雑賀光夫の徒然草

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紹介「現代の哲学と政治」

紹介「現代の哲学と政治」
(岩波新書・ジョンサマヴィル著・芝田進午編訳)
志位委員長のアメリカ訪問にかかわって
(一)
 参議院選挙を前にして、街頭宣伝にでます。
…いま、最大の政治問題は、沖縄基地の問題です。
鳩山首相は「国外に移す、最低でも県外に、」とさかんに言っていましたが、いま鳩山首相が言っているのは、当面は今の基地をそのままにして、名護市の沖に杭を打ち込んで、新しい基地をつくり、一部を鹿児島県の徳之島に移す計画です。今、沖縄県では、自民党から共産党まで、すべての政党が、民主党の公約違反に怒り、先月25日には、9万人の県民大集会が開かれ(中略)
鳩山首相のあやまりはどこにあったのか。オバマ大統領と会って、「トラストミー」(を信じて下さい)などといって、アメリカも気に入るようなことを考える。沖縄県民の声を受けて、全面返還の交渉をしようとしないことです。d0067266_9532496.jpg
このたび、志位委員長など共産党代表団がアメリカを訪問し、「日米友好のためにも、普天間基地は全面返還しかないことをアメリカ政府に伝えました。そればかりではなく、アメリカ建国の精神とリンカーン大統領とマルクスの交流に触れて、アメリカ民主主義に訴えかけたのでした。…
このたびの志位委員長のアメリカ訪問、そこでアメリカ国民に訴えた中身は、大変深い思想的意味をもつものだと思います。
            (二)
私は、いま、若い人たちに読んでもらいたい一冊の新書本を本棚からとりだしました。標題にかかげた本です。1968年に出されたもので、私の蔵書には、「1971年3月30日―31日」と書き込んでいます。学校現場でいて組合青年部や民主青年同盟の活動をしていた時代です。65歳になったいまなら、新書本でも読みとおすのに一週間ぐらいかかりますが、「40年前には、二日で読んだんなあ」という感慨もわきます。読書は、若いころにこそすべきものです。インクで書き込みがあります。「マルクス主義とジェファソン主義は、共通の基礎に立ちうる!」
ジェファソンというのは、アメリカの第三代目の大統領ですが、アメリカ独立宣言起草に中心的役割を果たしたのです。独立戦争で大きな役割を果たした軍人のジョージ・ワシントンが第一代大統領になるのですが、アメリカ独立宣言の思想をジェファソン主義というのだそうです。この本ではじめて知って、本に書きこんだのでしょう。

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# by saikamituo | 2010-12-14 21:20

魯迅と宮沢賢治

魯迅と宮沢賢治
 サラリーマン・宮沢賢治がテレビで紹介された。これまでにない新しい視角で、それなりに面白かった。童話を何度も書き直したということも紹介されていた。そこで久しぶりに宮沢賢治詩集をとりだした。
 宮沢賢治の詩というのは、わかりにくいのである。「雨ニモマケズ」というのは、分かりやすいから、宮沢賢治という人はそんな詩を書いた人だと思ってはいけない。岩波文庫の「宮沢賢治詩集」は、谷川徹三編集のものだが、そのかなりの部分を占める「春と修羅」などという詩は、僕には全く理解できない。「雨ニモマケズ」というのは、生前に発表されたものでなく、サラリーマン賢治の鞄の中の手帳に書きつけられていたもの。それが一番有名な詩になったわけである。
 一時、「もし私が先生になったら」というのがはやったことがある。 『もし私が先生になったら』 もし 私が先生になったら 自分が 真実から目をそむけていて どうして子供たちにあしたのことを語れるか・・・。 もし私が先生になったら 自分が 未来に目をそむけていて どうして子供たちにあしたのことを語れるか・・・。 (以下・略)
   作:作者不明(宮沢賢治とされているが違う)

 宮沢賢治だったら、こんな風に語っただろうということが、誰かが詩の形式で語ったもので、大変よくできている。一時、「宮沢賢治・作」ということで流れていたが、「賢治にそんな作品はない」ということになった。その論議の時、「本当の宮沢賢治なら、こんな平明な表現はしない」という専門家の意見があったが、僕もそうだろうと思う。ただ、この偽作は、それ独自の価値を持って、先生の在り方を語っている。宮沢賢治も「勝手に名前を使ってけしからん」とは、言わないのではないだろうか。
そんなころ、谷川徹三編集の賢治詩集を手にした。教育にかかわるもので「生徒諸君によせる」という詩がある。生徒諸君の中には多くの天才がいるとして、未来のダーウィンよ、コペルニクスよ、マルクスよと呼びかける壮大なスケールの詩である。「雨ニモマケズ」の素朴・平明さは、例外的である。

d0067266_1054859.jpg 宮沢賢治の晦渋な詩と平明な童話や「雨ニモマケズ」について考えているとき、もう一人の文筆家の名前が頭をかすめた。魯迅である。最近、「魯迅評論集」(岩波文庫・竹内好)をベッドに持ち込で読んでみた。この魯迅が、分かりにくいのである。「私は人をだましたい」などという文がある。魯迅の「故郷」というのが好きだった。「故郷に帰ってきて、幼馴染に昔のように声をかける。ところが幼馴染は、『旦那さま』といって、その息子にまで頭を下げさせる。そこに作者は矛盾を感じる」という、平明な内容で、「はぐるま教材」にはいっていた。
 平明さと晦渋さをあわせもつ賢治と魯迅。そこに彼らが生きた時代の反映があるのではないかと思うのである。

 ベッドでの読書の最たる友は、夏目漱石、とくに「吾輩は猫である」である。
先日、中学校のころから読んだ文庫本がぼろぼろになったので、岩波文庫の一冊を買って、今も枕元においている。d0067266_1062826.jpg
 魯迅と漱石というと「私の読書法」(岩波新書1960年)を思い出す「「図書」に掲載されたものをまとめたものだ。高校生の時、海南高校図書室で手にした。その中で大内兵衛さんは「このごろの読書」として、「寝床で漱石と魯迅を読んでいる。魯迅はえらすぎる。」という趣旨のことを書いておられたのを記憶していた。
 改めてひもといてみると、「夜中に目が覚める。2・3時間読書することもあるが、たいていは10分間で寝てしまう」とある。「10分間で寝てしまう」だけは一緒だとうれしくなる。50年前の大内先生にちかづいたようでうれしくなる。
 
