雑賀光夫の徒然草

saikamituo.exblog.jp
ブログトップ

角谷先生をしのんで

   弔  辞

角谷義久先生

 あれは8月の暑い日でした。先生は私をつれて国吉を回ってくださいました。二期目の県会議員選挙をひかえて、選挙区がひろがったときでした。先生は、若いころ国吉小学校に勤務され、最後は国吉小学校の校長でした。退職後は、自然体験・世代交流センターで、地域の人々からしたわれました。先生にとって、国吉の地域は、自分の手のひらのようなものだったのです。
イノシシ防護柵をつくっているみなさんと話をしましたね。むかし、この辺に山津波があったという話も聞きましたね。
 車で移動中、先生はおっしゃいました。「昔、この道を通って、嫁さんの家に通ったんだ」と。そうです。先生にとって、国吉は、奥様と結ばれた土地でもあったのです。
普段、冗談に「女の人は誰でも好きだ」というようなことをおっしゃりながら、実は早くなくなった奥様を深く愛していらっしゃることが、感じられた一言でした。いま、先生は、愛する奥さんのところに向かっておられるのですね。

 角谷先生は、ひょうひょうとしながら、いつも回りの私たちを明るくし、ほっとさせ、励ましてくださる方でした。
 教職員組合の一員として、生活と権利、民主教育を守るためにたたかいましたね。そして海南海草同和教育協議会の会長を勤められました。同和教育運動は、底辺の子どもを大切にする民主的な教育をこの地域に広げました。そして、同和問題が基本的に解決した段階では、同和教育は終結し、民主教育をいっそう進めようということを呼びかけるものでした。

 先生は退職後には、この地域の退職公務員連盟の会長など、幅広い活動に当たられましたが、最後の大きな仕事は、医療生協の総合介護センター「げんき」を、立ち上げることでした。地域で募金をあつめ、医療生協でも初めてだという地域からの盛り上がりによる介護センターの立ち上げでした。先生はその建設委員長の大役を勤められました。いま、介護センターが立派に完成しました。

 私は、介護センターの開所式で挨拶させていただきました。
 「お年寄りがつどい、土いじりができ、ピアノがあって、歌声があふれる、そんな介護センターにしたいなど、いろいろな方から夢を聞かせていただきました。
 「夢が形になる」みなさんの合言葉です。
 アメリカでは、初めての黒人大統領が誕生しました。その40数年前に、黒人公民権運動の指導者・キング牧師が呼びかけた有名な演説、I have a dream.私には夢がある。みなさんの「夢を形に」と重なります。
 いま、政治は、お年寄りを大事にしているとはいえない。
 しかし、I have a dream.この介護センター「げんき」が、お年寄りのみなさんのよりどころになる。若い人たちも集まってきて、お年寄りと交流する。子どもたちがやってきて、おばあちゃんから昔話をしてもらって、一緒に土いじりをし、一緒に童謡をうたう。
 そしてI have a dream.そんな暖かさが、介護センターを中心に社会全体にひろがっていく。子どもたちにも、お年寄りにも、暖かい社会と政治に変えていくことを。」
それは、先生と私たちの共有する夢であります。

 角谷先生より先に、先生の盟友であった田伏道男先生がなくなられました。その追悼集会の準備していた会場で、先生は私に「雑賀くん、わしの写真をとっといてくれ」といわれて、ポーズをとられた写真を、私はこの手に持っています。何を思って私にそういわれたのでしょうか。
 角谷先生、そしてその盟友であった多くのみなさんの意志を引き継ぎ、その夢を実現するために私たちはがんばってまいります。
奥様とご一緒に、私たちを見守ってください。さようならとは言いたくありません。先生はいつまでも私たちとともにいると思っています。

 2009年2月5日
               県議会議員  雑賀 光夫

お棺に入れていただくようにお願いした弔辞です。
d0067266_0172959.jpg
d0067266_018932.jpg

d0067266_23234253.jpg

[PR]
# by saikamituo | 2009-02-06 00:19

総合介護センターげんきの開所式

県会議員の雑賀光夫でございます。
総合介護センターげんきの開所式、おめでとうございます。
ここまでこぎつけていただきましたみなさんに心からご苦労様と申し上げたいと思います。
お年寄りがつどい、土いじりができ、ピアノがあって、歌声があふれる、そんな介護センターにしたいなど、いろいろな方からいろいろな夢を聞かせていただきました。地域のみなさんからも大きな期待が寄せられています。
「夢が形になる」みなさんの合言葉でございます。
アメリカでは、初めての黒人大統領が誕生いたしました。その40数年前に、黒人公民権運動の指導者・キング牧師が呼びかけた有名な演説、I have a dream.
であります。私には夢がある。みなさんの「夢を形に」と重なります。
 いま、政治は、お年寄りを大事にしているとはいえない。後期高齢者医療制度に怒りの声がうずまいています。一人暮らしのお年寄り、老々介護のお年寄りがいらっしゃる。
 しかし、I have a dream.この介護センター元気が、お年寄りのみなさんのよりどころになる。若い人たちも集まってきて、お年寄りと交流し、安心して年をとることができる。子どもたちがやってきて、おばあちゃんから昔話をしてもらって、一緒に土いじりをし、一緒に童謡をうたう。
そしてI have a dream.そんな暖かさが、介護センターを中心に社会全体にひろがっていく。子どもたちにも、お年寄りにも、暖かい社会と政治に変えていくことを。
I have a dream.さらに「夢を形に」みなさんとご一緒にがんばらせていただきたいと思います。
ありがとうございました。
d0067266_21244261.jpg

