雑賀光夫の徒然草

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「朝田理論」と部落解放運動


「朝田理論」と部落解放運動



         1975年ごろ
          海南・海草部落問題研究会 雑 賀 光 夫

1 はじめに
 「朝田一派」による部落解放運動の私物化が何をうみだしているかということについて、いろいろな人が報告しています。しかし、そういう報告や「朝田理論」 への批判をきいたりよんだりしても、どうもよくわからない点がのこるという声をよくききます。
 私自身がよんだもの、きいた報告をふりかえってみても、「朝田一派」のあやまりはわかるが、なぜそんなあやまりが生まれるのかということに立ちいって解明したものはすくないようです。(注1)
 本稿は、昨年末、東海南中学校の現職教育で報告させてもらったレジュメをもとにしてまとめたものです。みじかいものなので、十分なせつめいになっていないかもしれませんが、私としては精一杯「そこがききたい」 というところを解明したつもりです。

(注1)この点で、すぐれていると思われる論文は「『朝田理論』の思想と行動批判」(中西義雄)(部落解放運動とイデオロギ一問頑)

2 いまみんなが「そうだ」とうなずけること
① 全同教にいった人の話をきいても、解放運動に二つの流れがあり、きびしく対立しており、このままではぐあいが悪いと思われること。
② 「朝田理論」 にもとづいてやられる運動や教育には、常識的にかんがえても、ぐあいのわるいことがすくなくないこと。
③ それにしても、その地方では同和予算がたくさんおりているし、いまだに広い地域で「朝田理論」が影響をもちつづけているし「朝田理論」 の主張にも、もっともらしく思われる点もあること。
 まじめに考えている多くの人たちの気持を要約すれば、以上のようにまとめられるようです。


3 予備知識として
    部落解放同盟の歴史
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4 朝田理論の源流
 朝田理論の罪状をならべることはやさしいことですが、ここでは、朝田氏が部落解放運動に貢献していた当時の理論を分析し、何が朝田氏を今日のあやまりにひきづりこんだのかを考えてみましょう。
 ① オール・ロマンス斗争
 朝田氏が 「行政斗争の典型」と評価し、私もすぐれた斗争だと思っているオール・ロマンス斗争というのがあります。
 「オール・ロマンス」 という雑誌に部落をテーマにした、差別をあおるような内容の小説がのせられました。作者は、京都市役所の一吏員でした。解放委員会は、一吏員の糾弾におわることなく、その小説にえがかれているような差別の実態をのこしている行政の責任をあきらかにし、行政斗争へとたたかいを発展させたのでした。
 ② 行政斗争の論理構造
 さて、その行政斗争は、次のようなくみたてになっています。
 (1)差別の事実をあきらかにする
 オール・ロマンス斗争のとき、対市交渉の場で京都市の地図をひろげ「道路のせまいところ」「消火せんのないところ」「トラホームの多いところ」などに丸印をつけさせたところ、丸印がかさなっっていたという話は有名です。
 (2)差別の実態をのこしてきた (市民的権利を保障してこなかった)行政の責任をあきらかにする。このことによって、部落差別のもつ特殊性、要求の正当性をあきらかにし
 (3)部落民の団結と世論の支持のもとに要求をかちとる。  
 こうして、京都市では、住宅をたてたりするだけでなく、教科書、学用品の部落のこどもへの無償配布などを早くからかちとってきていたのです。

