雑賀光夫の徒然草

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弔辞  田伏通男先生を偲んで

弔  辞

 田伏道男先生
 日曜日のお昼前、知り合いから、先生の訃報をしらされたとき、何度も聞き返しました。それでも信じられませんでした。
その前の日、憲法を守る「9条の会」が、澤地久枝さんをむかえて県民文化会館をあふれる集まりを開きました。先生はその集会からかえって、「いい話だった」と奥さんに語られて、休まれたといいます。「バスで一緒に集会に参加したのに」とどなたもが信じられないといわれます。いまでも信じられない思いでいっぱいです。

 私が教員になって赴任したのは海南市立野上中学校でした。その学校は、同和教育にとりくみ、地域のみなさんと協力して、毎年、同和教育をすすめる「沖野々集会」という集いを開いていました。教職員の権利を守る宿日直廃止のたたかいでも団結して感動的なたたかいをした職場でした。
 先生は、その中心になったお一人でした。あえて「そのお一人」といいます。それは、先生はどんなときでも、自分が縁の下の力持ちになって、「仲間と一緒にやったことだ」といわれていたからです。
 未熟な教師だったわたしは、やんちゃな子どもたちと格闘する毎日でした。私の宿直の日に遊びに来る子どもたち。学校に不満を持ち、そのはけ口を見出せない子どもたちを前にして、先生は、この地域の人たちが、差別のない人間が大切にされる世の中にするためにどんなに苦労してがんばってきたのかを語りました。「それなのに、おまえたちはあたけてばかりいて何だ」と子どもたちに厳しく迫ったのです。そのときの一人の子どもが、一年後に「差別をなくすために」という作文を書き、その後、この地域の同和教育教材として使われた、その始まりの歴史的瞬間でした。

 私が子どもたちとのとりくみに自信をなくし、教師をやめたいと言う思いだったとき、先生は私を自宅に呼んでくださいました。一緒にお風呂に入って「同志さいかと風呂にはいるか」といいながら私を励ましていただきました。そのとき「いなか料理やけど」といいながら出していただいた夕食の味と一緒に思い出します。

 私が教職員組合の専従役員として日方の教育会館の事務所にすわったときは、明楽民主市政を守った年でした。先生は、教職員組合の支部長であり海南地区労議長をされていましたね。中山豊先生が県会議員選挙に最初の挑戦されました。教育を守るために「子どもの幸せを守る会」をつくって、空手の先生など多彩なみなさんに集まっていただきましたね。そのとりくみが、教育を守るために、子どもの姿をまぶたに浮かべて話し合えば、保護者と教職員は一致点を見つけることができるという、その後の私の確信になったのでした。
 あのころの教職員組合の集会では、組合員の先生方は田伏支部長が、目をグリグリッと大きくしながら、情勢と教育を語って、笑わせながら元気づけてくださるのを楽しみにしたものでした。紀北教育研究会などの教育サークル、教研集会では、私たちが報告したつたないとりくみも、いいところを見つけ出して、ときには大げさと思えるほどほめてくださり、激励してくださる先生でした。
 そして地区労議長としての仕事では、その後の何度かの海南市長選挙がありましたね。民主的な海南市への挑戦が、その後の海南で、中山県議の当選、県会議員、市会議員が連携して市民の願いに応えるという今の姿をつくったのでした。
 私が和教組本部にいって、教育相談センターができたとき、先生はその主任として、不登校の子どもたちへの教育相談にかかわってくださいました。また現職の先生へのあたたかい助言者でありました。
 そして、三年前の中山県議からバトンタッチした私の県議会への挑戦であります。日本共産党後援会会長として、また無党派の人たちへのつなぎ役として、私を県議会に押し上げてくださいました。

 先の市会議員選挙で、先生はハンドマイクを担いで私と一緒に宣伝にまわってくださいました。「年寄りにハンドマイクを持たしていると思われたら票が減るから」と担いでいるハンドマイクをとりあげたりしたものです。選挙で忙しい中で、田んぼをきれいにして、田植えの準備をしていたと奥さんがおっしゃいます。野尻という地域をこよなく愛した先生です。
以前に組合活動で政府への要求行動に参加したとき、文部省の建物に入るのに、守衛さんから「どこから来たのか」ととがめられて「野尻から来た」と答えたというエピソードがあります。野尻という地域には、日本の主権者・国民が住んでいるんだ。主権者が政府の建物に入るのに何をとがめるのかという、先生の思いがこもったエピソードであります。