[PR]
# by saikamituo | 2008-11-15 17:02

「儒子の牛となる」探訪

(一) 議員の仕事は「儒子の牛」

 県会議員になって、6年近くなる。お酒を飲みながら、「議員とはどういう仕事なのかな」と考えた。
 ふと、若いころ魯迅の詩として覚えた一節を思い出した。「眉をひたたえて千夫の指に対し、首を臥して甘んじて儒子の牛となる」と記憶していた。いつ覚えたものか。まだ高校生のころ、姉が読んでいた「アカハタ」新聞か「民青新聞」に紹介されていたような記憶がある。 
 けれどもその原文を見たことがない。インターネットで検索できないだろうか。「眉をひたたえて」と検索したがヒットしない。「儒子の牛となる」で検索したらでてきた。
 「岩辺泰史の午後の歩き方」のブログに、神田の「兵六」という居酒屋にいったときのことが出てきた。
「山住正巳先生が好きだった魯迅の言葉が額に入っている。「冷ややかに眉を横たえて千夫の指差しに対し、頭を垂れて甘んじて儒子の牛となる」(だと思う)というもの。」
 岩辺泰史という方は「ランドセルが運ぶ風」などという教育書を出しておられるかただが、読んだことがない。山住正巳というのは優れた教育学者だったと思う。ああ、こんなひとたちが、この詩句に思いを寄せていたのかとうれしくなった。

(二)創価大学の創立者に教えてもらった出典

 さらに探してみると「創価大学創立者の講演」がでてきたのは意外だった。そのなかで、「眉を横たえて冷(ひやや)かに対す千夫(せんぷ)の指、首を俯(ふ)して甘んじて為る儒子の牛」(「自嘲」松枝訳)を紹介し「"たとえ千人の敵から指弾(しだん)されようとも、眉をあげて、冷然と立ちむかう。しかし、幼子のためには、頭を垂れて、甘んじて牛となって、背中に乗せてあげる"との心である。
 傲慢な権力とは、いかなる迫害を受けようとも、断じて戦う。
 誠実に生きる民衆には、尽くして尽くし抜いていく。
 この民衆愛の精神こそ、新中国をつくった若き指導者たちの魂であったのだ。」と紹介している。ここで出典をはじめて知ったのであった。

(三)  魯迅の原文をたずねて
 そこで「自嘲・魯人」と検索して、はじめてその原文に出会うことができた。
ところが、その解説を読んでみると、私が「議員活動の指針」として思い出した趣旨とは、すこし違うようなのである。
 解説は、次のような結びになっている。「…そのような意味であるから『自嘲』と題が付けられた。魯迅は時節の急変に即応できない自身の心中の懊悩を文字にしたのではなかろうか。闘将であればこそより一層戦うべきであるのに、日本租界にいて中国国内の文壇、“旧思想”と闘っている自分の姿に“自嘲”の念を懐いたのではなかろうか。
 その後、魯迅は毛沢東より高く買われ、上記の『在延安文芸座談会上的講話』でも、英雄的であると褒められ、「”千夫”とは敵のことである、…孺子とは、プロレタリア階級と人民大衆である…と如何様に凶悪な敵であっても、我々は決して屈服しない…」とまでいわれたので引っ込みが附かなくなったのではないか。…魯迅の作品を見て謂えることだが、彼は作品の主張を言明した用語、用字は、ない。反語、諧謔はままあるが。しかし、読み進めば、全体として、主張がよくわかる、というやり方である。
 魯迅は、確かに闘将である。感性豊かな闘将なのである。何如。」
このホームページの作成者はどういう方か分からないが、この解釈は説得性をもっているように思われる。そうだとすれば、創価大学の創立者の方も誤解しておられることになる。
 私は、久しぶりで「毛沢東選集」をひっぱりだして、「文芸講話」を目で追った。「自嘲」の詩句は、その最後で紹介される。「毛沢東」についてはずいぶん読んだつもりだったし、「文芸講話」も読んでいたつもりだったけれども、私の記憶にはまったく残っていなかった。人間の記憶というのは、妙なものである。

[PR]
# by saikamituo | 2008-11-14 21:59

オバマ大統領とキング牧師

 11月12日、「そのとき歴史が動いた」を見ながら、僕は泣いた。NHKのこの番組は人気番組だが、「ちょっと違うんじゃないの」と思ったものもある。しかし、今回の番組は文句なしによかった。キング牧師がベトナム反戦を訴えたことも紹介された。
 「バスに乗らない運動」の紹介の後で歌われたWe shall overcome. を聞きながら、涙があふれるのをとめられなかった。
 I have a dream. という有名な演説について、One day right there in Alabama, little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers.という箇所を思い出した。
ピートシーガーの”At the back ob the bus”という歌がある。日本語にすると次のようになる。
 もしも、バスの後ろの席に私がいなかったら、前の席に来てごらん。私はそこに乗っているでしょう。
もしも、ミシシッピー川に私がいなかったら、プールに来てごらん。私はそこで泳いでいるでしょう。
 もしも、綿畑に私がいなかったら、役場に来てごらん。私で投票しているでしょう。
 ピートシーガーが五弦バンジョーという楽器をかかえてこの歌を歌い、キング牧師が I have a dream.の演説をしたときから、40年たった。オバマ新大統領が、本当にキング牧師の夢を受け継げるのかどうかは、まだ未知数だ。しかし歴史は動いている。
 どんなに苦しくても、We shall overcome.と歌いながら進みたい。

d0067266_22472594.jpg
d0067266_2150556.jpg

[PR]
# by saikamituo | 2008-11-12 23:33

「小梅日記」を読む その1

「小梅日記」を読む
(一)
川合小梅という女性が話題になっている。幕末から明治にかけて、日記を書き続けた女性である。
小梅のことで私に電話がかかってきた最初は、毎日新聞社からだった。「編集長からの手紙に小梅日記のことを書きたいが、紀光さんの挿絵をつかわしてほしい」とのこと。「紀州お国自慢」という保険医協会から出されたパンフレットにはいっている川合小梅のペン書きの肖像画(想像画であるが)のことのことである。
 川合小梅というのは、和歌山市に生まれ、江戸時代から明治22年まで生きて、日常生活を日記に書き残し『画』もたしなんだ教養ある女性である。その後、「小梅日記を楽しむ会」の会長・辻健さんも議員控え室におこしになった。「紀光さんが描いた油絵の小梅の肖像画をつかわしてほしい」とのこと。和歌山市の吉田にある聖天宮さんといわれるお寺におかれている、雑賀紀光の描いた小梅の肖像画のことである。「紀光もよろこぶでしょう」と申し上げた。
 小梅没後120年でもあり、和歌山城フェスタにあわせて「小梅展」「講演会」を開きたいとのことである。
 ところで、この貴重な「小梅日記」の原本の一部を海南市のKさんがお持ちだという。郷土史家の柳喜治先生のご協力で探し当てることができた。奈良でお住まいのKさんのご子息は、貴重な原本を展示することを快諾され、辻健さんも大喜びである。
d0067266_18562166.jpg