③ この論理構造のもつ二つの面
 (1)(2)(3)をもっとかんたんにすると、次のようになります。
  (1) 差別の事実
  (2) 行政の歴史的責任(部落差別の特殊性)
  (3) 要求の獲得
 この中で(2)の項目は、どういう役割をはたしているでしょうか。
 ある地域で学用品無償配布を要求したとしましょう。
 市役所へ交渉にいったら、どうなるでしょうか。
A「みんなお金を出して学用品をかっているのに、お宅の地域だけタダにするわけにはまいりません。」
B「しかし、私らのところは、まずしいものが多いのです。」
A「そのことはみとめますが、まずしい人は他の地域にもいますから、あなた方だけに特別なことはできません。」
B 「…‥・」
 このカベを突破するのが(2)の項目なのです。
すこしあらっぽくいえば、次のようになります。
B「部落差別と一般の差別はちがいます。貧富の差は資本主義社会の中で生れたものだが、私たちは、その出発点から差別されてきた。明治になって武士は金
ろく公債をもらったが、差別されてきた私たちには何の補償もされなかった。明治以後一〇〇年、差別をのこしてきた責任は行政にある。」
 行政斗争が大きな成果をあげたのは、基本的には、部落の人々の切実な要求とねばりづよいたたかいがあったからです。しかし、同時に、部落解放のための予算をくませるためには、部落差別のもつ特殊性をあきらかにする必要があったのです。
 このことは、二つの面をもっていました。
 第一 部落差別の特殊性をあきらかにし、部落の人たちの切実な要求を実現し、解放運動を発展させました。
 第二 その反面、行政にたいしては部落と一般をきりはなす口実をあたえました。
つまり、オール・ロマンス斗争は、部落の要求を実現する面と、部落セクトにおちいる危険とをもっていたわけです。その部落セクトにおちいることをさけるには部落内外の共同斗争が何よりも大切です。その点で西川事件斗争は、さらに一歩すすんだたたかいでした。朝田氏はその点には全くふれず、西川事件斗争は、オールロマンス斗争のやり方を、そのままくりかえしたという評価
しかしていません。
 部落解放は日本の民主化が達成されたときはじめてかちとられるということをわすれ「いかにして要求を多くとるか」 ということだけに目が向くと、まんまと当局の分裂政策にのせられることになります。
 ④ 特殊な差別論の展開とその不当な拡大
 行政斗争で要求をかちとるには、差別の事実をあきらかにし、それが部落差別としての特殊性を強調しなければなりません。
「日常生起する問層で、部落にとって、部落民にとって不利益なことは一切差別である」 (解同第12回大会)という命題は、この要求にこたえて登場したものでした。それも、部落の貧困は差別と分ちがたくむすびついていると主張しているかぎりでは正当なものでした。しかし、それを根拠に 「部落の貧困と一般の貧困は全くちがう」としてしまったり「部落民が経営する企業でストライキをしたら差別になる (注2)」といいだすにいたっては、無茶苦茶としかいいようがありません。
    (注2) 辻岡運輸の問題「首切り」 というパソフ参照
 また、自分につごうのわるいことは「不利益」  「差別」ときめつけ、それを補強するために「差別意識は一般的、普遍的に存在する」とし、部落民以外は差別者であるということにしてしまうわけです。
(はっきり、そうは言わないにしても)
④ 行政斗争の過大評価、絶対化
 行政斗争で要求がとれはじめると、真の差別の元凶との対決をさけ、行政斗争ですべてをすませようとしはじめます。
 「工場で差別事件がおこったら・‥職安行政へかえして責任をとらせ‥・」
就職差別事件がおこったら、その会社に抗ギせずに学校を札弾するというケースが和歌山市でもおこったことがあります。

⑤ 共斗が軽視されることになることは言うまでもありません。

5 「朝田理論」 の克服は、なぜむずかしいのか。
① 正しい理論とあやまった理論は紙一重
 正しい理論(現実を正しく反映した理論)とあやまった理論の関係について考えてみましょう。あやまった理論といっても、何らかの形で現実の一側面を反映しているものです。生きた現実というものは多様で複雑ですから、そこには、さまざまな側面があります。その側面だけをとりだし、それを不当に拡大し、絶対化するならばとんでもないまちがいに転化することは、よくあることです。 (注3)
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「部落民のくるしみが、部落民以外にわかるものか!」
「みんな本気で考えているのか」
これは、部落の人たちの生の声としてよく出されるものであり、現実の一面をするどくついています。
 「私も差別者ではないだろうか」これは、まじめな教師やインテリゲンチャの声でありこれもまた、現実の一面をついているのです。
 ところが、それを絶対化して「部落民のくるしみは部落民以外にはわからない。教師は差別者である。」という理論をつくりあげれば、たいへんなあやまりになります。
 このことがわかってみれば、全同数へはじめていってきた若い先生に感想をきいてみると、朝田理論の立場に立った発言に感動したという返事がかえってくることも、まじめな教師が「朝田理論」にひきつけられることも、少しもふしぎなことではないわけです。
 このようなあやまりは、部落解放運動にかぎったものではありません。(注4)
○日「韓」斗争で「民主勢力内の朝鮮人への差別を克服することが先決だ。」
○大学斗争で「わが内なる東大を粉さいせよ」
○沖縄斗争で「反復帰」論
 (注3) レーニン「弁証法の問題について 」のさいごの一~二ページが大変参考になる。
 (注4) 「前衛」一九七一年七月号p65~67 シンポジウム「沖縄問題とイデオロギ一斗争」の上田耕一郎氏の発言は、この点できわめて重要
 ② あたらしい融和主義と部落第一主義(朝田理論)の呼応
 オールロマンス斗争では、一定の役割をはたした朝田氏が反共分裂主義へと転落していったのは一九六〇年代のことでした。安保斗争がのこした最大の教訓は、統一戦線がいかに大きな力を発輝するかということでした。不幸にも、その教訓を学ぶのは民主勢力よりも米日支配層の方が早かったといえます。かれらの政策は、民主勢力の中の「古典的マルクス主義者」を孤立させ労働組合や中間政党をだきこんでいくケネディー・ライシャワー攻勢としてあらわれたのです。
 部落第一主義、セクト主義の弱点をもっていた朝田氏にかれらが目をつけたのは当然のことといえます。ケネディー、ライシャワー攻勢の部落版は「同対審答申」を利用した、あたらしい融和主義としてあらわれ、その典型が大阪でした。そこでおこったことについては、数多く報告されているのでふれません。
 ⑨「窓口一本化」の問題
 部落の人たちの要求にこたえる同和行政はすべて朝田解同を通じてやれというのが「窓口一本化」 です。
 ○住宅には、解同にはいっていないとはいれない。
 ○促進学級 解同系の教育を守る会などに親がはいっていないとはいれない。
 ○隣保館 解同のいうことをきかない子ども会などは追い出される。
つまり、同和予算の配分療を塀同がにぎるわけです。そうなると自主的、民主的団体としての解同の性格は完全に変質します。ところが、一方では同和予算はふえ、学校は立派なものになります。権力の末端になってしまった解同の動員力は、飛躍約に強化されます。
 ④ 「差別」を武器にした批判の封殺
 このようなやり方を批判するものは差別者だとされ、それでも、批判するものには、暴力、つるしあげ、行政に圧力をかけた首切りなどがなされるのです。
 それとともに、このようなやり方をまともに批判することへのためらいが民主勢力内部にあったことも事実です。矢田問題をめぐって解同大阪府連と日本共産党大阪府委員会がまっこうから対立したときは私も少々とまどいました。でもよく考えてみると、部落解放運動にだけ通用する論理や民主主義があるはずがありません。ところが、私たちは、そんなものがあるかのように思いこみ、それが部落問題への深い理解であるように思いこんでいたような気がします。そのあやまりをおしえてくれたのが矢田問題をめぐる論争だったのです。
 今でも、革新政党の中にも、労働組合の中にも「朝田一派」と対決しきれないでいる人たち、潮流があることは残念なことです。