 作品に大きな違いをもつのに違和感を持ったもう一人の作家が太宰治である。「人間失格」と「走れメロス」はどうして同じ作家の作品となれたのだろうか。
ここに、その時代を生きた作者の屈折があるのではないかと思うのである・

2010年5月23日

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# by saikamituo | 2010-12-14 21:18

ガンビのはなし・没にした原稿

ガンビのはなし
  ・没にした原稿

 
 「議会と自治体」編集部から「和歌山の教育についてのとりくみをまとめてください」といわれて原稿を書き始めました。最初の草稿の書き出しが、以下の分です。
しかし、これは教育・労働運動家としての私の個人的問題意識がですぎると思って、没にしました。しかし、捨てがたく、ここに掲載します。

1 子どもをまるごとつかむ

 和歌山県の民主教育をささえてきた合言葉に「子どもをまるごとつかむ」という言葉があります。子どもの学力・体力・情操・徳性の発達だけでなく、子どもをとりまく家庭や生活をふくめてとらえなくてはならないという意味でしょう。
 和歌山県では戦後の生活困難をかかえる子どもたちと向き合って教育実践をすすめてきた中に、こんなエピソードがあります。
 和歌山県南部の西牟婁地方での話です。子どもたちは家計をたすけるために、山に雁皮をとりにいきます。子どもたちにとって重労働です。雁皮というのは、コウゾ・ミツマタとともに和紙の原料になる植物です。「雁皮は、お札になるそうや。けど、雁皮ひきにいく兄ちゃんも僕もお金がない」と生活綴り方に書きます。「働くものがどうして貧しいのか」と告発した綴り方です。
 この教育実践が、教育研究集会で報告されました。「こういう実態をどう考えてどう取り組んだらいいのでしょうか」という報告者の質問に、助言者席にいた勝田守一教授(戦後民主教育の大御所というべき東京大学教授)が「私にも分かりません」とお答えになったという話です。
 私が、和歌山の同和教育などの民主教育の歴史を考えるとき、いつも思い出すこのエピソードは、民主的な同和教育の発展に大きな役割を果たされた西滋勝和歌山大学教授(故人)からお聞きしたものだと思っています。
 若かった西先生は、勝田先生という大御所が、「私にも分かりません」とお答えになった率直さに感動されて、私たちに語られたのでしょう。そして、どうしていいか分からなくても、子どもの生活の事実をつかむことが、その後の民主的な教育実践の出発点になったんだということを私たちに教えるためにこのエピソードを語られたのだろうと思います。
 労働組合運動の理論の発展に貢献された堀江正規先生は、ことあるごとの、エンゲルス「イギリスにおける労働者階級の状態」の冒頭にいわれている「労働者階級の状態は、すべての社会運動の出発点である」という言葉を引用されました。
 子どもの状態・労働者階級の状態をリアルにつかむことが、昔も今も、教育でも労働運動でも出発点だと思うのです。



あとがき
 このエピソードが、西先生がどこで語ったのか。著作を探したがわからない。
 ここまで覚えているのだから、誰かに聞いたものに違いない。
 池田孝雄先生にお聞きしたら、「その話、よく知らないが、浜本收(元県会議員・白浜町長)の実践ではないか」と言われた。いまでは、確かめようもない。
2012年2月12日

追記
民研の教育運動史研究班に入れてもらっている。
 和歌山の教育遺産を掘り起こして「解題」を書く仕事をしている。
 そこで「ガンビの話」をして「出典がわからないか」と言ったら、今日、楠本一郎さんからメールがとどいていた。
 西滋勝先生体感記念「教育学研究収録」1989年 所収
 「責善教育の歴史と教訓」初出1985年 県・高教組責善集会講演
であることが分かった     1917年1月24日 

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# by saikamituo | 2010-07-29 02:01

朝青龍問題に思う

朝青龍問題に思う
(一)
 僕はスポーツの問題は何も分からない。だから僕が考えることは見当違いかもしれない。しかし、朝青龍の問題でマスコミで言われていることには違和感を感じて、仕方がない。ただ、朝青龍の最後の暴力問題は、文句なしに許されない行動である。しかし、それまでのさまざまな問題、「モンゴルでのサッカー」「毎日稽古しない」「ガッツポーズ」などの問題は、文化の違いではないかと思う。批判する側が狭い日本の「相撲文化」にとらわれていて、グローバルの時代についていけない「漫画」のような気がしてならない。
 やくみつるさんも、自分を漫画の対象と考えてもいいのではないか。
                (二)
 今日のテレビで冬季オリンピックについての報道をしている。スキーの「ノルディック複合」というのだろうか、ジャンプとクロスカントリーを組み合わせた競技で、日本選手はゴール直前で勝利が確実になって「日の丸」をもってゴールした。しかし、スポーツ競技は、「より高く・より早く」をめざす以上、競技に勝てるからといって国威高揚などせずに、競技に集中すべきだという意見があってもいいのではないか。そんな批判は聞いたことがない。
 野球では普通のことであるガッツポーズが、相撲ではタブーなのだろうか。柔道のヘーシングが勝った時に、沸き立つ自分の応援団を抑えたということもいわれるが、そんなことまで探し出して、ガッツポーズを批判することに、違和感、日本的狭さを感じるのはおかしいのだろうか。
                (三)
 「仮病で巡業を休んで、モンゴールでサッカーをしていた」と批判される。僕は、朝青龍のサッカー映像に感嘆した。「なんとすばらしい運動能力だろう」と。そこには、奇形化せずに全面発達したスポーツマンの姿があった。
 「相撲取り」というものは、ちゃんこ鍋を食べて体重をつける。それは、医学的にはどうなのだろうか。太りすぎた体は、命をちぢめるのではないだろうか。相撲取りの平均寿命の統計があれば知りたいと思う。僕の周りでも、かつてのスポーツマンが、腰を痛め、肩を痛め、50歳、60歳になって体を壊している例は枚挙にいとまがない。
 相撲取りであっても、自分の体が休養を必要と感じたら、巡業を休んで休養する、休養の間には、体に無理のないゴルフでもサッカーでもして、リフレッシュするという権利は、相撲文化より上位の、人間としての基本的人権ではないのか。そんなことを認めない「相撲文化」のほうが奇形ではないのか。ちゃんこ鍋を無理に食べて体重を増やして相撲に強くなるが命を短くするとすれば、それはスポーツとして奇形である。
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# by saikamituo | 2010-02-11 21:30