(二)
こんな具合に、小梅にかかわりはじめた私だが、「小梅日記」というものを読んだことがなかった。父・紀光の遺品の中に、「小梅日記」のカバーの箱があったのだが、中身はみあたらなかった。物置をさがせば出てくるかもしれないが探していない。
そんなとき、同僚の奥村規子議員が「雑賀さん、小梅日記かりてきたよ。9月県議会では一般質問しないから余裕があるでしょう。先にお読みよ。」といって貸してくれたので読み始めた。古いものだからといっても、江戸末期から明治のものだから、源氏物語などとちがって読みやすい。
○ 13日 夜前より降。四つ比よりあがる。昼飯の時寛蔵来る。小林富太郎も来る。酒出す。京梅斉より送りこしたる牛肉あつ物にして1こんくむ。肉少々松下へわける。暖気也。(文久4〔1864〕年2月)
 へー、明治維新よりも4年前に、牛肉を食べていたのかと驚く。藩校の校長の奥さんだから、こんなものも食べられたのだが、お客があれば酒を出し、自分も一緒に楽しんでいるところが面白い。
             (三)
 はじめはこんな貴重な本をだれから借りたのか知らなかったから、汚したら悪いと思い、カバーのセロファン紙も傷めないように、大事に扱っていた。その後、その本の持ち主は、私も親しくしていただいている I さんだとわかった。
私は、学習新聞に、民青同盟のみなさんと学習会した記録をのせたとき、堀江正規先生の言葉(労働者の苦しみの原因がわからずに苦しむより、原因を解明する理論があるならそれを学ぶために苦しむほうがいい)を紹介し、その出典である「労働組合運動の理論・第7巻の栞」をお持ちの方はいないかと問いかけた。それに直ぐに応えてくださったのが I さんである。そういう蔵書家である I さんにまたもお世話になったことになる。
たまたま演劇鑑賞会のロビーで I さんにお会いして、大事な本を大事に扱っていると申し上げたら、「雑賀さんにお貸しした記念に、サインでもしておいてよ」とおっしゃる。サインなどおこがましいが、「本に書き込みしたりして汚してもいいよ」という許しをいただいたわけである
そこまで言っていただくと、すこしまじめに読んでみようかなという気になった。そこで「日本史年表」(三省堂)を引っ張り出した。
 「小梅日記②」は「文久四年(1864年)」からはじまる。ところが、この年の2月に年号は「元治」にかわっている。その「元治2年」は「慶応元年」なのである。
 元号というものは、明治以後は天皇の代替わりで改めるが、それ以前は、天災が多くて縁起がわるいといえば、人心一新のために改める。自民党が内閣を入れ替えるようなものである。歴史を見るのに不便極まりない。
 「慶応」というのは福沢諭吉が慶応義塾を開いた明治維新前夜である。「明治維新」を小梅がどう日記に書いたのか知りたいと思う。ところが、出版された「小梅日記」は「慶応3年(1867年)」から「明治9年」に飛んでいる。それでも維新前年の12月までの日記が読める。
 「明治維新」といえば「いやあロッパ(1868)君、明治だよ」と覚えているが、1868年の何月に何があったのかはしらない。そこで年表を見る。
1月 鳥羽伏見のたたかい
2月 5か条のご誓文
4月 江戸城開城
 さあ、その前年に小梅は、お酒を飲みながら世の中をどう見ているか読んでみよう。
[PR]
# by saikamituo | 2008-09-15 17:13

矢継ぎ早の「学校改革」が生む地域との矛盾

矢継ぎ早の「学校改革」が生む地域との矛盾

               党和歌山県議   雑賀光夫
(「議会と自治体」2008年9月 特集「地域と学校 統廃合問題を考える」

1 「拙速」はとりかえしがつかない「教育改革」

 いま、和歌山県では、高校入試の「前期・後期制」への批判がたかまり、県教育委員会も見直しにはいっています。「前期・後期制」というのは、高校入学者の半数の定数を前期試験で受け入れ、のこり半数は後期試験で受け入れるというものです。ほとんど全生徒が前期試験を受験しますから、半数の生徒は「挫折」を味わいます。「あまりに子どもを傷つけすぎる」と自民党の議員からも声が上がり、県教委も「見直し」を約束したのです。
 しかし、どう見直すのかというと簡単ではありません。20年ほどの県教委の高校政策は、「私学にまけるな」と公立高校の中に「専門学科(エリート学科)」をつくったりして「学区はずし」をするものでした。そして 2003年度からは中学区制を撤廃して全県1学区にしてしまったのです。 そのなかで起こってくるさまざまな矛盾に対応する小手先の入試制度いじりが、「推薦入試」であったり「前期・後期制」だったわけですが、いじればいじるほど子どもを傷つけることになるのです。しかも、いったん撤廃してしまった学区を元に戻すということで県民の合意をとりつけることは、たいへん困難です。「教育改革の拙速はとりかえしがつかない」と申し上げるゆえんです。