6 おわりに
 私は、本稿で、朝田一派の暴力、腐敗の実態については十分にのペていません。そのような暴力や腐敗の枝葉をとりはらったあとにのこる「朝田理論」の論理構造をあきらかにしようとするのが本稿の目的だからです。この批判の方法こそは「朝田理論」が正しいと思っている人たちに対する、もっとも親切で根本的な批判になると思うのです。
                   「和歌山の教育」第6号所収

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# by saikamituo | 2013-04-02 21:19

ギリシャ財政危機と世界金融危機によせての学習

ギリシャ財政危機と世界金融危機によせての学習


(一)
私は、雑誌「経済」などが届くたびに、「何か載っているかな」と期待しては裏切られ、いらいらしていた。私が待ち望んでいたのは、ギリシャの経済・財政破綻を中心とした問題についての経済分析であった。
 「世界資本主義が右往左往しているこのときに、新聞報道的なものはあるが、その経済学的分析ができずに、何が科学的社会主義、マルクス経済学か」とまで思っていた。そんな時に出会ったのが、雑誌「経済」12月号「ユーロ圏の財政危機と経済危機」(代田純・駒澤大学教授)である。たった7ページの短い論文、「目次」でも大きくは扱われていない。その論文を読んで、「こんな研究者がいたのか」と驚き、インターネットでこの方の名前を検索して、財政・金融論の専門家であることを知った。
 この論文は、書き出しから気持ちがいい。
 「グローバリゼーションは、国民国家内外で価格格差、賃金格差、金利格差を修練させる傾向をもつ。すなわち、高価格国では、物価下落(デフレ)圧力がかかり、低価格国では物価上昇(インフレ)圧力がかかる。同時に高賃金(所得)国では、賃金抑制バイアスが……金利も各国間で平準化する傾向…」
 問題の根本にある、イロハともいうべき基本問題から書き出されている。日本経済と中国経済などをくらべていつも思うことだから、納得できる。スペースが少ないから、ごちゃごちゃ前置きせずに根本問題から切り込んでいるのが、私には気持ちがいい。