 毎年の年賀状に、先生は詩を書いてお送りいただきました。今年いただいた年賀状です。

   えんどう
稲刈りの終わった田の端を耕し
そっと植えるえんどうの苗
やがて伸びるつるが巻きつくよう
しっかりと杭を立てる
枝の張った竹をしばりつける

老いていく父母の姿に 帰省した子らは言う
「もうそんなしんどい百姓はやめなよ」と
だが 祖父母から受け継いだ百姓を頑固に続ける
この土が育ててくれた粘り強さや
人をいつくしみ 自然を愛する心を
お前たちに伝えたいという願いをこめて

増え続ける農産物の輸入
食料自給率の低下 百姓いじめの農政
郷里を離れて暮らすお前たちよ 忘れないでくれ
新しい明日を開くのだと
負けずに頑張る百姓たちの心を

今はまだ か細く頼りなそうなえんどうのつる
やがて次第にのび 竹の枝にしっかり巻きつき
厳しい寒風や吹雪に耐え抜いて
春にはたくさんのサヤをならせるであろう
    二〇〇六年 元旦

 先生、私たちは先生のお教えを受け継いで、たくさんのサヤをならせます。さようならとは、いいたくありません。先生はいつまでも私たちとともにあると思っています。先生のご意志をうけついでがんばります。いつまでも見守ってください。やすらかに。

二〇〇六年五月十六日      
                                県議会議員 雑賀 光夫
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# by saikamituo | 2006-05-17 10:00

中学校合併説明会より



★黒江公民館
(参加者) 教委の説明は一般的・抽象的にはわかるが、ベストといわれるとウソとちがうかと思う。本当の目的は金べらしではないか。
【教育長】小規模校のメリットは否定しない。一中は現在、数英は専科教員が各一人で場合によっては3年間、ずっと同じ先生に教えてもらうことになる。適正規模になると、いろいろな先生に教えてもらえる。多様な指導が求められている。小規模校では十分でない。行革としての計画ではない。
(参加者) 学力テストの結果の分析・評価が出されていれば、客観的に理解できるが、教委の資料ではわからない。
【教育長】規模による学力差はみられない。現在は9年間、同じ仲間で過ごす。規模は、幼小中と大きくなることが望ましい。部活は、1学年100人以上が望ましい。
(参加者・中学校教員)この10年間、新規採用はされていない。一中では20代はなく、40代・50代が中心。統合されれば、教員数が減るから、より採用されない。英語の授業では、25人のクラスを2人の教員で指導しているが、どうしても5人ぐらいついてこられない生徒がいる。小規模だからキメ細かい指導ができる。学校が荒れを防いでいるのは、小規模だから。広域となると通学上の安全性が問題。部活を早く切り上げなくてはならない。
【教育長】教員数は減るが、特別加配で教員が配置される。よりよい時代にあったゆとりのあるのびのびしたすばらしい公立学校をつくる。
【小畑課長】極端な意見なので反論する。中学校教員の平均年齢は48歳。徐々に是正されている。小規模だから荒れないのではない。諸取り組みの力。一時、30人学級が言われたが大都市のこと。地方では15―16。これでよいのか。
(参加者) いつごろ、どこになるのか。
【教育長】理解を得つつ、3-5年以内に実施していきたい。早いほどよい。いくつか考えている候補地があるが、公表をさしひかえたい。理解が得られる合理的な場所を考えたい。
(参加者) 何を判断として決めるのか。
第一案と言うが、親の立場から「総論賛成、各論反対」となる。意見などの記録はしているのか。参加者は少ない。日曜日などに実施すべき。参加呼びかけは、幼小低学年の保護者を重点的に。
【教育長】できるだけ多くの意見をお聞きしたい。おおむね賛成を得られたと判断できれば、教委が責任をもって決めたい。何回も機会を持つ。記録している。
(参加者) 通学距離、地域性を考えるべき。今後の開発・少子化対策も十分検討すべき。
【教育長】東海南中は、過去に統合した。3小学校で通学区が広い。まち作りと学校、開発も考えた。
(参加者・PTA会長)アンケート結果は、地域ごとに公表してほしい。
【教育長】公表できる。
(参加者) 1クラスの人数は、少ない方がよい。
【小畑課長】1・2年生は、35人学級。
(参加者) そのままの意見を公表してほしい。まず統合ありきでなく、じっくりと時間をかけて考えていくことが大事。
【教育長】慎重のうえにも慎重に。意見を聞き、公表する。
(参加者) すべての意見をホームページに。3―5年かけて市民の意見を聞くべき。3回目の説明会は、わからないという人がいないようにしてほしい。教委は十分な資料を持っているが、我々は、3-4回だけではわからない。
【小畑課長】公開はやぶさかでない。きてもらえれば、みてもらえる。