堀田奉文さん、やすらかに

お別れの言葉
「トト、早く元気になって」
 東浜の共産党生活相談所の七夕かざりをしたとき、孫の大雅君が短冊に託した願いもむなしく、堀田奉文さんは、永い眠りにつかれました。
 堀田さんと私は、東浜の昔の電車通りをへだてた向かい同士に育ちました。でも、一学年違いの海南一中と海南二中。お付き合いがありませんでした。
 初めて言葉を交わしたのが、お互い60歳近く、私が県会議員に挑戦して、幡川さんと一緒に東浜をまわっていたときでした。あいてかまわず「お世話になっています」と頭を下げることにしていた私に、「あんた、わしが誰か知ってるんか」という鋭い問いを発して、私をどぎまぎさせました。それが、いつの間にか、「雑賀勝手連」と自称する力づよい応援団になってくれていたのでした。
 私より先に、妻の康子が日方小学校で娘の理沙さんを担任し、亡くなった奥様とは、肝胆相照らす間柄になっていました。きびしい先生だったそうですが、お母さん方にはめっぽう評判がよかったようです。私がお会いしたとき、大雅君がおなかの中にいました。生まれてきた大雅君は、「さいかです」といって入っていく私の口真似をして、電話の受話器を持って「さいかです」といって、遊ぶようになりました。
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 堀田さんは、花が大好き。花を買ってきて大雅君が通う幼稚園や近所に植えてあげる、花配達人です。料理が上手で、おいしいものを知り合いに配る、ご馳走配達人でした。堀田さんの周りには、堀田さんを兄貴と慕い、恩人と慕う人たちがいっぱいです。仕事の面では大変厳しい人でしたが、みなさんに尽くしても見返りを求めない堀田さんに、「この人のためなら」と慕う人たちです。
 そんな堀田さんと、世のため人のために、自分の損得を省みずに尽くし、社会進歩に貢献することを持ち前としている共産党との交流が深まっていったのは当然のことでした。
 「わしは共産党とちがう。雑賀勝手連や」といいながら、生活相談所や選挙事務所においしいものを届けてくれましたね。和歌山の国重事務所にまで、激励に行っていただきました。「しんぶん赤旗」の拡大部数がたりないと泣きつくと、相談にものってくれました。
 志位委員長が和歌山にきたときです。演説会にいかれた堀田さんは、志位さんの演説をほめ、「たいしたものだ」と繰り返されたものでした。
 沖野々に医療生協が総合介護センター「げんき」を立ち上げることになりました。多くの海南市民のみなさんの力を結集したものです。堀田さんは、ひと肌もふた肌も脱がれました。「げんき」には、畑があって、土いじりができます。「げんき」という花文字が、堀田さんが花を運び、ボランティアのみなさんとの協力でできました。
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 堀田さんは、体調をくずして、4月1日に入院されました。まさかの大病です。
 ちょうど、自民党政治は、末期症状をあらわにしていました。私たち共産党は、「国民を苦しめてきた自公政権を退場させよう。新しい政権のもとで是是非非の立場で建設的野党としてがんばる共産党の議席を伸ばして下さい」と訴えていました。海南市では共産党は選挙区候補を立てないということもあって、堀田さんは、民主党の阪口直人さんに肩入れされました。粉河の事務所まで出かけていって、「もう暑くなるのにクーラーもないのは大変だ」とその手配までされたのです。病院から帰って体調がいいと、おいしいものをつくって、海南の選挙事務所に運んでおられましたね。
 自分でおいしいものを作るだけでなく、割烹みなみや紀三井寺のレストラン・デサフィナードの支援もされましたね。私たちは食事券をたくさんもらって、仲間たちと食事会をさせていただきました。入院しても、料理の意欲はおとろえず、「元気になったら、あれもつくらなあかん」と言っていたそうです。
 堀田さんの家系は、もともとはテキヤのもと締めの親分。寅さんの親分です。寅さんのような暖かさを持っています。
私的なことになりますが、私たち夫婦もけんかして、2日ほど口を利かないことがあります。そんなとき、口を利くきっかけが、「堀田さんが料理を取りに来いといってるよ」など、堀田さんにかかわることなのです。堀田さんが入院されてから、夫婦喧嘩はしないことにしました。
 堀田さんがお亡くなりになる前、亡くなった奥さんと一緒にかわいがっていた年老いた猫のミミが姿を消したそうです。奥さんを見送った後、また堀田さんまで見送るのがつらかったのかもしれません。あるいは、奥さんと一緒に天国で待っていてくれるのかもしれません。
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堀田さんは、娘婿の誠さんや娘の理沙さんの献身的な看護のかいなく旅立たれました。みなさんに花を配り、おいしいものを配り、幸せを配った堀田さん。お疲れ様でした。安らかにお休みください。

                                       二〇〇九年十二月十四日
                                               県議会議員  雑賀 光夫

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# by saikamituo | 2009-12-15 20:21

