お父ちゃんもしんぼしてくれ』…………」
 私は、頭をがーんとやられたような気がしました。なんと自分はこの子の本当の姿を知らなかったのかと。その話を、そのあとある研究集会で話したのですが、その私の話をすごくほめてくれたのが、なくなった岡本佳雄先生でした。
今になれば整理してきれいにはなせますが、その渦中では大変です。10数年前、和教組は「体罰はやめよう」という呼びかけをしました。その中心になったのは森畑教文部長から「雑賀書記長はこのことについて自分の意見をいわんやないか」と迫られたのを覚えています。そのとき、未熟だったころの自分を思いだし、自分が現場の教師だったらどうだろうと考え込んでいたのです。

雑賀 クラブ活動のことを話しましたが、野球部の担当をしました。オンボロチームを県大会大三位まで導いた名監督なんですよ。先日、野上町の教育長にお会いしたら、「あのころ『雑賀というやつはノックもまともにできんのに、チームは強くなるじゃないか。どんな指導をしてるのか聞いて来いよ』など担当の先生に冗談を言ったことがある」とおっしゃっていました。その教育長さんは、当時、野上中学校(野上町立)の先生だったものだから。
手の豆がつぶれて血が出たので、保健室に包帯をもらいにいって下手なノックでしごきましたよ。外野ノックは、ワンパウンドでしかとどかないが、はずれた方に打って走らせる。今でも、トスバッティングをすれば、きれいにピッチャーにワンパウンドで打ち返しますよ。

雑賀 英語を話せない英語教師ではつらいので、仏教大の通信教育で社会科の免許をとりました。
 英語のことで、もう一つ、お話ししますと、15年ほど前にヨーロッパに行ったとき、フランスのホテルでルームキーを部屋に閉じこめましてね。フロントへ行って”My kee is in the room (door)バタン. と身振りでやったら通じました。帰国して報告集会でその話をしたら、ヨーロッパの教職員組合の話などだれも覚えていてくれないのに、バタンの話は、いまでもみなさん覚えてくれています。

雑賀 社会科の免許は二年間使っただけで、1974年に海草支部の書記長になり、そのあと本部にきました。
ストライキ万能論を克服して、「ストライキをふくむ多様な戦術」といわれたころ、「私と職場の要求運動」という提起をしました。西牟婁の書記長さんの報告。「一年生の子どもの親から『土曜日のパンとミルクだけでいいから食べさせて帰らせてほしい』という要求があって、校長先生と話し合って解決した」という報告です。朝早く、山の上の家を出て、帰りはおなかをすかせてぐったりして帰ってくるというのです。その話を聞いてすごくうれしかったのです。こういう具体的な要求が職場でとりあげられているということ、さらにそういう話が本部執行委員会で報告されるのは、職場の組合員がこうした職場での活動を本部が大事にしていると思っているから、報告してくれたと思ったからです。

雑賀 私は、現場経験がすくないだけに、学校現場の話や父母の声を努めて聞くようにしています。数年前に「いじめから子どもを守るネットワーク」というのを、子ども劇場のかたと協力してつくったことがあります。「ニュース和歌山」に紹介してもらって、初対面の方々にお会いしたのが、すごく新鮮でした。そのネットワークで「学校は楽しいですか」などのアンケートを子どもから集めました。三〇〇ほど集まったのですが、小学校三年生の女の子が「楽しくない」と答え、「どうしたらいいですか」という問に「学校がなくなればいい」と書いていたのは、ショックでした。

雑賀 先日、「教育実践・運動交流集会」を開いたんですが、「子育てサークル」をしているお母さんが報告してくれました。「県教研だとか母親大会だとか、『キャンペーン期間』には先生方も参加してくださるんですが……。私などはつきあいが長いからそれでもいいと思っています。でも若いお母さんからは、厳しい意見もあります。」というお話でした。
こうしたお母さんたちが、いま、「開かれた学校」を求めている。「きのくに子どもサポートネット」などにでかけて、隅っこでお母さんたちの話を聞くようにするのですが、教育に関心を持つお母さんたちが、文部省の「開かれた学校」という言い方に幻想をもつ。「日の丸」「君が代」の押しつけをしながら「開かれた学校」などあったものじゃないんですがね。

雑賀 おなじ研究集会での、大成高校美里分校の報告もおもしろかったですね。地域にねざした学校になっている。町長さんも分校を大事にしてくださっている。
 数年前に、市町村長・教育長と対話してみようと五〇市町村中、19市町村まで1年半ほどかけて訪問したことがあるんです。「組合といえば要求書を持ってくることが多いんですが、今日は教育問題についてご意見を聞きに来ました。教育を守るために立場の違いを越えて協力したいと思うからです。教職員組合へのご意見もお聞きしたい」と切り出しましたら、ある町長さんなどは「わしら教育については素人だ。教育の専門家である先生がなぜわしらの意見を聞きたいと言うのですか」とおっしゃる。そこで「教育のことは教師や学校が一番よくわかっていると思ったら大間違いだと思っています。胸を開いて県民のみなさんのご意見を聞かなくてはならないと思うんです」と申し上げました。すると、堰を切ったように子どもと教育への思いを語り出されるのです。地域に行けば、子どもは宝物です。保守も革新もありません。
いま、こうした立場で「開かれた学校」を作らなくてはなりませんね。それは、民間人を校長に登用したり、文部省流の「学校評議員」をおかなくてはできないことでもない。「学校評議員」についていえば、PTAを軸にして幅広い地域の人々、さらに子どもの声も学校運営に反映できるような「開かれた学校」づくりをすすめなくてはならないと思っています。