★内海公民館

(参加者) 教育委員会の3案は、よく考えてくれていると思う。第一案が一番いいというが、東海南は将来学年1学級になるが、それでもいいのか。
私は旧制中学校をでたが、当時、南野上の赤沼から通っている生徒が何人もいた。通学距離と言うことは、あまり問題にしなくてもいい。
【教育長】東海南は、いちど合併しているという経過もあるし、校区が広い。昔と違って通学路の安全問題もあるので、スクールバスも考えたい。
(参加者) 決定の時期や手続きは?
【教育長】できるだけ早く決めたいが、みなさんのご意見を聞いて慎重にやっていく。
(参加者) 統合するとすれば、海南二中のあたりになると思う。三中や一中は新しい体育館をたてたばかりだ。無計画な無駄遣いではないか。そんなお金がどこにあるのか。
【教育長】体育館は防災拠点になるし、いまでも社会体育のためにもつかわれている。無
駄ではない。市長部局とも相談している。教育施設にお金をかけることは必要だ。
(参加者) 海南三中は、10年間は、現在より生徒がへるわけでなく、学年3学級ある。まえの説明会のあとも、まわりのお母さんたちの中では「なにも統合しなくてもいいのに」という声が多かった。
【教育長】 私学に行く生徒もいる。   
(参加者) 私学にいく生徒がいるという話もあるが、私もよそからきたときは、3中では爆
竹もなったりしていたから、私学ということも考えた。しかし、いまの3中はバッチリ。
入学式で校長先生が「この学校は活気がある」と語られたがほんとにそうだ。3中をこの
まま残してほしい。
【教育長】学校がそんなに信頼されているとはうれしいことです。意見としてうけとめたい。
(参加者) 私も3中を残してほしい。それで提案があります。海南二中は校舎も古いので、市役所のあたりで二つに分けて、一中と三中にわかれたらどうか。
【教育長】一つの提案として、お聞きしておきたい。


★ 亀川公民館
(参加者) 時期や場所はどうなるのか。
【教育長】(他会場とおなじ)
(参加者) 巽中と合併して校区がひろくなると、岡田あたりは、一二三中の合併校の方にいく生徒もでるかもしれない。亀川の地域がばらばらにならないか心配だ。
(参加者) 亀川の生徒数は減っていない。統合する必要があるのか。3つの案と言うが、統合せず現状でという第4の案はないのか。
(参加者・PTA会長)亀川小中学校は、生徒数・学級数がふえて教室がたりなくなっている。「新しい統合中学校をつくるので、当分はがまんしてくれ」といわれては困る。
(参加者) 統合は不安です。通学距離は6キロまでといいますが、部活動をおわって6キロも歩いて帰るというのがほんとうにいいのでしょうか。(そのほか統合への不安をいろいろ述べられた)
【教育長】気持ちはわかります。
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# by saikamituo | 2006-03-30 23:08

「義務教育ニュービジョン研究会議報告」批判

「義務教育ニュービジョン研究会議報告」と
小中学校の統廃合問題(原稿素案)
県会議員  雑賀 光夫

(はじめに)
 私は、昨年末、「義務教育ニュービジョン研究会議報告」の素案が公表されて以来、問題の重大性に鑑み、いろいろな場で発言してきた。「しんぶん赤旗」がこの問題を報道してコメントを求められたので、コメントした。それは、字数の都合で短くされているが、次のようになっている。
【あとから挿入                        】
 その後、2月県議会で、予算特別委員会、文教委員会の場でこの問題での討論をおこなった。その報告も含めて私なりに問題点を提示してみたい。