最近の漱石とのつきあい



1 えらく安い買い物をした。県庁前・宇治書店で買った岩波文庫「我輩は猫である」(夏目漱石・563ページ)が、税こみで410円だったのである。宇治書店だからということではない。本に定価が書かれている。同じ岩波文庫で「文学評論」(漱石・262ページ)は570円である。「草枕」(漱石・222ページ)は、360円。ちくま文庫「夏目漱石を読む」(吉本隆明・287ページ)は、800円+税である。岩波書店は、「猫である」については特別安い値段で売っているのだろうか。よく売れるから、安くても採算がとれるのだろうかなど、どうでもいいことを考えた。
 なぜ、いまごろ「猫である」の文庫本を買い求めたのか。中学校一年生の夏休みに読んで読書感想文を書いて以後、寝床に持ち込んでは、眠れないときどこでもいいから開いて、何度読み返したかしれない本が、ぼろぼろになった。古い本で活字が読みにくいから新しいもので読みたかったからである。このごろ、新しい論文を読んでも頭に入らないので、昔読んだものを読み返す。漱石の講演集も改めて読んだ。和歌山市での講演「現代日本の開化」、学習院大学での講演「私の個人主義」など。また、最近読んで刺激を受けたのが「夏目漱石を読む」(吉本隆明)だった。吉本隆明というのは、僕の学生時代の「左翼」学生によく読まれた論客だが、最近は、大分丸くなって、朝日新聞などにも寄稿させてもらっている。自分で自分が「転向」したといっているらしい。「漱石を読む」は、取り上げている作品は、ほとんど僕も読んでいる物で、けっこう面白かった。「猫」の前半と後半で、猫の視点が変わっているというような指摘は、「へえっ」と思った。「草枕」もとりあげてほしかったが、とりあげていない。
吉本隆明程度のレベルの「草枕論」なら僕にも書けるかな?などと思ってみる。
 そんなことで、いま「草枕」と「猫である」を寝床に持ち込んでいるわけである。

2 朝日新聞の和歌山版で「漱石と和歌山」という囲み記事をみた。和歌浦の老人施設の理事長さんが中心になって、夏目漱石と和歌山・和歌浦のつながりにちなんで読書会を開いているという紹介である。実は、私は、「和歌浦観光」について、「万葉集、松尾芭蕉、夏目漱石、孫文と南方熊楠の出会いの地といういろいろなことを和歌浦観光に生かしてはどうか」という県議会での提言をしたことがある。漱石の「行人」という小説の舞台に和歌浦がつかわれているのです。
 新聞記事を読むと、その読書会が発足したのは、ちょうど私が提言したのと同じ時期、まったくの偶然である。
 私は、県議会質問のパンフレットをそえて、理事長さんにお手紙を差し上げた。すると、ていねいなご返事を頂いた。読書会を開いたいきさつとともに海南とのご縁もかかれている。奥さんは海南の方で、紀光の絵もお持ちいただいている。
 人と人のご縁はどこでつながるかわからない。次の読書会には、森鴎外の「青年」を取り上げるというので文庫本を買ってきて読み始めている。
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# by saikamituo | 2009-12-12 00:10

四川省への旅<和歌山民報掲載原稿)

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      (一)
日中友好協会和歌山県連・海南支部訪中団(団長・雑賀光夫ほか十六人)は、一〇月一一日から十六日、中国四川省を友好訪問した。和歌山県連として、「文化大革命」の混乱以後の第五次訪中団ということになります。海南支部のメンバーが半数、県下各地からの参加、日中友好新聞」で知ったという大阪からの参加者もありました。
今回の訪中の目的は二つありました。ひとつは一年半前の四川汶川大地震へのお見舞いと復興状況の視察です。もうひとつは、九塞溝など世界遺産への観光です。
     (二)
四川省成都空港におりたった翌日の十二日、訪中団は、四川省人民対外友好協会を訪問しました。「協会」というのは、人口八千万人を超す四川省の対外関係を扱う外務省のようなものです。
対外友好協会からは秦琳会長、向瓊花アジア・アフリカ部長が対応しました。お二人とも女性です。向部長は日本語もぺらぺらです。会長は「四川省大地震でみなさまから受けたご支援を決して忘れません」などお礼の言葉を述べました。
雑賀団長は「海南市も大きな津波被害をうけたことがあり、四川省大地震のニュースを聞き、他人事とは思えなかった。すぐに義捐金カンパにとりくみました」語りました。街頭カンパ活動の写真を示し「この女性は、戦後も中国いて八路軍の従軍看護婦をしていた方です。直ぐにでも飛んで行って看病してあげたいという思いで街頭カンパに立ってくれたのです」などと紹介。
また、日中友好協会の運動として、日本の侵略戦争の誤りを繰り返さないために、海南市では日中国交回復前に市民の運動で「日中両国平和の塔」が建てられ、毎年平和集会が開かれていることを紹介しました。中国の文化大革命の時代には、特定指導者への崇拝を受け入れず排除されたが、日中人民の友好が実現することを信じて運動してきたとも述べました。
最後に富士山の図柄の黒江漆器の衝立と海南市の紹介、中国語も入った和歌山の観光紹介・高野熊野の世界遺産紹介・和歌山の食などのパンフレット・防災パンフレットなど手渡しました。
中国側からは、パンダの図柄の掛け軸やテーブルクロスがお土産にと贈られました。
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    (三)
そのあと訪中団は、震災現場が保存されている綿竹市の現場を訪問。徳陽市対外人民友好協会林主任が現場を案内してくれました。震災現場の被害の現状を一部そのまま保存しているのです。一部といっても相当広い地域です。広い中国だからできることですが、震災直後のように被害の大きさがわかります。震災のすごさとともに、使われている鉄筋や鉄骨の量が少なく、建築物に問題があったという追及の声が上がったのももっともだとうなづかれました。
移設されたプレハブ教室の小学校を訪問し、子どもたちに折り紙やボールペンのお土産をわたして大きな歓迎をうけました。すんだ瞳を持ち、元気に育っている子どもたちの姿にふれて感動したというのが、多くの団員の感想でした。
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     〈四〉
第三日からは、世界遺産・楽山大仏や自然遺産・九塞溝などを訪れました。九塞溝を回った日には前日までの雨がやんで晴れ上がり、四千mから五千mの山がくっきり遠望できて、湖に映る山影と透き通った水底の区別もつきかねるような美しさに心を奪われ、自然遺産だと納得したのでした。
三国志の諸葛孔明の廟、詩聖・杜甫の草庵、民族芸能の鑑賞、めずらしい郷土料理など、ハードスケジュールだったけれども、参加者みんなが満足した旅でした。
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# by saikamituo | 2009-12-11 23:13