雑賀 おなじ研究会で、伊都の先生の障害児教育の報告を聞かせていただきました。情緒障害の子なんです。卒業式のような時でも舞台にかけあがったりする。お母さんは「卒業式は休ませようか」と悩まれる。でも、「舞台に駆け上がる」というのも「発達段階」なのですね。なにもできなかった段階から、自分を抑制できないが表現できる段階へ、さらに自分を抑制できる段階へ発達するステップだという捉え方をして、子どもの発達を、口答詩などでつかんでいく実践でした。
こんなすばらしい実践をきくと、私は、いつも同じ質問をするのです。「教師というのは、免許状をもって採用試験に合格したら一人前というわけではないと思います。先生は、子どもを見る目や感性を、どこで養われたのですか?」と。未熟だった、しかも子どもや人と交わるのが上手でない自分と重ね合わせて質問するのです。この先生は、サークルが自分を育てたとおっしゃいましたね。

雑賀 私は、あまり遊びをしらない人間で、趣味は読書と囲碁ぐらいかな。囲碁の師匠は、この民研の楠本先生。「囲碁には囲碁の独自の法則があるから、勉強しなくては強くならない」としかられています。
読書も晩生でしてね、文学少年という時代を経ず、二〇才に近くなってから日本文学も世界文学も読み始めた。「戦争と平和」も「アンナ・カレーニナ」も「レ・ミゼラブル」も読んだのは教師になってからですね。先に経済学や哲学などの古典にふれて、社会科学の古典家たちは、こんなに文学的教養があったのかと読み出したようなわけです。最近、ゲーテの「ファウスト」がおもしろくて何度も読み返したり。ごく最近読んで強烈だったのは、山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」でした。
日本の作家では、松本清張も田辺聖子も藤沢修平も内田康夫もなんでも読みますけど、繰り返し読むのは夏目漱石ですね。「我が輩は猫である」は、本がすり切れるほど開いたところを読みました。どこでも開いたところを読むのがおもしろいという本の読み方の話が「草枕」にでてきますね。
なぜ漱石が好きかと考えてみると、「漱石文化」という言葉があるんですね。戸坂潤という戦前、官憲にとらわれ獄死した哲学者が使った言葉なんです。「岩波文化」とも「教養主義」ともいう。いい意味にも悪い意味にもとれますが。労働組合の役員をしながら、そういうものにあこがれるところがある。昔、子ども会でかくれんぼしながら資本論をくちずさんだところに自分の原風景があるような気がしています。
 人にすすめたい本を1冊だけと言われれば、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」(岩波文庫)をあげます。以前は、国語の教科書に出てきたのですが、最近は、でてこないのではないでしょうか。
1937年にかかれた本で「日本少国民文庫」の一冊だったそうです。満州事変から太平洋戦争へというあの暗い時代に、「せめて子どもにだけはいいものを」という思いから、「路傍の石」の作家・山本有三が中心になって編纂した文庫なんですね。山本有三が体をこわしたため、編集を手伝っていた若き吉野源三郎が代理で書いたというものですが、書物ができたいきさつもふくめて、すごく感動します。道徳教育の教材として読み聞かせに使っている先生もおられるのではないでしょうか。「日の丸」「君が代」の押しつけでやりきれない気持ちになったとき読み返してみると、「日の丸」「君が代」の押しつけにやっきになっている人たちが哀れにみえてくる。

雑賀 最近は、インターネットに、はまっています。和歌山大学と碓井先生のホームページもよく見に行きますが、自分でもホームページをつくっています。自分が書いてどこかに載せた文、発表する当てのない文を全部入れています。そしたら、東京の私立大学のフランス唯物論研究者がメールをくれましてね。「あなたのホームページはおもしろい。パスカルやディドロとくらべて、今の哲学はどうだろうと思ってるんだが、あなたのホームページには時代に応える力がある」というような、過分のことばをいただきました。もう一人、大企業の管理職を退職した方とも知り合いになって、三人で毎日のようにメールの交換をしています。

雑賀 学校現場が大変なとき、しかも政治も教育も大きな曲がり角に来た時期に大任を引き受けてしまいました。前任者の阪中先生が10年間委員長をつづけられた後だけに、すぐにそんな具合にはいきませんが、組合員や役員のみなさんに助けていただいて、乗り切っていきたいと思います。

by saikamituo | 2007-09-30 00:09