1 はじめに
私たちは、和歌山市の職員が公益通報して自殺に追い込まれた問題の真相解明にとりくんでいる。「人権と部落問題」2024年 月号に報告させていただいた。これは、同和利権勢力の犠牲者の問題である。
時あたかも、同和利権勢力が横暴の限りをつくした「八鹿高校事件50周年」をむかえ、その和歌山集会が開かれた。
丁度そんな中、「県教育委員会が同和人権研修を強めようとしている」という情報をいただいた。調べてみて、6月県議会から問題が取り上げられていることを知った。共産党県議に問い合わせてみると、文教委員会で次に述べるような報告をしていることが明らかになったのである。
2 議会資料と開示資料から明らかになった事実経過
煩雑なことになるが、何が起こったのかを県議会での教育長発言と私たちが「開示請求」した資料から事実経過を明らかにする。
(1)県議会での教育長発言
2024年9月県議会文教常任委員会で教育長は次のように報告した。「校舎内において、教員Aと教員Bの二人の間で行われていた会話中に、教員Aが部落差別にあたる差別発言をおこなった。
会話の内容についてですが、冒頭は、3月の時点で二人が勤務していた学校の管理職に対する愚痴や不満を中心に話をしておりました。その後、教員Aが以前に勤務していた学校の話題に移った際、「教員Cは、同和枠採用で入った人で、誰も何も言えんのやよ。」「同和枠やから、どんなパワハラしても許されるんやで。怖いよ、怖いよ。」という発言を行いました。
その発言をうけた教員Bが、3月14日に問題提起し発覚に至りました。」
(2)私たちが開示請求した資料によって明らかになった経過
★ まず宮崎校長に「差別発言」と指摘した部分を開示資料から読み取ってみると以下のようになる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3月11日、教員Aが教員Bの部屋に来室。
6行黒塗り)【校長Cのパワハラについて話したものと推察される】教員B (●校長?)先生ってなんて名前ですか
教員A (●C?)よ。すごいパワハラでねえ。
教員B そんなあからさまなパワハラは職員は何も言わないんですか。
教員A これは言うな!って言われているんやけど
●してこの前も学校にきたんよ
●対応したけど
教員A その(●校長?)は同和枠で入った人で誰も何も言えんのよ。同和枠やからどんなパワハラしても許されるんやで。
すごいやろ。怖いよ、怖いよ(2度ジェスチャー付き)
教員A 長いこと話してごめんよ。ありがとうと退室。
・・・・・・・・・・・(注)。は「教員C」は管理職であると思い込んでいたが、あくまで「教員C」となっている
★ 3月14日 ●(教員B?)が ●と人権教育推進課の東浦氏に相談
*教育長報告の「問題提起」とは、このことを指すと思われる。
★ 3月15日 18:00―19:30 会場不明
教員B 人権課東浦 教員Bの父 教員Bの叔母、ほか6人(不明)が参加して、教員Bが持参した資料をもとに聞き取り
★ 3月16日 校長室で、校長、坂口人権教育推進課長、同課東浦が教員Aから聞き取り。
「B先生が(●?)のなら謝らなくてはならないと思っている」
★ 3月17日 校長・坂口課長・東浦 教員Bを訪問
「18日に謝罪の場を持つ方針であることを伝える」
★ 同日 教員Aの聞き取り
「差別しようと思っての発言でなかったにしろ、相手に差別だと思われても仕方がないと思われる話をしたことは確かであることを確認」「●(教員B)の了解をとることができれば、謝罪する意思があることを確認」「18日(月)に謝罪の場を持つことを決定」
★3月18日(月)
15:00 ●校長室に●(教員B?)到着
15:40頃●(教員A)到着 謝罪を終える。
(同席者 校長・東浦)
終了後●(教員B)の気持ちを確認。一定の理解を得て納得している様子。●(A?)先生の今後の処分について心配している様子だった。
●(教員B)が帰宅した後、再度●(教員A?)と面談し(以下29字伏字)
★3月25日 県教委 ●における問題提起と今後の方針について
(注)問題提起の内容は黒塗りで明らかでない。ただ、3月18日の「陳謝」で幕引きしようとしていたものが、「教員研修」に方針転換したものと推測される。
★ 教員Aは、49歳(6月 人権特別委員会)
教員Bは、カウンセリングが必要になっている。
高校「差別事件」とは何か
1 私たちは、同和利権勢力が横暴の限りをつくした「八鹿高校事件
50周年」をむかえ、その和歌山集会も準備されている。丁度そんな中、「県教育委員会が同和研修を強めようとしている」という情報をいただいた。調べてみて、6月県議会から問題が取り上げられていることを知った。
2 県教委・宮崎教育長は何を報告したのか
県宮崎教育長が9月24日開催の県議会文教委員会冒頭で次のように述べている。正確を期すために該当箇所を全文紹介しよう。
「まずはじめに、先の人権・少子高齢化問題等対策特別委員会でも申し上げましたが、本年3月に発生した、教員の差別事件につきまして事件の概要を含め、現在の進捗状況等をご報告いたします。