グラムシから「経済学哲学草稿」へ

グラムシから「経済学哲学草稿」へ
さらに田中吉六から僕の原点への旅

1 グラムシに引かれて「経済学・哲学草稿」へ

 竹村英輔「グラムシの思想」を読んで「(グラムシの見解は)しばしば、自然の先位性の否定のように引用されたが、人間の認識の歴史的社会的相対性の否定に対する詰問として…理解すべきではないか」として、「人間がなかったとしたら、という仮説が成り立たぬことを指摘しているという意味で、むしろマルクスの『経済学哲学手稿』(岩波文庫P146-147)の指摘と共通であり…」との指摘にぶつかった僕は、「経済学・哲学草稿」の岩波文庫版を買わなくてはならないことになった。
 県庁まえの宇治書店で取り寄せて手元にとどいた。「城塚登・田中吉六訳」となっている。「田中吉六」というのは、在野の異色の理論家である。戦後民科に結集していた「正統派」マルクス主義哲学者とは一線を画し、三浦つとむなどと親交があり、物理学者・武谷三男を尊敬していた。「経済学・哲学草稿」に沈潜して「主体的唯物論」を主張した人だということは知っていた。
さっそく「P146-147」をくってみる。 
 「…すなわち君がさらにだれが私の父を産み、だれが父の祖父を産んだのか、などと問いつづけでいくような無限の進行にだけ注目してはならない。君はまた、あの進行のなかで感覚的に見てとることができる循環運動をも、すなわちそれにしたがえば人間が生殖において自己自身を反復するところの、したがって人間がつねに主体としてふみとどまるところの循環運動をも、しつかりつかまなければならない。……君が白然と人間との創造について問う場合、君は人間と自然とを捨象しているのだ。君はそれらを存在しないものとして措定しておきながら、しかもそれらを存在するものとして私が君に証明することを君は要求しているのだ。そこで私は君にこう言おう、君の捨象をやめたまえ、そうすれば、君はまた君の問いをもやめるだろう。それとも君が君の捨象に固執しょうとするなら、首尾一貫したまえ。そして君は人間と自然とを存在しないものとして考えながら、考えを進めるのなら、君もまた自然であり人間であるのだから、君自身を存在しないものと考えたまえ。…」
 何のことだかさっぱり分からない。竹村英輔氏に導かれてこの文章にたどりついた経過からみれば、「人間がいない自然など考えることが無意味だ」ということにつながるのだろうか。
僕は「経哲草稿」をあちこちひっくり返してみるが、さっぱりわからない。理解する手がかりになる解説はないのだろうか。

2 田中吉六とその周辺

 そこで僕は、田中吉六の著作を買っていたのを思い出した。「マルクス、再出発」(三交社1975年刊)である。東京には、古本ではない新本だが本屋で売れ残って返本になった本を安い値段で売る店がある。そんな書店で買ったもので、定価1500円の本に250円のシールを貼っている。もう一冊「史的唯物論の成立」(1949年理論社刊、1971年季節社再刊900円)は、300円のシールを貼っている。
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 私は、歯が立たない難解な古典に近づくために次のようは方法をとっている。
 「岩波文庫」で先に引用した「P146-147」の欄外に「竹村『グラムシの思想』p225」と記入しておく。実際にはもっと簡略に「竹グp225」とする。「竹村『グラムシの思想』p225にこの箇所についての論及があった」という意味である。
 こんどは、「マルクス、再出発」の田中の講演に引用されているものをマルクスの原本にあたって、欄外に「田中P18」など書き込んでいくのである。
 堀江正規さんの「文章の読み方」にも「経済学・哲学手稿から」として「意識的生産と美の法則にもとづく創作」と表題をつけた文章の解説があったのを思いだした。それを開いてみたが「マルエン全集第40巻」というだけで、ページが示されていない。これでは探しようがない。ところが、「マルクス、再出発」に同じ文が引用され、ページが示されている。さっそく探して、欄外に「堀江178」「田中50」と書き込む。さらに「文章の読み方」の該当箇所に「岩波P96」「田中・再出発p50」と書き込むわけである。
 書き込みはつづく。「ドイツイデオロギー」(岩波P37)「人間相互の間にはひとつの唯物論的つながりがあって、これは欲望と生産様式とによって制約され、そして人間と同じように古いのである」という箇所の欄外にも、「田中P41」と書き込む。

 田中吉六は戦後直ぐの時代に、一定の注目を浴びた理論家である。1970年代に突然生き返ったように「左派」学生(ブンド派)の中で講演してまわる。その講演には、僕にとって懐かしい名前がでてくる。
・ 武谷三男……湯川・坂田とともに「素粒子論グループの三羽烏」といわれた物理学者。最近の日本の物理学者のノーベル賞受賞にかかわって、マスコミにも湯川・坂田の名前はよくでるが、武谷の名前があまりでてこない。不破さんがこの問題にふれるときには、正当に評価している。
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武谷三男
・ 三浦つとむ……僕が高校時代に一番よく読んだ「哲学者」。共産党では神山茂夫(志賀義雄とともにソ連に追従して分派)に近く、神山よりも先に党を離れる。「日本語とはどういう言語か」という本が講談社文庫ででている。早くからスターリン批判をしていた点では、先駆性をもつ。
・ 梅本克己……「人間論」「マルクス主義における思想と科学」などの著作を持ち戦後活躍した「主体的唯物論派」といわれた理論家。緻密な理論家で、三浦つとむ批判では、この方の批判で納得した。
・ 黒田寛一……トロツキスト学生の大御所である。
・ 広松 渉……ドイツイデオロギーの原文に近い翻訳をした。その翻訳をめぐっては服部文男氏などから批判があり、新訳が出されている。広松訳についても、最近、「岩波文庫」(ワイド版)が出ている。