1 小中学校のリストラ計画

 「義務教育ニュービジョン研究会議報告」は、建前上は、少子化の時代に義務教育はどうあるべきかを提言したことになっている。しかし、報告を求め、「報告」をまとめた事務局(県教育委員会)の意図は、いかにして小中学校の統廃合をすすめるかにあることは、容易に見て取ることができる。
 「報告」には、「資料」が添付されている。もしも、小中学校のあるべき姿を全面的に検討とするのなら、「学力」「体力」「不登校」「校内暴力」など学校がかかえる教育課題についての資料が添付されているのだろうと誰もが考えよう。ところが、そこに添付されているのは、「学校規模」「児童生徒数の減少」などにかかわる資料だけなのである。
このことから「研究会議には今後の義務教育に大きな影響が考えられる項目を何点か諮問しており、学校統廃合についてはそれらの中の1つの項目である。」(予算委員会での教育長答弁・予算委員会議事録メモ)にもかかわらず、学校統廃合のために求めた答申と断ぜざるを得ない。
私は、県議会の限られた討論時間の中で、二つの側面から問題を提起した。
第一は、「財源不足で大変だ」ということから、委員を誘導して「統廃合報告」をつくったのではないか。
第二は、「報告」の文面がそのまま実施されれば、県内の小中学校はどうなるのかを、委員のみなさんに本当にわかるようにして、審議をいただいたのだろうか。
「義務教育ニュービジョン研究会議」がどのように運営されたのかは、委員のみなさんがおいおい明らかにされていくだろうが、たいていは事務局主導ですすめられるのであろう。教職員組合から推薦された委員がはいっている場合は、苦労してそれにチェックをかける。けれどもそういう委員が入っていない「審議会」では、事務局主導でつくられる文案に、委員の意見が多少の色づけとして加えられる場合が少なくないように思われる。
私は、「中高一貫教育」を提唱した報告書を手にしたとき、委員の中の知り合いの方に電話して「どんな意見がでたのですか」とお聞きしたことがある。そのときの電話でのやりとりから、以上のような印象を持っている。
小関教育長は「『報告』は研究会に出していただいたのであって、教育委員会の方針ではありません。教育委員会は、提言をうける立場です」と責任を「義務教育ニュービジョン研究会議」の委員メンバーに押しつけている。今回の「報告」は、小中学校教育をゆるがす、県民的な論議になるだけに、委員のみなさんは「義務教育ニュービジョン研究会議」の審議の実態を積極的に明らかにしていただきたいと思っている。


2 財源論から誘導された「報告」

「財源不足で大変だ」ということから、委員を誘導して「統廃合報告」をつくったのではないかと述べた。
私は、この報告が出されたとき、教育委員会事務局にお願いして「研究会議に出された資料を全部持ってきてください」とお願いした。第一回会合でだされた資料に「義務教育費半額国庫負担が廃止されたら40道府県で財源不足になる」という表題がついたグラフがある。出所はかかれていないが、文部科学省が発表して当時の新聞にも取り上げられた資料であることはすぐわかった。
文部科学省が「半額国庫負担が廃止されたら大変だ」という「制度を守る」立場でつくった資料を、県教育委員会は「半額国庫負担が廃止されるから和歌山県の教育財政は大変だ」という資料として、「研究会議」で配布したのである。
 木村知事は「三位一体の改革」に熱心である。そこで私は、教育委員会が「研究会議」で配布した「文部科学省資料」を示して、「こういう資料もあるのに、知事はなぜ、国庫負担廃止に与するのか」と質問した。
(知事)義務教育は地方の自治事務であり、地方分権の発想からいけば、国からの補助制度により担保されるものではない。
    税収の偏在により差ができることは別の問題であり、税源の多寡をうまく調整できる制度を義務教育とは関係なしに構築していくものであり、本当の分権型社会の構築のためには、こういった考え方に賛成していただきたい。(予算委員会での知事答弁・予算委員会議事録メモ)
財源の不足分は、配分調整があるから大丈夫だというわけである。知事はさらに、「こういう資料で大変だとふれまわっては困る」とい意味のことまで述べた。私にとっては、事前にかわした「答弁メモ」にはないが、期待通りの答弁である。
 私は、この知事答弁をうけて、教育委員会が「こういう資料で大変だとふれまわっては困る」ということを追及したのである。