*ここにきて、私は、アレッと立ち止まった。【なお、本稿の前編として、拙稿「ユーロ危機と加盟国の財政赤字」本誌2011年3月号を参照されたい】という注記がある。私がふりかぶって「いらいらしていた」など言った前提がくずれて、まともに雑誌「経済」にも目を通していないことを露呈したのである。
   侍であれば、ここで恥じて腹を切り、まじめな研究者ならここで筆を折るところであるが、恥知らずな私は、代田教授への賞賛をこめて、続きを書かせていただく。
(二)
代田教授は、先の大前提から、ギリシャ・スペイン・ポルトガルなどの国々は、フランス・ドイツ・フィンランドなどのユーロ先進国よりも物価は安かったが、過去10年間で、インフレ率が高く、物価水準が平準化されたことを論証する。労働コストが上昇し、社会保障費も増える。ところが、税収は増えなかった。
その要因のひとつとして、代田教授があげるのは、シャドーエコノミーと呼ばれる非正規経済が大きいことだという。薬物取引から税金逃れまでいろいろあるらしい。
第二の要因は、所得配分の不平等性にあるという。それを示す「クインテッル指数」(説明はこの論文を読んでほしい)は、ユーロ圏平均は、4,8倍だが、ギリシャでは5,8倍。スペイン・ポルトガルでは6倍という。
いま、世界中で、1%が富を独占し99%が貧困に落とされていることへの抗議が巻き起こっているが、財政破綻の国々は、著しく不平等な国なのだという。なぜか?これらの国々は、1970年代まで軍事独裁が続いてきた、民主主義の歴史と伝統を持たない国々なのである。
私は、ギリシャといえば、古代民主政治の国、ソクラテスの国、オリンピック発祥の国、ギリシャ美人・ヴィーナスの国などと考えていたが、そうではない。軍事独裁が続いた国であった。
論文はこれにつきるものではないが、読み終わって紙数を気にせずにもっと書いてほしいという気がする。大変勉強させてもらった論文であった。

追記 このあと、私は、「経済」3月号を探し出した。
 財政危機特集の第2論文が「ユーロ危機と加盟国の財政赤字」(代田純)。その第1論文は、「アメリカ資本主義と財政危機」(河音琢郎)。和歌山大学の河音先生ではないか。
 このころから、僕は目と頭の衰えをカバーする方法を思いついた。雑誌論文を、拡大コピーして、A4の大きさにする。「経済」誌の2倍の大きさになる。岩波文庫の「ワイド版」よりも拡大率が大きい。さらに細かい字のデーターやグラフはそれだけ切り取って、もっと大きくする。この方法で、河音論文を読み切ることができた。教えられるところ、たいへん多かった。
 ここまでくると、アメリカ、ヨーロッパ、日本など、バラバラでなく、世界資本主義の危機という面から考えたくなる。同じ号に「世界的金融危機はつづいている」(井村喜代子・慶応大学名誉教授)という論文がある。17ページもの大論文だ。これも同じ方法でよんだ。すごい論文だ。(ますます、勝手なことを考えていた自分がはずかしくなる。)
 ついでに「TPPを糺す」(村田武)「財政危機と国債バブル」(山田軽彦)を読み、さらに2年前の井村先生の論文まで読んだ。2011年3月号に「深化する財政危機と11年度予算案(上)」(梅原英治)がある。その続き(下)が、4月号にあるがこれが力作だ。これも拡大コピーで読んでいる。一ヶ月にこれだけの経済論文を読むなど、ここ10数年なかったことである。
ただ、拡大コピーして資料を読み込むと、疑問点もでてくる。
①消費税は1989年に創設され(3%)、1997年に引き上げられる(5%)
ところが梅原論文の「表7」では、1989年には消費税は増税されず、その前年に43540億円ふえている。前年の消費から増税したということだろうか?1997年については、その前年には、420億円増えているだけだ。そして1994年度の税制改革で、26450億円も増えている。このデーターは、どう読んだらいいのだろうか。
②経済」3月号のP31、代田論文の「図2」のグラフについている「左目盛」は「右目盛」の誤記ではないのか。   ……どなたか教えてください。

*いま、焦眉の問題になっているヨーロッパ財政危機。今日もNHKで特集を組んでいた。ユーロの経済統合の無理とともに、根本には、アメリカが主導した新自由主義・金融資本主義の問題があると思う。
 県学習協で、河音先生に講師をお願いして、河音論文、井村論文(「経済」2011,3)代田論文(「経済」2011,12,「経済」2011,3)を参考資料に配って学習会を企画したらどうだろうか。

2011年11月23日             雑賀 光夫

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# by saikamituo | 2013-03-24 22:50