 田中吉六の論争の対象は、三浦つとむ、黒田寛一、広松渉、梅本克己などにかぎられる。古在由重、芝田信午、寺沢恒信などことのついでにふれられるだけである。田中に言わせと戦後「民科」に結集した民主的哲学者、マルクス主義・科学的社会主義の学者は、話にならない、論争相手にする必要もないという調子で、「左翼」学生の中でとくとくと講演しているわけである。
そんな田中の講演を、「経済学哲学手稿」を読み解く手引きにするなんて、僕もかわりものだなあと思う。

4 河合栄治郎教授の登場

 田中吉六が、河合栄治郎が「経済学哲学手稿」についての「書評」を昭和2年の東大経済学部「経済学論集」に載せているとして、評価しているのをみつけてびっくりした。(「マルクス、再出発」P149)
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                  河合栄治郎
 僕のマルクス主義への接近途上で、忘れることができない一人が、河合栄治郎教授なのである。僕の本箱には「マルキシズムとは何か」「学生に与う」(「現代教養文庫」)がある。
 「学生に与う」という本は、学生の思想善導(赤化防止)のためにかかれたものである。「マルキシズムとは何か」の中で、河合教授は大要次のようにのべている。
 「東大、法経学部には、3000人の学生がいるが、7割は何の目的ももたない酔生夢死の徒である。あとの3割のうち、1割がマルクス主義に近い、1割人が自由主義的、1割が右翼的学生である。その中で1割のマルクス主義的学生が頭脳も優れた人格の立派な学生だということが心配だ。」(「マルキシズムとは何か」P19)
 この文章は、同じく反マルクス主義の小泉信三が「私とマルクシズム」の中で、野呂栄太郎の思い出を敬意をこめて書ていることも思い出させる。
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                  小泉信三
 反マルクス主義の立場で学生の「思想善導」につとめた河合栄治郎教授は、その後、その自由主義的思想のゆえに、官憲の弾圧を受けることになる。
 河合教授と僕の出会いは、海南高校の「どんぐり会」の一員だったころだった。マルクス主義とちがったものも読まなくてはバランスを欠くと言う思いから読んだ。柳田謙十郎さんの「わが思想の遍歴」は、西田哲学からマルクス主義への思想遍歴を述べた名著だが、「わが思想の遍歴」によく似た表題の著作で「わが精神の遍歴」(亀井勝一郎)がある。これは僕にとってはやっかいな本だった。亀井勝一郎は「東大新人会」という左翼学生のメンバーだった。自分としては無理をして左翼学生をつづけるのがしんどくなっているときに逮捕されて転向してすっきりしたということらしい。僕も、部落子ども会にとけこめず、「左翼であることに自分は無理をしてるんじゃないかな」と学生時代思ったとき、亀井勝一郎を思い出したものである。
 河合栄治郎の「マルキシズムとは何か」亀井勝一郎の「わが精神の遍歴」は、マルクス願望の青年だった僕を、うしろから引き止めるものだった。
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                        亀井勝一郎

5 おわりに

 グラムシから「経済学哲学草稿」、そして田中吉六を読んで、思いつくことを書いてきた。これは僕の青春の思想遍歴の思い出である。
 ところで、河合栄次郎や亀井勝一郎から後ろからひっぱられ、新左翼・社会主義学生同盟からオルグされてはゆらぎ、構造改革派(統一社会主義同盟)にもゆらぎ、いろいろ揺らいだ僕が、人生の方向を決断したのは、大学一年生の夏休みに古い海南教育会館での中山豊先生との出会いだった。
 とつとつと語る中山先生のお話を聞きながら、「僕は大学に入ってすごく世界が広くなったように思っているが、あの学生たちは地域に帰ってその思想を通せるのだろうか」という疑問がわいた。
これが、わたしの人生を決め、いま共産党県会議員をさせていただいている原点なのである。(2009/07/24原稿を3分の2に圧縮)

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# by saikamituo | 2009-07-28 21:55

魔球・スライダー秘話 それはグラムシ研究者が生んだ

魔球・スライダー秘話 それはグラムシ研究者が生んだ
(一)
アントニオ・グラムシというのは、イタリア共産党の創始者の一人である。不破哲三さんが若いころの著作「マルクス主義と現代修正主義」のなかで、その哲学が弱点をもっているにもかかわらず、グラムシは偉大なマルクス主義者であると評価した。レーニンが「鷲は牝鶏よりもひくくおりることもあるが、しかし牝鶏は決して鷲のように飛び上がれない」とローザ・ルクセンブルグを鷲にたとえたのになぞらえて、グラムシを鷲であるとたたえたのであった。
*「現代修正主義とグラムシの理論」(初出・文化評論1964年5月号)
最近、このグラムシを寝床に持ち込んで読み始めている。とっかかりは、竹村英輔「グラムシの思想」(1975年刊)であった。
そのはじめのほうで、あっと思うような文章に出会った。
「創始者(注 マルクス・エンゲルスのこと)によって体系的に叙述されることのなかったひとつの世界観の誕生を研究する場合には……ライトモチーフの探求、すなわち発展してゆく思想の律動のほうが、個々の偶発的主張や独立した格言よりも重要でなければならない。」
不破さんがマルクス・エンゲルス・レーニンを、その思想の発展の歴史の中で読むということを強調している。グラムシが言っているのは、まさにそのことではないか。さっそく「グラムシ選集」②P16のその箇所にもあたってみた。
私がグラムシを読むのに一番重宝したのは、「現代の君主」(青木文庫・石堂清倫他訳)であるが、この本は、いわば「グラムシ語録」というべきものである。グラムシの重要な論点を拾い出してくれている大変便利な本なのだが、不破さんとグラムシの指摘によれば、この本を読んでグラムシがわかったというような顔をしてはいけないということになる。
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             (二)
グラムシを読み返すとなると、やはり気になるのは、唯物論哲学についてのグラムシの弱点として、不破さんも指摘した点である。
「科学においても、人間の外に現実、実在を求めることは、実在を宗教的・形而上学的に理解することであり、逆説としか思われぬ。…この人間的活動をはなれて『客観性』にどんな意味があるのか…」(「グラムシ選集」④P267)
不破さんは、政治論ではレーニンを支持したグラムシも、レーニンの哲学研究(唯物論と経験批判論)を摂取できなかったのだろうとする。
また芝田進午氏は、グラムシにそれとは相反する主張がある(「選集」第二巻P190)ことを紹介しながら「グラムシの思想には、自然の先行性、自然史的世界観を否定する『唯物史観主義』と、これに対立する立場が『共存』している」と指摘する。(講座「マルクス主義哲学」①P109「マルクス主義における自然と人間」1975年刊)
竹村英輔「グラムシの思想」は、さきに引用したグラムシの見解を、「しばしば、自然の先位性の否定のように引用されたが、人間の認識の歴史的社会的相対性の否定に対する詰問として…理解すべきではないか」として、「科学においても…」の一節のご自身の訳文を示しながら「すなわち、人間がなかったとしたら、という仮説が成り立たぬことを指摘しているという意味で、むしろマルクスの『経済学哲学手稿』(岩波文庫P109-110)の指摘と共通であり、《芝田氏の批判は》原文全体と訳文を再検討すべきである」とされる。
僕は、岩波文庫版をもっていないので、また買わなくてはならないことになる。