(注)実を言えば、予算委員会での討論は、私にとっては、一種の「あそび」にすぎないことを告白しておいたほうがいい。
 ちょっとみると、知事と教育長の矛盾をついて、あっと言わせた討論なのだが本質的な問題は、次のようなことである。
① 現在の義務教育費半額国庫負担(半額でなくても3分の1でも同じ)のもとでは、全国的に共通の教育水準が保障される。小規模校が多い地域でも、それだけの教員数が、国庫負担と地方交付税の積算の基礎になる。学校統廃合をして教員数をへらせば、県の財政支出は減るが、国からの歳入もへるから「学校統廃合で財政を楽にする」「その分を借金返済に充てる」ということにはならない。つまり学校統廃合への財政面からのインセンティブ(誘因)は働かない。
② 半額国庫負担制度がなくなり、知事がいう「財源調整」が、学校数・教員数の積算でおこなわれなくなると、学校統廃合をおこなって、教員数が少なくなれば、そのまま県財政がうるおうという仕組みが作られることが考えられる。私たちが「半額国庫負担」に反対するのは、そのためである。
③ 知事は、そうした財政の仕組みづくりを積極的にすすめているのであり、そのために「こういう資料で大変だとふれまわっては困る」というわけである。(たしかに文部科学省が作った資料は、一面的な資料である。)
④ 一方、教育長は、知事が考えるような制度になることを見越して、いまから学校統廃合を準備している。
⑤ 知事と教育長がやっていることは、矛盾しているのではなく、本質を県民から隠すやりかたが違っていたために、その矛盾を私につかれたのにすぎない。
* ここにのべた制度の説明は、大まかな話であることは断っておく。

3 学校現場がどうなるのかを現実につきあわせて考えもしない作文

「報告」の文面がそのまま実施されれば、県内の小中学校はどうなるのかを、委員のみなさんに本当にわかるようにして、審議をいただいたのだろうか。
わかりやすいように「報告」の文面から、「中学校の適正規模化」だけを、抜き出して要約してみよう。
① 一学年3学級(学校で9学級)以下の中学校は、統合を検討する。
② 通学範囲は、文部科学省がいう6キロメートルを大きく上回るが、通学路の整備やスクールバス導入につとめる。
 以上の2点につきる。「あまりにも通学距離が大きくならないように配慮する」などという文言は、どこにもない。
 この物差しを提言するとき、和歌山県の中学校をならべてみて、提言が受け入れられ実施されればどうなるのかを考えるのは、あたりまえのことであろう。「机上の論議」という言葉があるが、「机上」でもそのくらいのことはできる。
 私が、すぐに頭にうかべたのは、合併した紀美野町のことだった。野上中学校・美里中学校・長谷毛原中学校という3つの学校がある。これを合併して、美里中学校のあたりに紀美野中学校をおくのだろうかと考えた。
 もっと紀南の方に行ったらどんなことになるのだろうか。私は、新田辺市の中学校をならべてみて、唖然とした。
 龍神・本宮・大塔・など新しく田辺市に編入された広大な地域に散在する中学校。二つにわけては、適正規模の基準を満たすことにはならない。「報告」の物差しでは、一つの中学校にして、通学路の整備とスクールバスで保護者の不安をとりのぞくというのである。
 文教委員会でこのことを指摘すると、小関教育長は「研究会の報告を弁護する必要はないが、雑賀委員がそこまで言われるのなら申し上げるが、報告本文をみていただけば、そういう心配はないように書いている」と開き直った。私はそこで議論を打ち切ったが、あらためて本文を読み返してみても、わたしの立論をさまたげる記述は、どこにもない。
 「この提言をそのまま受け入れるような人は誰もいないから気にしなくてもいい」というのであれば、あまりにも無責任ではないだろうか。

 議会と言うところはいいところで、議事録は残るから、次の議会でどこまでも追及することができる。

                     (暫定原稿)
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# by saikamituo | 2006-03-15 23:21

