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雑賀光夫の徒然草

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30年ぶりの「資本論読書会」

30年ぶりの「資本論読書会」(その1)

1 海南市で3人で「資本論読書会」をはじめた。「資本論」を冒頭から読み合わせをしていく。こうした学習会は、50年ほど前に教え子の女性ほか数名と海南市の喫茶店でやったこと、30年ほど前に、県教育会館で、書記さんたちとやったことがある。今度で3回目。60歳を超す男3人の殺風景な学習会である。社会科学研究所版「新訳資本論」を中心にし、ドイツ語版、英語版なども一応そばに置いている。

2 Elementarformの「訳語」問題

 「序文」を一つだけ読んで「本文」にはいる。

 「資本主義的生産様式が支配している社会の富は……個々の商品はその富の要素形態(Elementarform)として現れる」という有名な書き出しです。

宮本百合子の小説「道標」に主人公(伸子)が蜂谷という経済学者に資本論の講義をしてもらう場面がある。

 伸子「すみませんけれど、わたし、経済の勉強って、これまでしたことがないでしょう? だから、専門語かもしれないけれども成素形態なんて言葉、考えてみなけりゃ意味がわからないんです。あたりまえに言えばエレメンタルな形態ってことじゃないのかしら。」

蜂谷「大体そういう意味だといってもいい。しかしこまかくいうとドイツ語では英語のエレメンタルというよりも、もっと複雑で有機的な内容なんだが」

「成素形態」というのが当時のElementarformの訳語でしょう。たしか岩波文庫はこの訳語をひきついでいたと思うし、「細胞形態」「原基形態」「基本形態」などいろいろな訳語があった。


「社会科学研究所版」は、旧訳から「要素形態」になっている。「エレメント=要素」。「なんと素直な訳なんだろう。そして、宮本百合子はいい感覚してるね」など30年前の学習会で話題になったのでした。

ところで、最近気がついたのは、Elementarformは、英語版では、elementではなくunit(単位)という単語が使われているのです。蜂谷さんはじめ皆さんずいぶん気つかっているのに。どう考えたらいいのでしょうか?

次回(第三回)読書会は、105火)午前AM9:30 海南生活相談所

研究所新訳版P77 「第二節 商品に表される労働の二重性」からです。


30年ぶりの「資本論読書会」(その2)

3 「さしあたり」「ひらがな」に意味がある。

50年近く前の学習協「資本論講座」で吉井清文さんは自分のお師匠さんである堀江正規先生のことを語られました。

「受講者は、むずかしい言葉の意味を聞かれると思って調べてくる。堀江先生は『それゆえにわれわれの研究は』の『それゆえに』というのはどういう意味なのかと受講者に問いかけるんです。第一回目の学習会は『それゆえに』だけを議論して終わったんです。」

私はいまだに「それゆえに」にそんなに意味があるかよく分かりません。堀江先生は、一流の文章を読むときは「拘って読め」というのでしょう。

*堀江先生の講義を吉井さんがまとめた「文章の読み方」という小冊子が「学習の友社」から出ています。県学習協事務局にあるでしょう。

私たちの読書会では「さしあたり」という言葉を問題にしました。

「交換価値は、さしあたり、……交換される量的関係、すなわち、比率としてあらわれる。」(P68)ともすれば何の問題もなく読み過ごすところです。

「さしあたり」(表面的には)二つの使用価値の「交換比率」として現れる。しかし、さらに分析を進めると、商品には「社会的に必要な労働の量」という価値の実態があることが明らかにされます。(P73)「さしあたり」◎◎という言葉は、「その本質は」●●という考察への「予告」として、「拘って」読まなくてはなりません。

4 何回読んでもわからない、だれか教えてください

 P74-75で、金やダイヤモンドは少量でも多くの労働を要しているから多くの価値があるというのは、よくわかります。「ジェイコブは金がかっつてその全価値を」という問題は解決します。そのあとのブラジルのダイヤモンドとコーヒの話で混乱。ダイヤモンドの産出に「より多くの労働を、したがってより多くの価値を表していたにもかかわらずそうだった(80年間のダイヤ価格が1年半の農産物の価格に及ばなかった)のである。」

ブラジルのダイヤモンド鉱山はアフリカなどにくらべて質が低かったということなのでしょう。それなら、「多くの価値を表していた」わけではない。アンダーライン部分だけ削除してくれたら納得ですが
 

河上肇「自叙伝」と望海楼 

30年ぶりの「資本論読書会」(その3)余論

5 資本論研究の河上肇「自叙伝」を読む

 戦前の資本論研究で有名な河上肇(京都帝国大学教授)は、実践の世界に入り日本共産党に入党し、獄につながれたのでした。

 辿りつき振り返り見れば山河を超えては越えてきつるものかな

(河上肇が入党への思いをうたった歌)

私は、有名な「自叙伝」を今頃になってベッドに持ち込んで読んでいます。学生時代「河上祭実行委員長」をしたころは、読んだようなふりをしていたのでした。

 河上肇は、50歳ぐらいのころ、和歌浦の望海楼で一か月、静養していたのでした。高級旅館で食べ物も女中さんのサービスもすばらしいと書かれています。

望海楼というのは、夏目漱石も和歌浦にきて泊まった宿ですが、河上肇が滞在したことを初めて知りました。この時期に経済学者・櫛田民蔵から「あなたのマルクス理解は本物ではない」という批判を受けます。批判は、「改造」という雑誌に載るのですが、櫛田はその前に河上に手紙を書き、面談もして批判の趣旨を話すのです。年下の櫛田から批判を受けた河上は、「なるほど」ともう一度、資本論はじめマルクス学を研究しなくてはならないと悟り、これまで勉強していなかった弁証法的唯物論や史的唯物論から勉強しなおしたということでした。

 櫛田民蔵というひとは、河上肇のように実践活動には踏み込まない学究でしたが、河上肇のマルクス研究を先導したといっていいのでしょうか。公開の場で批判する前に手紙も出し、河上肇もそれを受け入れて勉強しなおす。なんとも、ほのぼのした思いにつつまれます。論争や批判というものがあってこそ、理論研究もすすむのですね。

 ところで、櫛田民蔵の著作は、今日ではほとんど読まれることもないでしょう。その奥さんの櫛田ふきさんは、戦後も母親運動などにかかわりました。「母親通信」という薄い冊子がありました。その発行責任者が、櫛田ふきさんだったと思います。(2021年10月)


by saikamituo | 2021-11-03 12:12