              (三)
「グラムシ選集」は合同出版社から出されている。私には思い入れが深いもので、第一巻、第二巻は古本屋で買った。第一巻は、第7刷(1969年、定価1000円)、第二巻は、第1刷(1963年、定価800円)。第三巻以下は、初版本が絶版になってから15年以上たって出された「改装版」で、定価2500円である。このころは、多少は本代を使えたので第六巻まで新本を買った。 
「グラムシ選集」の監修者は、山崎功さんである。有名なイタリア研究者で、ながくイタリアにもおられて、イタリア共産党の幹部とも深い付き合いがある。グラムシ研究の第一人者で、「構造改革派」とも見られてきたが、ひとつの分派にばかり肩入れすることなく、バランスを取れた方である。
山崎功「わが回想…イタリアとの60年」という本がある。氏は、1980年代、肺がんになり余命いくばくもない時期に、グラムシ研究会のみなさんが企画して、山崎氏から聞き取りをして本にしたものである。(1983年刊)出版社「同時代社」の社長・川上徹氏が協力したという。この企画に賛同したメンバーが紹介されているが、労働運動の太田薫、岩井章などとともに、日本共産党関係者では、宮本顕治、蔵原惟人、春日正一、上田耕一郎、不破哲三などが名前を連ねている。巻頭には、詩人・佐藤春夫と一緒にとった写真があり、交友の広さが分かる。
巻末に、登場人物のリストがあるので眺めていたら「川上哲治」(野球の神様)が出てくるのでページを繰ってみた。「スライダー事始」という一節がある。
戦後の一時期、山崎功氏は、読売新聞社にいた。戦争のブランクがあるので向こうの球界がどうなっているのか調べてくれと頼まれて、たまたま「ハウ・ツー・ピッチ」という本を翻訳した。「スライダー」という単語を「スライディング」のことかなと思っていたら、覗き込んだ「三原」(のち西鉄監督で「魔術師」といわれるが、巨人の名三塁手だったと思う)が「それは球のなにかの種類やでえ」といいだして、そのスライダーを藤本投手がつかって、パーフェクトゲームをやったという話だ。
「中尾のために訳してやったんですよ。スライダーのことを。そうしたら中尾が不器用でね、ダメで、藤本がそれで完全試合をやったんですよ。」
知的探求のつもりだった「グラムシへの旅」(山崎功さんの著書一冊の名前を拝借)が、年齢のせいで脱線してしまう。

* スライダーについてインターネットで調べてみると「日本では、1950年にプロ野球初の完全試合を達成した藤本英雄が最初に習得したといわれる。」とあるが、この「秘話」は紹介されていない。    
(完)

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# by saikamituo | 2009-05-26 22:32

アンナ・カレーニナ雑感

アンナ・カレーニナ雑感
          
 (一)
アンナ・カレーニナの演劇が栗原小巻さん主演で上演されるので、久しぶりで中央公論社の「世界の文学」(上下二巻)をとりだした。
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名作というものは、書き出しに作家は全神経を集中する。「我輩は猫である。名前はまだない」(「我輩は猫である」漱石)「親ゆずりの無鉄砲で子どものときから損ばかりしている」(「ぼっちゃん」漱石)「山道をあるきながらこう考えた。知に働けばかどがたつ…」(「草枕」漱石)「トンネルをでるとそこは雪国であった」(「雪国」康成)、「地獄さえぐんだで」(「蟹工船」多喜二)など、それぞれが印象に残る名文である。
マルクスの「資本論」の書き出し「資本主義的生産様式が支配している社会の富は膨大な商品の集積としてあらわれ、個々の商品はその要素形態をなしている」という書き出しを、「プーキシンの小説の書き出しと同じように、書き出しから本質に読者を引き込むものだ」と吉井清文先生が40年近く前の和歌山での「資本論講座」で話されたことがある。これはすごく印象にのこっている。後になって、これは、堀江正規先生の受け売りではないかと思った。(間違っていたらゴメンなさい。)
こんな脱線をするのは、アンナカレーニナの「書き出し」にふれたかったからである。それは次のようになっている。
Happy families are all alike; every unhappy family is unhappy in its  own way. (すべての幸福な家庭は似たようなものだが、それぞれの不幸な家庭は、それぞれの姿で不幸なのである)それに、オブロンスキーという人が、家庭教師のフランス人娘と不倫したことで家庭がメチャメチャになっているという状況描写がつづく。
英語版を紹介したのは、日本語で読んだときにはあまり印象にのこらなかった書き出しが、英語版で読みだしたとき、私にはすごく印象にのこったからである。ただ、正直にいうが、英語版を読んだのは、その1ページだけである。