茶話

薄田泣僅というコラムニストがいる。「茶話」で知られる……といっても知る人は少ないかもしれない。
私の手元に、昭和26年11月10日印刷の、初版「茶話」がある。父・紀光に「何かおもしろい本はないか」と聞いたら、「こんなおもしろい本はない」と紹介してくれた父の形見ともいうべき本である。文庫本で一四〇ページ程度のものだ。フランス文学者の河盛好蔵氏の解説によると、大正五年から三四年間書き続けたという。
………長い演説より短い演説の方が準備がいる。短い演説をして好評を博したと妻君に自慢した男がいた。聴衆は妙齢の婦人ただひとりだった。その人はここにいる。
I love you.  ………
というぐあいな話を、もうすこし長い文章で、話の間に細君が目を三角にすることもふくめて書く。フランクリンがうそをついたという話(牡蠣を食う馬)も面白い。
完本「茶話」というのが1983年に「富山房百科文庫」として出版された。三冊の新書本・計二〇〇〇ページを越すだろう。私はそれを東京の本屋で見つけて持っている。ただ第一巻が見つからない。
たしかその第一巻にあったと思われる話が、好戦的なジャーナリストへの皮肉である。
「中国への強硬姿勢を書き立てるのもいいだろう。ただし私は、戦争になったとき、〇〇、▽▽などの面々に、戦線にでてもらいたいと思う」という趣旨のことが書かれている。
今日の「赤旗」に、アメリカで対イラク強硬論を唱えているのは、本人が兵役を逃れた人たちだということがアメリカで問題にされ始めているという記事があった。私は、夜中になって、「茶話」にあった好戦的ジャーナリストへの批判を探し始めたが、第一巻が見つからない。しかし、歴史は繰り返す。いや、繰り返させてはならない。
ところで薄田泣僅が、そんな文章を書けた時代は貴重である。「大正デモクラシー」といわれる時代である。有事法制を許す様なことになったら、こんな批判さえできなくなるのではないかと心配する。
(数年前に書いたもの。一太郎の新しいソフトを買ったので、古い原稿が生き返った)
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# by saikamituo | 2006-01-21 20:25

私の生き方の模範としての上野幸男さん

 

県学習協の草分けの「二人の上野さん」のお一人、上野幸男さんがお亡くなりになった。
もう一人の上野寿男さんは、ずっと学習協によりそって松野理事長をささえてこられたのに対して、上野幸男さんは共産党の専従もされてお忙しかったから、いまの学習協の若い皆さんの中には、面識のない方も多かろう。

 上野幸男さんは、共産党を退職されるころから海南市の旧貴志川町との境に近い高津という地域に住み、桃作りの農家の皆さんに溶け込んで暮らしておられた。そして、地域での共産党支部の活動、治安維持法同盟の活動などに献身された。寒い中、単車で集金にこられて恐縮したことを思い出す。
 私の家は琴の浦の山際にあるが、夏には庭の草取りがたいへんだ。妻の母親が同居してくれていたころは、草引きをしてくれたのだが、その後はお手上げになった。
妻が言った。「シルバーの方にお願いするんだったら上野さんが行ってあげてもいいといってくれるんだけど」。
私は即座に、「やめてくれ」といった。「ぼくにとって、上野さんはどんな人かわかってるのか。和教組委員長だった北又安二先生と同格の人なんだ。夏休みに上野さんが草引きにきてくれて、僕がパンツ裸で昼間からビールを飲んでいられないじゃないか」そのころは、盆休みには、高校野球のテレビを見ながら、昼間からビールを飲んでいた。今は議員だから暑い中でも歩き回るのでそんなわけにはいかない。