2 広大な学校区域を生む中学校統廃合プラン

県教育委員会諮問機関から「和歌山の未来を開く義務教育(義務教育ニュービジョン研究会議報告・平成18年)」というものが出されました。建前上は、少子化の時代に義務教育はどうあるべきかを提言したことになっています。「報告書」には、「資料」が添付されています。小中学校のあるべき姿を全面的に検討とするのなら、「学力」「体力」「不登校」「校内暴力」など学校がかかえる教育課題についての資料が添付されているのだろうと誰もが考えます。ところが、そこに添付されているのは、「学校規模の全国順位」「児童生徒数の減少」などにかかわる資料だけなのです。
その中に示される「中学校の適正規模化」の指針は「① 一学年3学級以下の中学校は、統合を検討。② 通学範囲は、文部科学省がいう6キロメートルを大きく上回るが、通学路の整備やスクールバス導入につとめる。」の2点につきます。その文言通りに統合が実施されれば、大変な広い校区の学校ができてしまうのが、和歌山県の過疎地の実態なのです。私は「教育論のふりをして、財政上の都合での学校統廃合プラン」と批判しています。
この「報告」と平行して私が住む海南市では、中学校の統合計画がすすめられていました。人口5万人たらずの海南市(その後合併して少し大きくなりました)には、6つの中学校がありました。少子化のなかで、どの学校も1学年2学級から3学級になっています。たいへんコンパクトで落ち着いた教育環境が実現しています。海南市教育委員会は、それを2または3校に統合する案を示したのです。
公民館で開かれた地域の説明会に参加しました。そこでのやり取りです。
(お母さん) 私もよそからきたときは、私学ということも考えた。しかし、いまの中学校はバッチリ。入学式で校長先生が「この学校は活気がある」と語られたがほんとにそうだ。中学校をこのまま残してほしい。
(教育長)学校がそんなに信頼されているとはうれしいことです。意見としてうけとめたい。
統合計画をめぐっての論議は、いまもつづいています。「生徒数が少なくなって部活動がやりにくい。運動会がさびしい」という意見もあります。運動部活動など社会体育として地域で共同してすすめることも検討してもいいように思います。
私たちは、あまりにも小さい学校については統合も必要な場合があると考えています。保護者からそれを望む声が出されます。しかし、学校がなくなった地域は、火が消えたようになって過疎化が進行します。地域の住民のみなさんから「なんとか学校を残せないか」という声が出されます。こうしたなかで、「保護者・地域住民合意」が大切だと考えています。

3 統廃合を押し返した大成高校と地域の運動

県教育委員会は2005年、「県立高校再編整備計画」を策定していました。そこでは「望ましい学校規模」を「1学年4~8学級」としていました。
2005年8月26日、県教育長は、「再編整備計画」の具体化として「来年度から大成高校の募集停止をし、海南高校と統合する」 と発表したのです。和歌山市の南に隣接する海南市の海南高校、その奥の紀美野町の大成高校。中学区制のときは、同一学区に属した普通科高校でした。和歌山県では学区が撤廃されて、全県1学区になっているのは、先に述べたとおりです。
募集停止発表直後の9月県議会で、わたしは次のように述べました。
「大成高校は、…ここ数年間、学区撤廃にもかかわらず3学級の定数を、地元野上町・美里町・海南市の生徒が372名中、約300人を占める、地元にねざした高校です。…募集停止案を発表する3日前には、90人を越える中学3年生をむかえて体験入学を実施しています。フェンシングをやっている在校生が、地元・野上中学校を訪問して、「ぜひ、大成高校に来てください」と呼びかけています。」
こうしたさなかの、突然の発表です。大成高校育友会は「統廃合白紙撤回」の署名にとりくむことになりました。小中学校PTAや教職員組合、新婦人の会などの民主団体の協力が広がりました。高校生もJR駅前などで署名を訴えました。9月22日には、海南市民会館で「大成・海南高校統合を考えるシンポジウム」が200名の参加で開かれ、高校生もパネラーとして大成高校存続への思いを語りました。
こうしたとりくみの広がりの中で、署名は5万2803筆にのぼり、9月県議会では、大成高校育友会から提出された請願は、全会一致で採択されました。10月7日には、木村知事が大成高校を訪問して、地元町長・教育長や育友会役員などと懇談しました。
こうした大きなうねりのなかで、県教育委員会は、「来年度から募集停止」ということは撤回し、2005年度は3学級(120人)の生徒募集がおこなわれることになったのです。
それでも「統廃合計画」が撤回されたわけではありません。地域の運動はこれからです。ちょうどこのころ11月11日、大成高校は「創立80周年記念式典」の式典が開かれました。私を含めて3人の地元県会議員は祝辞をのべたのですが、「大成高校存続を」と訴えるそれぞれの祝辞に、保護者・生徒から拍手がわきました。私は「私のところに寄せられたのは、『大成高校の生徒たちは、すごくよくなってがんばっているのよ。その大成高校をなくさないでほしい』という声でした。地元のみなさんの支持がなかったら、5万もの署名が集まることにならなかったでしょう。来年度からの募集停止を押し返すことができたのは、君たちの力です。」と述べました。
d0067266_8571165.jpg


4 「存続させる会」を結成し、生徒の就学権を保障

年が明けて、1月16日「大成高校を存続させる会」が結成されました。和歌山県南部、古座高校についても募集停止・串本高校と統合することに反対するたたかいも平行して進められていました。「存続させる会」の結成総会には、先に「会」を結成していた「古座高校を存続させる会」からもおいでいただき、激励の挨拶をいただきました。「大成高校を存続させよう」というタテ看板が、紀美野町、海南市の各地にたてられていきました。
こうした中で、県教育委員会は「① 当面は大成高校を存続させる。 ② 募集定数は120名とするが、2年連続で106名に達しなければ、合併の方向で協議する。」という方向が提示されました。
私たちは、この案を了承したのではありませんが、「当面存続」を含んだ方向が出されたことは、大きな意味をもつと考えました。ここでは、「① 大成高校を魅力ある高校にして、106名以上の募集達成をめざす。 ② 106名という基準を機械的に適用しないように要求する」という二つの方向での対応となります。
しかし、学区制が撤廃されて高校間格差が固定化されているわけですから、「魅力ある高校に」といっても簡単なことではありません。大成高校の定数は、二次募集でやっと埋まるというのが実態です。海南高校の募集定数が引き上げられれば大成高校の募集定数には穴が開きます。
2005年度の大成高校入学者は、106名を越しました。ところが2006年度は海南高校募集定数1学級増となったのです。そのことは、生徒・保護者の要望にこたえたものですが、大成高校は、106名の基準を、わずかですが下回ることになったのです。(2006年・2007年)
 私たちは、こうした条件の中で「基準の機械的な適用をするな」「地元生徒の就学権をどう保障するのか」という立場から、あらためて運動を再構築することになりました。4月から7月までの短い期間のとりくみでしたが、私もあらためて県議会でもとりあげました。
 こうしたとりくみ中で、県教育委員会は「①平成20年(2008年)から統合校開設、②大成高校現校舎を統合校の分校舎として2学級で生徒募集する」ということを示したのでした。古座高校についても同様でした。当初の「統廃合」そして途中で提示された「2年間に限って分校舎」という案を押し返して、期限はつけずに大成高校の場所に2学級の分校舎が残ることになったのですから、私たちは「地元生徒の就学権保障」という面から、また全国でとりくまれている高校統廃合の状況からみて、一定の評価できるものだと考えています。