スターリン秘史(「前衛」不破哲三)を読み始める

スターリン秘史(「前衛」不破哲三)を読み始める              
         雑賀 光夫

(一)
 不破さんが、[前衛]誌であらたな連載をはじめた。そこでは、スターリンの暗い政治の片棒をかついだディミトロフの役割が解明されると聞いて、僕はいやな気持ちになった。自分の青春の思い出が汚されるような気がしたのである。
 本箱から「反ファシズム統一戦線」(ディミトロフ著・国民文庫)を取り出してみる。あまり汚れていないから、学生時代に読んだものをなくして、買い換えたものにちがいない。「学生運動の統一」の問題など考える時も何度も読み返したから、最初に買った本は、ぼろぼろになっているはずである。
 僕が大学教養部にいたころ、京大同学会・教養部自治会とも主導権をとっていたのは、社学同(社会主義学生同盟)、いわゆるトロツキストといわれる一派だった。後に「赤軍派」で有名になった塩見孝也らがいた。僕は、自治会では反主流派の「統一派」に属していた。
 「原子力潜水艦寄港反対」などで主流派が組織するデモ・河原町でジグザグデモをくりかえし、機動隊と衝突するデモに参加するかどうかは大きな迷いだった。基本方針は、こうしたデモには参加しないということだが、クラスのまじめな学生が参加している。僕は、デモがある前の晩、「反ファシズム統一戦線」を読み返して、悩みぬいた末、翌日のデモに参加した記憶がある。活動家というほどでもない級友が、このデモに参加していて、多分参加しないだろうと思っていた僕の顔を見つけて嬉しそうにした表情まで、今でも思い出す。その行動が、よかったのかどうかは分からない。ただ、そこまで考えたことはなつかしい思い出である。だから、あのころ読んだものなら、赤線・青線で汚しまくっていたはずである。
 それでも、パラパラとめくると「幹部政策」のところに、赤い線をいれている。民青同盟の時代に、「幹部のありかた」を語るのに引用したのを思い出す。
 ぼくは、「一番美しい国の名前・ブルガリア。一番美しい町の名前・ソフィア。一番男らしい人の名前・ディミトロフ」と呟いてみたことがある。音声的に本当に美しいと思う。ディミトロフにそんなにほれ込むほど、「反ファシズム統一戦線」(コミンテルン第7回大会へのディミトロフ報告)には、感銘をうけた。
 そのディミトロフが、スターリンの粛清の片棒をかついたんだって。不破さん、たのむから、僕の青春の思い出を汚すような暴露はやめてほしい。こんな気持ちだったのである。
              (二)
 連載は、前衛2月号からはじまった。こわごわページを繰った。
 しかし、そこに紹介されているのは、ナチスに逮捕され、獄中闘争をたたかった輝かしいわがディミトロフであった。しかも、僕が知っていたのよりももっともっと輝ける英雄の姿がえがかれていた。
 前衛3月号は、「コミンテルン第7回大会」(上)である。社会民主主義者を、「社会ファシズム」と決めつけ、「主敵」とさえしていたコミンテルンの方針から、フランス人民戦線のような統一戦線方針にいかに転換がなしとげられたのかが解明されている。
 「社会ファシズム論」をとっていたスターリンが、ナチスドイツの台頭を前にして、本当のファシズムとたたかう必要を感じ始める。政治家・スターリンの直感であろう。そこで、反ファシズムの闘士・ディミトロフを、コミンテルンの中心に据える。ディミトロフは方針転換に苦労する。まわりの前からのコミンテルン幹部は、ディミトロフの方針転換を理解せず、孤立する。その孤独からディミトロフを救い、後押ししたのは、スターリンであった。
 ディミトロフは、フランス共産党のモリス・トレーズとも討論するが、トレーズは最初はその方針を理解しない。しかし、フランス国内でのナチズムの策動とそれを粉砕する労働者の統一行動が、フランスでの事態を大きく前進させる。

*フランス人民戦線にいたるドラマについては、不破さんが「労働組合運動の歴史」(「労働戦線に革新の旗を」新日本新書所収)で紹介したものである。「注」として書いておけばいいのにと思う。不破さんの「歴史」は、共産党が労働組合運動の画期的方針(「10大会6中総」)を出した直後に出された「労働組合読本」(荒堀広編)の一節である。
*不破さんの「労働組合運動の歴史」のフランス人民戦線の部分を、僕は何度も「政治闘争と経済闘争の結合」の教材として労働学校で紹介した。不破さんの叙述の出典を知りたくて、トレーズ「人民の子」をはじめ、フランス人民戦線の歴史を読み漁ったが見つからない。その出典を教えてくれたのは、和教組で一緒に仕事をした楠本一郎さん。「フランス労働運動史(CGT小史)」である。楠本さんから譲り受けて、いま僕の本箱にある。
 
 この時期、モリス・トレーズが統一戦線の方針に転じるのに、「やめておけ」と助言をしたコミンテルン幹部がいたらしい。なんとそれが、エルコリ(戦後のイタリア共産党の指導者・トリアッテイ)であったという。エルコリは、不破さんの論文にも紹介されるが、「コミンテルン第7回大会」の報告者の一人である。その報告は「コミンテルン史論」(青木文庫)におさめられているが、「平和のための闘争」という面で、ディミトロフ報告を補足するものであった。
 トレーズ、トリアッテイといった、ぼくらが人民戦線運動の指導者だと思っていた幹部の認識が、短い期間に大きく変わったのだということが分かる。