県立学校におきまして、3月11日に発生した、教員による差別発言事件でございます。
発生時の状況につきましては、校舎内において、教員Aと教員Bの二人の間で行われていた会話中に、教員Aが部落差別にあたる差別発言をおこなったものです。
会話の内容についてですが、冒頭は、3月の時点で二人が勤務していた学校の管理職に対する愚痴や不満を中心に話をしておりました。その後、教員Aが以前に勤務していた学校の話題に移った際、「教員Cは、同和枠採用で入った人で、誰も何も言えんのやよ。」「同和枠やから、どんなパワハラしても許されるんやで。怖いよ、怖いよ。」という発言を行いました。これは明らかに差別発言であります。その発言をうけた教員Bが、3月14日に問題提起し発覚に至りました。以上が事件の概要となります。」
4 教員採用で同和特別枠があったかどうか私は知らない。県議会質問で、教育委員会は「同和特別枠というものは過去にも現在にもなかった」と言明している。
ただ、ここで思い出すのは、私が県会議員をしていたとき、高校入試の内申書で同和地区出身者であることを記入していた(「子ども会」という暗号で書いた場合もあった)ことがも問題になったことである。教員採用試験についてもそうした優遇措置があったのではないかと考えることはあり得ることである。
かつての同和行政で、教員人事でどんなことがあったのかを紹介しておこう。私自身にかかわることを紹介する。
私は1967年、海南市立野上中学校で教職についた。その学校は海南市で一番大きい同和地区をかかえた学校だった。3年後に私は亀川中学校に転勤した。私は、「同和地区子ども会にもかかわっていたのに転勤させられたのは不満だ」と不平をのべた。ただ、新任教員が3年目で転勤になることはめずらしいことではないし、転勤になった教員が不満を言うこともめずらしいことではない。ところで私は、二年後にもとの中学校(北野上中学校と統合して東海南中学校になっていた)に戻ったのである。私はそのことには不満はない。しかし、もとの学校に戻るという異動があるだろうか。私は、市立野上中学校に在職したあいだに結婚し、「同和地区関係者」になっていた。だから、私の「元の学校にもどせ」という希望が聞き入れられる異例の「人事異動」がおこなわれたのだと思っている。
5 いつ「密告社会」になったのか
教員Bが、どういう場で「問題提起」をしたのかはよくわからない。問題があるのならその場で「そんなことはないと思うよ」と言えばいいだけの話である。それをせずにどこかで「問題提起」をしたとすれば、「密告」である。
50数年前には、海南市でも校務員さんの対話が「差別発言」としてとりあげられたことがある。私たちはそういう問題の取り上げ方は同和問題の解決にはつながらない、あやまった取り上げ方だったと考えている。
6 県教委が、この発言を「差罰発言」とし「教員の同和研修が必要だ」と言い出した。そういう扱いが、同和問題の最終解決につながるのかどうかの問題がある。
県議会常任委員会の発言を見ても「高校の先生の組合は、部落差別はないという考えを持っているというのが問題だ」というような発言がある。どう考えようと各人の自由だが、私たちが今取り上げている問題の関係でも、部落差別解消の現段階をどう考えるかを明らかにしておく必要がある。
古くは全国水平社、戦後は同対審答申はじめ多くの皆さんの努力の中で、同和地区内外の格差は大きく解消した。同和地区内外の線引きして特別行政を行うことは、差別解消の弊害になるところに来た。
その段階で、同和利権勢力による糾弾、暴行問題が、問題解決の大きな壁を作った。その最たるものが、50年前の八鹿高校事件であった。そんななか「特別措置法」は廃止されたのである。
もしも「部落についての古い偏見」を表明する人がいたとしても、それを笑い飛ばせる世の中にすることこそが必要である。そして差別でもないものを無理に差別事件に仕立てようという勢力とのたたかいが極めて重要だと考えている。
自民・公明・維新は減ったのに
今度の選挙、最後の日まで後援会のみなさんとご一緒に頑張りました。投票日翌日の新聞は「自公 過半数割れ」の大見出しです。そのうえ、維新も大きく議席を減らしたのです。
その結果、立憲も国民民主もれいわも大きく議席を増やしました。おまけに右翼政党まで議席を得ました。自民批判の票がまわったのでしょう。
ところがただ一つ共産党だけが得票も議席も減らしたのです。
自民党の「裏金」問題を追及した「赤旗」。それに追い打ちをかけたのは「裏金非公認に2000万円」を政党交付金から支給していた問題でした。
10月24日の「毎日新聞」は、このことを「日本共産党機関紙『しんぶん赤旗』が報じた」と一面で大きく紹介しました。
向いの奥さんが「共産党はいいことも言うのになぜ伸びないの?」と言ってくれました。共産党のいいところは国民のみなさんも評価してくれているのに、どうして今度の選挙で自・公・維新への国民の批判の受け皿になれなかったのか。謙虚に考えてみる必要があると思います。