 統合校の名前は「海南高校」となり分校舎は「海南高校大成校舎」と呼ばれています。ひとつの学校に分校舎がおかれ、別の入試で生徒を入学させるわけですから、これからさまざまな苦労があるだろうと思います。また、分校舎の教育内容を充実させないと分校舎の存続もままなりません。
 しかし、県教育委員会が高校学区撤廃・中高一貫県立中学校推進など矢づぎ早にすすめてきた「高校改革」に保護者と教職員組合・学校・地元自治体・会派を超えた地方議員の協力などで、ストップをかけ、生徒の就学権保障に一定の成果を残すことができたたたかいは、大きな意味を持っていますし、その力をさらに教育を守る運動に行かしていくことが求められると思っています。
d0067266_85831100.jpg


5 中高一貫県立中学校をめぐって

 学校改革のもうひとつの重大な問題は、中高一貫の県立中学校でした。和歌山県で、義務教育に複線化をもちこむこの制度が持ち込まれたのは2004年からです。私は「中高一貫の県立中学校がつくられれば、受験させたいという保護者は多いだろう。しかし、その学校の設置が公教育にゆがみを持ち込むことが問題だ。」と指摘しました。最初は和歌山市の1校でした各地域に広げられていきました。私は「和歌山市に一校だけ設置されたときには、中学1年生のうち70人に一人がこの学校を選択した。しかし、各地に県立中学校ができると、15人に一人程度の中学生がこの学校を選択することになる」と指摘し、「ゆがみ」が加速されることを警告しました。
最近、県議会文教委員会で、地域の教育長さんや校長さんのご意見を聞いて回る機会があったのですが、伊都・橋本での懇談で、ある校長がおっしゃいました。「県立中学校ができて、小学校から中学校に来る九〇人の児童の半数が受験しました。一三人が合格。合格しなかった児童の中にも私学に行くものも増えて、二〇人が抜けました。県立中学校というのは、一般の中学校にいい刺激を与えるといわれてきましたが、大打撃です。」わたしが警告した以上の「ゆがみ」を生んでいるのでした。
それにもかかわらず、県議会では「うちの地域にも県立中学校を」という発言があります。自分の支援者から「近くに県立学校があったらうちの子もいかせたい」といわれると、「県民の声だ」と発言するのです。一方で、「高校入試の前期・後期制」では、支援者の子どもさんが傷つき、その声が保守の議員にもとどきますから、県議会でも批判がでるわけです。
実は、ここに「教育改革」での県民合意の難しさがあります。「高校学区拡大」は、個々の受験生と保護者にとっては、「受験の自由」が拡大されるかのようにみえます。「県立中学校」ができれば、子どもを入学させたいと思う保護者はいます。保護者としては当然のことです。
しかし、こうした競争の教育の強化が、長い目でみてどういく子どもを育てるのか。「秋葉原でおこった事件を考えよう」といっただけでは、あまりに短絡的に聞こえますが、深いところで子どもと教育をゆがめていることについての論議が必要です。

6 受験偏重教育は、ほんとうに子どもを伸ばすのか

生き残りをかけた受験教育する私学があります。ところで、受験に特化した教育は、長い目で見て子どもの能力を伸ばしているのでしょうか。
私は、昨年6月の県議会文教委員会に、異例の質問をしてみました。それは教育委員のお一人に和歌山医科大学の学長をなさった方がおられたからです。
「Q 受け入れた側の経験がある駒井委員に、和歌山の公立高校についての感想を聞きたい。
A ……私のまったくの個人的な見解だが、いわゆる進学校から入ってきた人と公立校から入ってきた人の将来を比較すると公立校出身者の方が伸びる。これは確かに言える。……」(文教委員会議事録)
 「受験私学のゆがんだ教育は、医者になっても問診もできない医者を産みかねないという危機感が関係者のあいだで交わされている」という話を聞いていたのでぶっつけてみた質問ですが、駒井委員は率直に答えて下さったのでした。
 もちろん、受験私学ばかりでなく、人間教育を大切にする私学が少なくないことは言うまでもありません。受験偏重になれば、公立でも同じことです。
 文部科学省は、教育基本法の改悪、教育振興基本計画で教育の管理統制を強める一方で、教育予算の削減をはかっています。その一番手っ取り早いものが、学校統廃合です。
 人間らしい豊かな教育の実現に向けて、教育現場の自由、教育の自主性を守り、保護者とともに三十人学級実現の運動などを広げていきたいと思います。
(さいかみつお)

[PR]
# by saikamituo | 2008-08-30 23:22

「ドイツ・イデオロギー」再読余話

マルクス・エンゲルスの書き間違い
「ドイツ・イデオロギー」再読余話
 
(一)
不破さんの「古典への招待」を読んで興奮したものだから、しないことにしていた学習新聞への投稿をしてしまった。それをきっかけに、毎晩寝床に、「ドイツ・イデオロギー」を持ち込んでいる。
ところで、10数年前から「ドイツ・イデオロギー」で気になっていることがある。どう見ても書き間違いとしか思えない、一節がある。
最新の「服部・監訳」ではP30。「奴隷制は蒸気機関とミュールージェニーなしには廃止することができないし、農奴制は農業の改良なしには廃止されることができない」。
この「奴隷制」と「農奴制」は逆ではないだろうか。書き間違いではないだろうか。「ドイツ・イデオロギー」を分からないながらはじめて読み出したのは30年ほど前ですが、そのころには気にならなかったものです。
マルクス・エンゲルスの草稿については、細部にわたっての検証が進んでいる。新MEGA編集のための分担で大きな役割を果たしている日本の研究者の報告が、雑誌「経済」でよく紹介されたが、そこでは、マルクス・エンゲルスの落書きのようなものまで、検証の対象になっているようだ。「そんなことに意味がありのか」とさえ思ったことがある。
マルクスにも「単純ミス」があって、「資本論」のどこかで、単純な計算間違いをエンゲルスが訂正した箇所があったと思う。マルクスは、資本論を書く時期の体調のよくなかった合間に、高等数学の勉強をしたというが、単純計算は苦手だったという話がある。人間だから書き間違いがあるのは当たり前だといえよう。
さて、私が問題にする「書き間違い」(?)のこの部分は、不破さんが最初に解説する部分の冒頭にでてくるが、不破さんは「書き間違いがある」とは言っていない。