               (三)
 その、わくわくする中で「キーロフ暗殺事件」がおこる。スターリンの謀略の一つだそうである。
 話(歴史)はどう展開するのだろうか。推理小説よりも面白い連載が楽しみである。

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# by saikamituo | 2013-02-13 21:28

体罰問題について 1

体罰による高校生の自殺をきっかけにして、「体罰問題」がマスコミをにぎわす。
「この国では、子どもが死を持って抗議するまでまともな教育論議がおきないのか」と暗澹とした気持になる。
 しかし、和歌山の教職員は、そんなことになるまえに「体罰は教育ではない」という論議をしたのだった。僕が和歌山県教職員組合書記長をしていた1980年代だった。d0067266_21411116.jpg
その議論をリードしてくれたのが、岩尾靖弘さん(和歌山県教育研究所事務局長)だった。
 畏友といっても一回り年上の楠本一郎さんと相談して、岩尾さんの遺稿集「ロマンを語る」に収録した「体罰問題について」を、ここにアップすることにした。楠本さんには、「読んでココ」で読みとった原稿の校正の労をとっていただいた。
 僕は、その前に、これをコピーしてパンフレットにしたものを配り歩いている。今日、岩尾さんの息子がやっているうどん屋「つるよし」に持っていったら、息子さんも喜んでくれていた。仏前にそなえるようにお願いしてきた。
 県教委がだす一篇の通達でなく、教育論としても法律論としても「体罰をやめよう」と訴えたこの連載は、いま、光を放っている。
                         雑賀 光夫




体罰問題について

(『和教時報』第1124号1984年8月25日号―第1139号1985年2月5日号掲載)
      和歌山県教育研究所事務局長   岩尾 靖弘



一 なぜ今、体罰論議なのか


毎日新聞が一九八四年七月十六日に発表した文部省の校内暴力実態調査の分析結果のことをとりあげ、一九八三年度の校内暴力は前年度より減少し、「校内暴力の発生状況が峠を越えた」という同省の分析に対していくつかの問題を投げかけている。
 校内暴力の発生件数が多かった首都圏や近畿圏は減っているが、地方では逆に増えてきている。発生率でみると増えた県と減った県は相半ばしている。総数の減少をもって「峠を越した」というわけにはいかない。 
 「校内暴力が減少した原因についても考えてみる必要がある」として、学校を中心とした対策が一定の効果を上げたことには間違いはないが、父母や地域住民との協力があまり進んでいない点、特に警察との協力がより密接になっていることを「日常化してはいけない」と警告を発している。とくに学校では「服装をはじめ、生徒のしつけを厳しくする傾向が強まっており、生徒の行動に目を光らせ、少しでも反抗的な態度は体罰で押さえこむ。そのため、若い体力のある教師が歓迎されるという空気が学校現場にみられる」という状況に対して、「力」で生徒の反抗を押さえつける方法は決して望ましいとはいえないし、子ども本位の教育という空気を現場にぜひとも再生してはしい、という鋭い注文を投げかけている。
 校内暴力が減る一方で「登校拒否や無気力症などの学校不適応は確実に増えている」という事実について校内暴力も不適応の現われとすれば、その総体は変わっていない。学校の権威主義的な態度、生徒の人格を無視するような管理主義的な傾向は、ぜひ、あらためてもらいたと指摘している。
 非行には、力で対処するのでなく、生徒の間に人間らしい結びつきを回復することこそ、非行克服の基本的な筋道であることは、苦しいとりくみをくぐり抜けてきた学校や先生たちの共通の教訓である。非行克服のとりくみについては一定の前進を勝ちとっているにもかかわらず、「体罰」問題についてのとらえかたの弱さが多くのこっていることに注目する必要がある。