日本共産党海南生活所長 雑賀 光夫
市職員の自殺の真相解明と公務災害認定の請求
Aさんの公務災害認定を支援する会事務局長
雑賀 光夫
1 昨年の「研究者集会」での報告と
その後明らかになった若い市役所職員の自死
筆者は、2023年10月に開かれた「第61回部落問題研究者集会―現状分析・理論分科会」で「旧同和地区の『まちづくり』を考えるー和歌山市・芦原地区の場合」と題して報告させていただきました。(「部落問題研究・249」所収2024年6月)
そのとりくみの途中で明らかになったのが悲しい事件でした。
2020(令和2)年6月25日午前2時40分ごろ、和歌山市役所職員であったAさん(当時28歳)が自宅納屋で自死しました。私たちがお母さんにお会いしたのは、それから3年半後の2024年の1月でした。ことを解き明かすにはさらにさかのぼって話を進めなくてはなりません。
2 ゆがんだ同和行政が温存されてきた和歌山市
和歌山県は同和問題にとりくむ積極的伝統をもっています。とくに1970年代、部落解放同盟中央本部が「部落第一主義」に傾斜する中、和歌山県連は民主戦線にとどまり続けたのです。しかし、一部勢力が同和対策事業を「利権」とし食い物にする状況が残りました。地域によって違いがありますが、和歌山市などで問題が多かったのです。和歌山県では、それを克服する取り組みに弱点があったと言えるかもしれません。
「同和利権」が改めて問題になったのが、5年前の2019年10月、当時、和歌山市の芦原連合自治会長であった金井という人物が詐欺容疑で逮捕された事件でした。県や市の公共事業を受けた業者に和歌山市の職員が「(芦原)自治会長にあいさつに行ってほしい」といい、金井は工事費用の上前をピンハネしていたのです。
和歌山市の同和行政のゆがみはそれにとどまりません。
・旧同和子ども会への法外な補助金は、いまも続いています。
・同和行政で建設した「改良住宅」は、空き室がたくさんあるのに公募されていません。
金井逮捕事件がおこったとき、尾花和歌山市長は、「長年のウミを出し切る」と言明しました。しかし、実行されませんでした。
私は共産党県会議員としてこうしたゆがんだ同和行政を批判してきました。私が議員を引退することを決めていた2019年の3月、私の事務所に和歌山市の職員が訪ねてきてくれました。西泰伸さん、本渡児童館の館長さんでした。
西さんが言います。「和歌山市の同和行政はおかしいと思っていたのです。こんど平井児童館の若い職員が公益通報したらしい。若い子を孤立させてはいけないと、僕も自分が気になっている問題を通報しました。ネットでみると県議会で雑賀さんがこの問題を取り上げているので、相談に来たのです。」
この出会いから半年後に「金井逮捕」のニュースが流れ、西さんと私は今度こそ和歌山市を同和利権のない明るいまちにと仲間とともに「同和行政を終結させる会」(略称「同和終結の会」)に加わりました。西さんは、「同和行政の終結を」という幟旗を注文し、市役所の前でスタンディング宣伝をはじめました。
3 公益通報した職員の自死のうわさ
年が明けて2020年2月に和歌山市は、平井児童館の公益通報を調査した結果(講師謝礼・子ども会補助金不正支出など)をふまえて関係職員を処分したことを公表しました。芦原の金井問題に続いて、ウミを出し切るチャンスでした。
「同和終結の会」の運動で、これまで一般に貸し出しされなかった芦原文化会館の一般開放が実現し、新日本婦人の会のみなさんが「絵手紙教室」を開いたり、地元出身の女優、有馬理恵さんの公演を地元自治会会長さんも賛同されて開いたりするところまで来たのです。私たちは「地域との壁が一部崩れた」と喜んだものでした。
ところが、その後、「平井で公益通報した職員が自殺した」という噂が市役所内に流れたのです。西さんは市役所の職員でしたからその噂を私たちの会合で伝えましました。ことがことですし、まだ噂でしたから大きくするわけにはいきません。そこで、市役所職員とパイプのある何人かのメンバーで「対策会議」を開きました。
自死というのは事実のようです。西さんが職員の名前をつかんでくれました。(私たちは「Aさん」としています)解同系の職員Mが監視役についていたともいいます。
職員録にはAさんの名前がありますが、個人の住所がはいっていません。市役所にパイプがある仲間が退職者などに電話しました
「Aさんという若い子が自殺したといううわさがあるのですが・・・・」
「知らんなあ」「自殺というのは退職してからとちがうか」いろいろです。その一人がぽつっと漏らしました。「Aくんというのは○○(地名)の子とちがうか」
私はゼンリン地図でその地域をコピーし「A」という名前の家に印をつけました。「Aさん訪問」を始めたのです。なかなか行きつかない。「○○地域というのは、ガセネタかもしれないな」と言っているとき、あるお宅で、「その話やったらうちの近所の方と違うか」と言われたのです。(つづく)
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