(二)
 悪趣味の私は、この部分を、「ドイツ・イデオロギー」各版が、どう取り扱っているかの検証にとりかかった。「渋谷訳」は「注釈」が膨大だから何か言っているかとひも解いたが、その「注釈」は、原本復元にかかわることだけで、内容については触れていない。
もしかしたら「アドラッキー版」(全集版)になにか注釈があるだろうかと開いてみた。「全集・第三巻」は分厚いので、「国民文庫版」を開いた。その際、「全集」の翻訳には何人かの方が当たっておられるが、「フォイエルバッハ」の部分の翻訳には、真下信一先生が当たり、全体の監修にも当たられていることがわかった。だから、「国民文庫版」は「フォイエルバッハ」の部分だけをとりだしているから、「真下信一訳」となっている。真下先生といえば、不破さんが「招待」の中で、学生時代に真下先生から「ドイツ・イデオロギー」の解説をいただいたと述べている真下先生である。ついでに言えば、最近、上田耕一郎さんが鶴見俊輔さんと対談した(雑誌「経済」)ものを読み返したが、ここで上田さんも真下信一先生の講義を受けたという話を語っている。
私の悪い癖で、連想ゲームみたいな話になるが、真下先生で忘れられないのは、「ヘーゲル法哲学批判・序説」(真下信一訳)への「後書き」である。
私は、労働組合の役員をしていたころ、学習協の松野君をそそのかして、大阪の猿橋さん、奈良の藤岡さん(奈良教組の元委員長)を講師に迎えて学習会を企画してもらったことがある。なぜその学習会を企画したのかの説明に、真下信一先生の「後書き」を紹介した。私が書いたたくさんの拙文の中では、かなりいいものだという自負があるので、紹介することをお許しいただきたい。

《追記 前回の「実践労働組合講座」は、猿橋さんの大阪の労働組合運動の経験をお聞きしました。今度は奈良の話です。情勢も違っている古い経験ばかりなぜ聞かしたがるのか(実は、私が聞きたくて企画するのですが)という声がありそうです。哲学者・真下信一先生の次の文章を紹介しておきます。
「一つの自然的生命の生まれ出る場に立ち会うことがそうであるのに、まして全人類史的な重みを持つ一つの精神的生命の花開く場に居合わすことのなんというめざましく鮮やかな喜びであることか!私は、ヘーゲルの「精神の現象学」とそれへつながるかれの青年期の諸論文にかかわるとき、マルクスの「ドイツイデオロギー」と直接それに導くこの「独仏年誌」所収論文、つぎの「経済学・哲学手稿」等々の初期の諸労作にたずさわるとき、とりわけ、しみじみとそのようなよろこびにひたる想いがするのである」(国民文庫「へーゲル法哲学批判序説」訳者あとがき)
真下先生があげているヘーゲル・マルクスの初期の著作は、私には歯が立たず、こんなくそむつかしいものを「喜びにひたって」読める人がうらやましいと思うのですが、実は、ここに古典の味があると思うのです。古典を読む喜びというのは、前人未到の課題に挑戦し、道をきりひらく理論と実践を追体験する喜びだと思うのです。科学的社会主義の教科書よりも、マルクス・エンゲルスの古典、レーニン全集を読んだり、宮本賢治さんの若き日の著作、たとえば「統一戦線とインテリゲンチャー」などに引かれるのは、そういうことだと思うのです。
猿橋さん、藤岡先生の経験からも、「あたらし運動を生み出す陣痛と生まれ出る喜び」を追体験し学びたいのです。》

               (三)
 閑話休題。本論にもどろう。
 私は、アドラッキー版を原本にした「国民文庫」(真下信一訳)で、「農奴・奴隷」の書き間違い(?)の箇所を探した。ページをめくってみると、けっこう読んでいることが分かる。この国民文庫は装丁が悪いので、ページがバラバラになるほど読んでいる。「それなのに、お前の頭に入っていない」といやみは言うなかれ。とにかく、どんなにページを繰っても、問題の箇所は見つからないのだった。
 そこで、もう一度、「服部・監訳」にもどってみた。欄外に「訳注」がある。「この部分は、1962年にはじめて公表された紙葉。全集③〔追補〕六〇四ページ参照」とある。
 私は、「全集」版にとびついて、ページをくった。あったあった。この部分は、「一九六二年にバーネという研究者が発表した論文で紹介された未発見草稿」(服部解説・服部監訳P一二三)なのです。「全集」では本文に組み入れられずに、「補遺」として巻末に入っていたのです。以前に、全集版や国民文庫版で読んでいたころには気にならなかったのが当たり前です。そのころのテキストには入っていなかったのですから。わたしが、10年ぐらい(あるいはもっと)前から、渋谷訳・広松訳にこだわったころから気になりだしたこととも整合性がつきます。
 さらに、服部先生の解説で、1960年代の到達点の翻訳が、「マルクス・エンゲルス8巻選集」になっていることを知りました。これなら買って持っています。この翻訳が貴重なのは、訳文が、全集版とほとんど同じなのです。ところが、編集が「服部・監訳」本に近い内容になっています。だから「アドラッキ版」が、マルクス・エンゲルスのテキストどう切り刻んだのかを、ドイツ語で検証できない私たちが、「ドイツ・イデオロギー」復元の歴史を追う上で、「服部・監訳」との間におけば、研究の手だてになると思います。
 古典をじっくりと読めないことにいらだちながら、いろいろな訳本を買いあさったのも、まったくの無駄でもないかも知れません。ところで、私が「マルクス・エンゲルスの書き間違い」と思っている箇所は、私の「読み間違い」なのでしょうか。

  2008年4月23日
                        雑賀 光夫(県学習協副会長)

(追伸)若い皆さんで、「ドイツ・イデオロギー」「資本論」の翻訳を比較検討したいという方がおられましたら、私の本棚で埃をかぶっている各種訳本を学習協の事務所に保管いただいてもいいと松野さんに申し上げています。
[PR]
# by saikamituo | 2008-05-27 22:10