上野さんは、1960年代、全電通(今のNTT)の組合の委員長だった。1964年の春闘で、総評は4、17ストライキという大きなストライキを企画した。そのストライキを共産党は「挑発ストライキ」だという規定をして反対する声明を出した。「4・8声明」というものである。数ヵ月後に、共産党はこの声明とその後のストライキに反対したことが綱領路線から逸脱した誤りであったと自己批判する。「日本共産党8大会9中総への幹部会報告」というものである。この「9中総」とその自己批判を予告した宮本顕治書記長(当時)の党創立記念日の名講演「わが党の革命的伝統と現在の進路」は、迷いながら民青同盟から共産党の接近しつつあった僕の青春で忘れられないものである。
(注)この名講演がのっている「現在の課題と日本共産党」(上)をとりだしたが、「自己批判の予告」が見当たらない。「時の話題」だから収録のとき削ったのかもしれない。
上野さんは、一時的に綱領路線からはずれた誤った党の方針と大衆団体の方針の間で苦しみながら、最終的には党の決定に従い、全電通の組合から排除された方なのである。共産党の誤りに従ったために組合委員長の座を追われたにもかかわらず、上野さんはその誤りを短期間に克服した共産党とともに歩まれた。「共産党のあやまりでえらい目に会った」などと愚痴をいうことは一度もなかったのではないだろうか。

追悼文をかくにあたって「草刈」のことを妻に話してみたら、「その話、上野さんに話したら、そんなに言ってくれたかとニコニコ笑ってくれたよ」といっていた。「いつもニコニコしておられたことを書いたらどう」ともいう。
いまになれば、草刈においでいただいて、僕も草刈を手伝って、早く終わって一緒にビールを飲みながら「4、17スト」のお話をもっとお聞きしたらよかったかもしれないとも思う。
上野さんは大きな労働組合の委員長をされた方だ。共産党の専従もされた。僕も、労働組合の委員長までさせていただき、今は議員をさせていただいている。こんな仕事をしながら、「幹部や議員ががんばるのは当たり前。人間の値打ちは肩書きがとれたときの生き方で決まる」と自分に言い聞かせている。いろいろな貢献の仕方があるのだろうか、僕は体が動く間は、自分の家の周りのビラ配りをし、5部でも10部でも赤旗の配達・集金はさせてほしい。上野さんは、そういう生き方を貫かれた方として、僕の模範なのである。

さいかみつお(県学習協副会長・日本共産党県議会議員)
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# by saikamituo | 2006-01-03 02:14

徒然草 このブログの名前のいわれ

 赤旗日曜版の配達をしていて、集金に立ち寄るのが楽しみなお宅がある。
 玄関に入ると花の香りがいっぱいなのだ。その玄関というのはけっしてりっぱなものでなく、「ただの上がり口」というだけなのだけれど、狭いだけにかえって、花の香りがするのかもしれない。毎週、この上がり口に花を生ける方の奥ゆかしさが感じられる。
 そんなことを考えていたら、昔、国語で習った「徒然草」のある段を思い出したのだった。
 「月のきれいな夜、ある女性のお宅を訪問した。そのお宅を辞した後、しばらく様子を見ていたら、女性はすぐに引きこもらずに、しばらく月をながめていた。誰かが見ているともおもっていないのに、風流を愛する姿に感銘をうけた」というような内容だったと思う。

 どこにあったのだろうか。高校時代の参考書をおいていたので引っ張り出したが、徒然草の全文が収録されているわけではない。岩波文庫の徒然草を買ってきてさがしてみて、やっと見つけた。第32段である。

九月(ながつき)二十日の頃、ある人に誘はれ奉りて、明くるまで月見歩く事侍りしに、思し出づる所ありて、案内(あない)せさせて入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ〔たきものの匂ひ〕しめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いと物あはれなり。よきほどにて出で給ひぬれど、猶ことざまの優に覺えて、物のかくれよりしばし見居たるに、妻戸〔兩方へあける戸〕を今少し〔客の開きし戸をもう少し〕おしあけて、月見るけしきなり。やがてかけ籠らましかば、口惜しからまし。あとまで見る人ありとは如何でか知らむ。かやうの事は、たゞ朝夕の心づかひによるべし。その人程なく亡せにけりと聞き侍りし。

 インターネットで「超現代語訳・徒然草」というのをみると、この段には、「客への心づかい」という表題がついていて、「客が帰ってすぐに戸を閉めなかったのが客への心遣いとして奥ゆかしい」と読み取っているが、どうだろうか。

 こんなことを最初にかいたので、このブログの表題を「さいか光夫の徒然草」とした。
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# by saikamituo | 2006-01-03 01:51

ひとやすみ

「活動日誌」は一休みして「さいか光夫の赤旗読者ニュース」を充実させますので、そちらをご愛読ください。
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# by saikamituo | 2005-10-06 18:35