(二)
 「書き出し」で紹介した「我輩は猫である」「草枕」などは私の愛読書であって、適当に開いて読み出すから、同じ場所を十数回読み返している。「我輩は猫である」でいえば「迷亭がそばを食う場面」「寒月君がバイオリンを買いに行く場面」「金田の鼻というお嬢さんのこと」など適当に開いて面白く読む。「草枕」のなかに、そういう小説の読み方をといた部分がある。
 こんないいかげんな小説の読み方をするから、世界の長編小説も、日本の純文学も、プロレタリア文学も、なかなか繰り返し読むということにならない。「レ・ミゼラブル」も「谷間のゆり」も「デビッドコッパーフィールド」も、一回読んだきり。「レ・ミゼラブル」は有名な「銀の蜀台」の場面や、地下水道の逃避行の場面や、かわいいコゼットの印象は残っているし、「谷間のゆり」は貴族婦人との官能的な恋の話だったという記憶はあるが、定かでない。「デビッドコッパーフィールド」にいたっては、どんな筋書きかさえも分からない。
 そんな私が、2回くりかえして通して読んだのがトルストイの「アンナ・カレーニナ」と「戦争と平和」なのである。「アンナ・カレーニナ」の三度目の通読である。
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(三)
この小説は、人妻であるアンナ・カレーニナとヴォロンスキーの不倫の恋(それは、アンナの鉄道自殺でおわる)とレーウィンとキティの純愛という二つのテーマによって織り成されている。アンナが鉄道自殺したあとは、なにか気の抜けたビールみたいな気がするなと思いながら、一応最後まで読んで、第一巻の最後についている翻訳者・原卓也さんの「解説」に目を通した。
そこで驚くべきことを発見したのだ。トルストイがこの小説を書くことになったきっかけは、プーキシンの小説の書き出しへの感動だったというのだ。それは、「客たちは××公爵夫人の別荘に集まってきた」という書き出しであった。
なんと、私が吉井清文先生に40年前にお聞きした(堀江正規先生からの受け売りではないかと根拠もなく決め付けた)まさにそのものではないか。
 解説はさらにつづく。「ただ、セルゲンコのように、トルストイが「客たちは……」という一句に感動して、ただちに事件の中心に読者を引き入れる、『オブロンスキー家では何もかも混乱してしまった』という句で小説を書き始め、あとから現在の書き出しの句、『幸福な家庭はみな同じように似ているが……』を付け加えた、と説くのは明らかに誤りである」(なぜ誤りかの説明が続くが、私の文脈では、それはどうでもいいので省略する)
 「私が驚くべき発見」(私が驚いただけで誰も驚かないだろうが)と述べたのは、この雑文の(一)(二)を書き始めたときは、原卓也さんの「解説」を読んでいなかったのだ。原さんの「解説」で、私が自分が知っていることをひけらかすつもりで書き出したことが、実はこの大作の執筆のきっかけになっているといわれると、私のあてずっぽうが当たったようで、うれしくなるのである。
 その後になって、僕は、「アンナ・カレーニナ」の書き出しが大変有名だということをはじめて知った。

(四)
 原卓也さんの解説は、「『アンナ・カレーニナ』を表紙がぼろぼろになるほど何度も読み返したといわれるレーニンは、この小説の持つ社会的な意義を高く評価して……」とつづく。レーニンの有名な論文「ロシア革命の鏡としてのレフ・トルストイ」を紹介する。原卓也さんは、その論文を全面的に受け入れているわけではなさそうだが、僕は、あらためてレーニンの論文を読みたくなった。手元に、堀江正規先生が講義されたテープを吉井清文先生が出版された「文章の読み方」という本がある。その中に、ゴーリキーのトルストイ論がある。そこでは、トルストイの宗教観が語られる。「アンナ・カレーニナ」のもうひとつのテーマであるレーウィンの宗教観が、それと重なることが分かる。僕が「重なることが分かる」といえるのは、この本に紹介されているゴーリキーの文章と堀江先生の解説文を何度も読み返したからだろうと思う。どこかでゴーリキーの文章を読んでいてとしても、こんなことは書けなかっただろう。吉井さんが編集した堀江先生の講義は、すごいものなのだ。
 この本には、レーニンの「ロシア革命の鏡としてのレフ・トルストイ」が全文紹介され、堀江先生が解説されている。もう一度、読み返してみよう。
 僕は、トルストイの作品では、「アンナ・カレーニナ」よりも「戦争と平和」の方が、スケールが大きい、すごい作品だと思っている。若いころ、この作品は、「史的唯物論を説いている」と思いながら読んだ。「戦争」という歴史の激動が、そこで生きている個人の思惑とは離れて動いていくことが分かるからである。
 小林多喜二が、「『戦争と平和』のような作品をわれわれの文学運動が生み出さなくてはだめだ」と宮本顕治さんに語ったということが、「宮本顕治文芸評論選集」(多分第二巻)にでてくる。
 この雑文が、若い人たちが、トルストイや堀江先生、レーニン、宮本顕治さんの若き日の論文を読むきっかけになればうれしいと思う。
 
 * レーニンの「ロシア革命の鏡としてのレフ・トルストイ」には、アンナ・カレーニナなどトルストイの特定の作品名は挙げられていない。原卓也さんが「表紙がぼろぼろになるまで読んだ」というのは、何を根拠にしているのだろうか? インターネットで「レーニンとアンナ・カレーニナ」を検索してみた。
 「レーニンは、亡命先でこの本を100回も読み返し表紙がバラバラになった」とレーニンの妻・クルプスカヤがレーニンの母宛の手紙に書いているそうである。
(2009年4月書き始め、5月19日完)
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# by saikamituo | 2009-05-20 19:29