二、発達の筋道にてらしたとりくみ

①我々の教育対象は人間である。そしてさまざまな未熟な要素をかかえた子どもであるという極めて当たり前のことを改めて深く考えてみる必要があるのではないか。
 私たちの前にある子どもの姿のなかに、とても子どもと思えない「荒れた」姿であらわれてくることが多い。どうしようもない子ども、まともなことが通用しないような頑固な部分にぶつかると、どうしてよいかわからなくなる。
 そこに現在の「体罰問題」の深刻さが事実として存在する。
 しかし、一時的な力による指導には限界があることもはっきりしている。一時的な鎮静剤にはなりえても、そのことで子どもの内面を内からゆさぶることになってはいないことを、当の教師が一番よく知っているのである。どんな荒れた子どもであっても、まったくどうしようもない子であっても、人間としての値打ちを認め、発達の崩れを十分考慮にいれ、発達の筋道に照らしたとりくみをすすめる以外に解決の糸口が見いだせないのではないかと思う。
 いくらむつかしくても、人間を殴る(暴力を加える)という行為についての誤りと「殴る」という暴力のなかでえられる一時的な効果(…とみえる)に対する錯覚を早く断ち切るところから、とりくみを出発させたい。
② 今の子どもは、どうしようもない子ども、人間らしさを失ったものとして私たちに見える。その「あらわれ」に目を奪われて、そのように思ってしまったのでは子どもを一面でしかとらえたことにならない。
 子どもたちの多くは常に苛立ち、逆にシラケているように見える。けれども、それは「ちゃんとしたい」と思っているのだが、そのようにできないから、自分に苛立っているのである。そして、まともな人間として育ちたいのだが、どうにもならない自分にシラケているのである。
 まともな願いが非常に薄いものであっても人間として生きているかぎり、どんな子であってもそれは失ってしまっていない。そうした人間としての確信を教師自身持てるかどうかが問われているのではなかろうか。
 同時に、子どもの非行の裏には必ずといってよいほど生きていくうえでの〝まよい““悩み〟〝苛立ち″が重くのしかかってているものである。教師は、こうした視点を見失わず「体罰」を今一度問いなおしてみる必要があると思う。

三、「わかる力」の芽をつみとる体罰

体罰を考えるうえで二つ目の問題は、「体罰」は教育の筋道から外れているということである。教育というものは、教師生徒との間の信頼関係によって成立するものであり、言うことを聞かないから
といって体罰を加えるということは、指導を放棄したものである。言うことを聞かない子、まともなことを茶化したり嘲笑したりという子どもが増加しているだけにどうしたらよいか、さしあたってその場をどう切り抜けるか、ほとほと因ってしまう状況が多くなってきていることは事実である。その場その場を切り抜ける方法として、体罰や暴力を背景にした教師の威嚇は、一定の効果があることは否定できない。しかしその効果の内容はけっして子どもの発達への意欲を育て子どもの自覚に役立つものでないこともはっきりしている。
 たとえば、口で言っても聞きわけのない子に、殴ってでも言うことを聞かせるわからせ方はありうる。しかし、その時のわかり方は程度の低いわかり方であり、子どもの成長の糧になりえるものではない。逆に暴力肯定を無意識のうちに会得してしまうという発達上の〝マイナス〟になる。

四、教育の神髄は子どもの自発性
 「怒られる(または、殴られる)からしない」という考えは「怒られなかったらする」ことであり、自分を律する基準が人間として正しいかどうか(または良いかどうか)というふうにとらえられないで「怒られるかどうか」を考える子どもに育てることになる。親に多く殴られて育った子は友達が悪いことをすると「先生あんな悪い子殴ってやれ」というようになる。「体罰」というものは明らかに暴力である。
 本質は暴力でありながら教育活動のなかで、指導という形であらわれ行使され、時として一時的に子どもの行動を停止させ思考を中断させる力を持つために、暴力そのものの性格が隠されてとらえられている。あるいは、暴力としての性格が指導ということで昇華されたという錯覚が、非常に根強く私たち教師の間にまかり通っている。教育はあくまでも子どもの自発性を育てることが基本であり、体罰=暴力というものは、いかなる形であれ教育とは異質なものであるところから体罰論議をすすめていく必要があると思う。

五、法的にも許されない体罰

 体罰問題をとらえる三つ目の点は、体罰は法律上の禁止行為であるということである。学校教育法第十一条で「校長および教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒および児童に懲戒を加えることができる。ただし体罰を加えることはできない」。教育上必要な懲戒は加えることができるが「身体に対する侵害、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒は体罰に該当する」と懲戒の程度について法務省の通達でその行きすぎを戒めている。このように体罰については学校教育法第十一条によってはっきりされている。憲法・教育基本法による教育の中心は、平和及び人間の尊厳性と基本的人権の尊重であり、すべての子どもの全面発達をめざした民主的人格形成にあたることはだれもが認めることであり、体罰とは相容れないものである。長年の習慣的な馴れによって実際面における指導の困難に目を奪われて、安易に妥協してきているといえる。