不破さんの「古典への招待」〔上〕)を読んで

不破さんの「ドイツ・イデオロギー」解説(古典への招待〔上〕)を読んで
(一)「ドイツ・イデオロギー」を買いあさった私

 私は、たくさんの翻訳を買いあさった本が二つあります。一つは「資本論」。岩波・青木・大月・国民文庫・新日本・あゆみ・初版(国民文庫)・フランス語版(林直道)・フランス語版(法政)・それにドイツ語版・英語版です。
いまひとつはマルクス・エンゲルス「ドイツ・イデオロギー」です。マルクス・エンゲルスの思想形成を解明するには、欠くことのできない労作だとされていますが、マルクス・エンゲルスの生前には出版されなかったものです。
 岩波文庫版(古在由重訳)、国民文庫版(真下信一訳)。さらに「マルクス・エンゲルス全集」を古本屋で見つけて買い足していったので、その「第三巻」を手にしています。
しかし、これらの翻訳の底本は「アドラッキー版」といわれ、それは「偽書だ」ということを私が初めて知ったのは、広松渉という方が書いた文章からでした。アドラッキーという編集者が、マルクス・エンゲルスの草稿から、当時の史的唯物論の理解にそって、張り合わせた編集で、「マルクス・エンゲルスの著作とは言えない」というのです。
 広松渉さんいついては、いろいろな評価がありますが、私は、広松渉さんが編集・翻訳した「ドイツ・イデオロギー」訳本に関心をもっていました。「ドイツ・イデオロギー」は、マルクス・エンゲルスの生前には出版されず、原稿の紙束として残されました。それも、半分に折った紙の左に書き込んだ原稿に、右側に書き込みがあるなどの複雑な原稿です。ですから、普通の翻訳では再現できないのです。広松版というのは、箱に入ったドイツ語・日本語の二巻本。しかも、左右見開きの右側は、贅沢な余白を空けて、原本の忠実な再現を図っているのです。東京の古書店で、「広松版」を見つけ、値段が高かったので逡巡した末に買いました。
 その後、「前衛」誌上に、「ドイツ・イデオロギー」の新訳が掲載されました。(1995-6年)それが服部文男訳でした。その後、「草稿完全復刻版・ドイツ・イデオロギー」(渋谷正 編・訳)(新日本出版社1998年)が出版されました。「渋谷訳」というのは、箱入りの二冊本。ドイツ語の原文はないかわりに、ものすごく詳しい「注釈」が本文と同じ厚さの一冊になっているのです。もう一つの特徴は、左右見開きを広松版のようにとっていて、マルクスの悪筆の部分が、(エンゲルスはきれいな字を書くが、マルクスは悪筆で知られます。)ゴジック体の活字になっています。その分量は、大変少ないことが分かります。このころ私は「広松先生がんばれ、服部先生がんばれ」というようなちゃかした文を書いて、自分のHPにものせていると思います。

(二)不破さんの「古典への招待」の衝撃

 ここまで述べたように、「ドイツ・イデオロギー」の翻訳を買いあさった私ですが、とても歯の立つものではありませんでした。
 そこで出会ったのが、不破さんの「古典への招待」(上)でした。2008年2月の出版です。マルクス・エンゲルスの古典解説なのですが、その圧巻が「ドイツ・イデオロギー」解説のように思います。そのことは、ページ数でも他の古典解説の二倍のスペースを割いていることからも伺えます。不破さんがいう、マルクス・エンゲルス・レーニンを「現在進行形で読む」、その発展・理論的進化の過程を追って読むという方法は、「ドイツ・イデオロギー」のような著作でこそいっそう光ります。
 さらに、その解説の最後で、「ドイツ・イデオロギー」の到達を、その後の重要な著作である「経済学批判・序説・序論」と対照表をつくって解説するのには、あっと驚く思いをしました。こんな解説をした人は、これまでなかったのではないでしょうか。
 最初に「招待」の解説を読んで、古典の文章にあたろうと「渋谷訳」をとりだしたのですが、不破さんの解説が、「渋谷訳」のどの部分に当たるのか分からないのです。そこで私は、不破さんの解説に使われている「新訳・ドイツ・イデオロギー」(服部文男 監訳)を買うことにしました。「前衛」連載訳をベースに1996年に出版されたものです。
 服部文男先生の解説も、広松渉さんの「物象化論」と「疎外論」の関係など、大変興味深いものです。「広松版は…技術的には原本に近い形を再現していますが、『ドイツ・イデオロギー』エンゲルス主導説…という独特の解釈が翻訳に反映していますので、一般読者向けではありません」(P125)というのは、どういうことでしょうか。先に「渋谷訳」で述べたように、マルクスの悪筆(訳文ではゴジック)の部分は、大変少ないのです。共同討議したものを、字が上手だったエンゲルスが書いたというのが、服部先生のご意見なのでしょうか。
 不破さんの解説を導きの糸にしながら、「服部訳」のフォイエルバッハについての「四つの草稿」のうち最初に書き下ろしたという第二草稿を不破解説の7つの区切りにそって、赤鉛筆で区切りをいれたところです。それと「渋谷訳」と付き合わせる作業を始めています。そうすると、「渋谷訳」に入っているが、「服部訳」では省かれている部分がたくさんあることが分かります。マルクス・エンゲルスが線を引いて抹消した部分です。その中には、不破さんが解説の中で「服部訳にははいっていないが、大事な部分だ」といって、わざわざ「渋谷訳」から引用して紹介した部分もあります。
 こうした作業をして思うのは、原文を忠実に訳出した研究者用の「渋谷訳」とくらべて、「服部訳」がすごく読みやすく整理されているということ。アドラッキー版の「偽書」といわれた整理でなく、原文にそった、しかも研究者でない私たちにでも読める翻訳ができたということでしょう。不破さんは、読みやすい「服部訳」をテキストに解説しながらも、研究者版の「渋谷訳」に目を通しているのだから、すごいものです。
 もう一つ思うのは、不破さんの解説も、ページ数をとって解説していると言っても、7つの区切り一つ一つをみると、きわめて簡略な解説になっていることです。「解説を読んで古典を読んだ気になってはいけない」ということを考えさせられます。
 服部先生も広松先生も亡くなられました。先学の研究によりながら、マルクス・エンゲルスの思想形成を追ってみられたらと思いますが、県会議員としての忙しさの中ではままなりません。暇ができるころには、こうした意欲が残っているでしょうか。あの年齢で知的作業ができる不破さんは、すごいものです。

[PR]
# by saikamituo | 2008-03-27 21:55

ペンを持たない子

古いフロッピーからでてきたもの。眠らせておくのはもったいない

「ペンを持たない子どもへの指導はどのようにしたらいいの・・・」
     ~障害児学校のある若いS先生の悩みと実践~

   (一)
 担任の生徒はペンを持たない。「なぜなの」「いったいどうしたら・・」「この子はいったい、なんなの」……S先生は悩む毎日でした。
 そんなとき、目にとまったのは机の上の「一緒に学びませんか」という障害児教育部のビラでした。「少しでも手がかりが得られれば」と学習会に参加してみました。五月三〇日のことでした。
 学習会では、順番に授業で困っていることなどを出し合い、互いに助言をしあうのです。「文字指導をしたいのだがペンを持たないのです。どうしたらいいのか、お手上げです。」「絵もかこうとしません」と堰を切ったように悩みを話しだしたのです。
 「お話を筋道立てて話せるようになるのは一般的に5歳中ごろ、人に伝えたいといった彼女の内面の育ちはどうなのか」「内面の力が育っていないのに、書くことを求めすぎたのじゃないのかな」といったことなど、出席者からいろいろその子の見方について意見が出されました。
 S先生は学習会終了時に、「今日は来て本当によかった。まだどうしたらいいのか見えないのですが、明日からもう一度やり直してみようという元気がでてきました。」
 S先生の発言に、出席者が逆に元気をもらったような感じで、出席してよかったという思いを共有しあえるような感動的な学習会となったのでした。
                 (二)
 次の学習会は、六月二〇日に開かれました。
 「みなさんにお礼を言いたくて…………。子どもがペンを持ってくれたんです」と輝いた笑顔で話すS先生。「えっ、まだ一ヶ月もたってないのに」と驚く出席者。
 「実は」とS先生は、その経過を話してくれました。
 ①その子の生育歴をしらべてみました。保育所などで、絵を描いたり字を書いたりする指導を受けているが、自分は他の子のように書・描けないということを彼女自身、いやというほど自覚している。保護者の方も教育熱心である。
 ②「そういった彼女のつらさに共感するところから入ろう」「彼女が私に心をひらいてくれることを大事にしよう」「かかさなければ、という思いを投げ捨てよう」と、机にはさりげなく紙と鉛筆を置いて、お話をたっぶりすることからとりくみをはじめた。
 ③しばらくしてから、彼女は話しながらペンをもって「なぐりがき」をはじめた。「やったーという思いを押し殺して、知らないふりをしてお話を続けた」(彼女は必ず「かける」ということを信じていてよかった)
 ③「なぐりがきの中に、お父さんやお母さん、私も出てきたの」(本当にうれしそうに話すS先生でした)
 ④「上手にかけたね」という声がけに、急に「警戒の表情」を示した彼女。そんな彼女の思いを知りつつ、教室に彼女の絵を貼り出す。その場では貼り出したことを喜んでいないような彼女だが、家ではお母さんに貼ってもらったことを喜んで話したんだそうです。お母さんから、「絵をはってもらったことなど、こんなに喜んで話すことはなかった」とお礼の連絡が入ったということです。
                (三)
 S先生は言いました。
 「何とかかかさなければ、という思いを、私が投げ捨て、私が変ったとき、子どもがかわってきた。私は、それまで指導書を片手に、指導書にあわせて教育しようと思っていたんですね。最初の学習会に出席して、指導書を脇におきました。子どもに合わせて教育しなくてはならないんですね。そのためには、一人で悩んでいてはダメだ。子どものことが語られる学習会で学ぶことが、私の教育観を変えました。」
[PR]
# by saikamituo | 2008-01-23 23:15

和歌山放送で梅田恵似子さんが

梅田恵似子さんに干し柿をおとどけしました。
「とびある記」にでてくるものです。
年末、和歌山放送でのその部分です。
d0067266_22545627.jpg
梅田恵似子さん

d0067266_19444327.jpg

梅田さん このあいだ私たち干し柿についてしゃべったでしょう。
アナ嬢  柿のことワーワーいうてましたね。
梅田さん こうてきてあげようというて、紀美野町ですか、私に買おうと思ったら、もっていてあげてというてくれたんですって。
アナ嬢  プレゼントしてくれたんですか。
梅田さん 紀美野町の元美里の箕六というところある、山の中のですが中谷一さんというひとが。私にあげたいと言った人は、雑賀紀光さんの息子さん。
アナ嬢  雑賀光夫さん、県会議員されていますね。
梅田さん そうそう。まず持って行ってあげようと思って雑賀さん買いに行きはったら、持って行ってあげてと。
アナ嬢  恵以子さんの人徳で
主婦の方 まだ水分がある。
梅田さん あんぽ柿、これがおしいかってね。茶色になってますけども。
主婦の方 これは羊羹ぐらいの甘さですね。
主婦の方 めずらしで、こんなにベッシャンコにしているの。
梅田さん 紀美野町の美里で売ってるみたい。
アナ嬢  主婦同士の情報交換会みたいになってますね。
主婦の方 (美里の干し柿)これいいねえ。
アナ嬢  まだ、干し柿の話題がつづいていますが。
梅田さん 紀美野町の美里干し柿というんです。こちらのほうの串柿は四郷の干し柿。
主婦の方 (美里の干し柿)これめずらしいねえ。
アナ嬢  今日、二パック持ってきて下さったんですが、一つは柿色が濃くなっていて、一つは白く粉を吹いたようになってるんですが、二種類のものがるんですね。干し方が違うんでしょうか。
梅田さん 濃いほうが甘い。水分がたっぷり残っているし、後味がいい。
主婦の方 羊羹みたいですね。
d0067266_19434657.jpg


d0067266_233133.jpg

梅田さんは、父・紀光との仲良し友だちでした。その合作の傑作が「味な味」です
[PR]
# by saikamituo | 2008-01-06 18:35