六、非行克服のとりくみにも逆効果

 現在、さまざまな発達の歪みがもたらす子どもの非行が教育者だけに止まらず、父母・国民すべての問題として早急に克服を迫られている中で、教育現場の中で長年残されてきた体罰という悪習を思いきって断ち切る決意を固めることが何よりも必要なことである。
 多くの非行克服の教訓は、「荒れた生徒に対する体罰は必要な教育効果をあたえない」ということであり、非行克服の成果そのものを壊す役割すら持つということを明確にしている。体罰問題における具体的状況の困難さに迷わされないで、教育や法の立場の基本に立ち返りながら、真に人間が人間として「わかっていく」筋道を明らかにしていくことこそが大切かと思う。

七、「体罰にもー定の効果がある」ということについて

◇子どもの考え方を歪める体罰
 やむなく振う体罰は子どもの態度に何らかの変化をもたらすことは事実である。しかし、教師にとって大切なのは、その子ども変化の内容がどういうものであり、子どもの自発性を発展させることになるのかどうか見極めをつけることである。子どものとらえ方の中に、もし「殴られるからしない」というわかり方であれば、それは本当にわかったのではなく、まちがった認識を育てることになるし、さらに殴られるおそれのないところではやるかもしれないということであり、子どもの考え方を歪めることにしかならない。
◇教師の落ち入りやすい〝落し穴″
 思わず殴ってしまったことがきっかけになって、子どもが反省し態度がよくなるという場合、教師が子どもに誠意をもってぶちあたり思い余って殴ってしまう。その時、その気迫の中に教師の誠意を感じとり、子どもが自省のきっかけにした。この場合、教師の側では得てして体罰を含めて有効な指導として評価しがちであるが、そういうとらえ方には教師として落ち入りやすいきわめて危険な落とし穴がある。子どもが自省のきっかけとして強く受け取ったのは、どうしても子どもを良くしたいという教師の熱意を受け取ったのであって、体罰そのものではない。教師の熱意を受けとめて自分をかえるきっかけにし得ても、殴られたそのことについては、しこりを残すという場合もありえるということを見逃してはならない。体罰というものは、ある条件のもとで一定の効果があっても、そのことで体罰を正当づけることはできないということをはっきりさせるべきである。もし、いささかでも子どもが体罰を肯定して受け入れたのであればそういう子どもに誤って育てたことによる何らかの効果は、いかなるものであっても子どもの内面の成長に役立つも′のでなく、むしろ子どもを人間として歪めることにしかならないと思う。

(つづく)
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# by saikamituo | 2013-02-05 19:21

体罰について 2

八、体罰は「子どもの発達の筋道から外れている」ということについて

◇有効な方法を放棄する体罰
 教師として、子どもにあれこれ要求する場合、その内容が子どもの発達の段階にとって適切であるかどうか、或いは対象にしているその子どもにとって課題であるのか、かけはなれたものになっていないかの一応の吟味が必要である。
 とくに一人ひとりの子どもをみる場合、今日の非行の最大の課題である「発達の崩れによる歪み」がどのようにあらわれているのかということも考慮に入れて考えなければならないと思う。
 体罰がおきるのは子どもが言うことを聞かない、分かろうとしないという条件の中で良く起きてくる問題であるだけに、それぞれの子どもの状況をつかみ、それに即したとりくみの道を明らかにしていくことが大切であり、体罰によって何とかしようというのは教師にとって有効な方法を探求することを放棄したもので、その場しのぎの安易なやり方といえる。子どもの人間的な歪みを正すのに筋道から外れた歪んだやり方で歪みを正すことはできない。

九、正当な怒りにも体罰は不必要
 
体罰問題を話し合っている会の中で、ある中学校の先生から次のような体験がだされた。
 「私は今までどちらかというと体罰を行使したことがない。この前、英語の時間、わたしの学級にAという勉強のできない生徒が一生懸命努力しているのをみた隣に座っているB生徒が『おまえ、
いくらやっても分かれへんのに、止めとけ』とからかい嘲笑しているんです。A生徒は障害児学級の対象にもなったことがあり、できないんですけど一生懸命頑張っているんです。それをみて嘲笑し侮辱しているB生徒の態度、許せんと思った。そこで、B生徒をきびしく怒った。怒りながら思わずその生徒を殴っでしまった。まわりの生徒は、この私の怒りを支持してくれたと思う。A生徒もうつむいてしまって私の怒りを受けとめてくれたのではないかと思う」。
 これをめぐって論議が深まった。そして不正なことに対する教師の怒りというものは非常に大切なものであるが、正当な怒りを指導に移す場合、困難であっても理性という鏡に照らして移すことを忘れてはいけないという話がでた。私は酷なようだが、先生の怒りが正当なだけに、殴ったことに対する教師の自省を抜かしてはならないという意見をだした。

十、体罰には教育効果はない
 
教育心理学者たちは、教育心理学の立場から体罰の弊害として次の五つをあげている。
① 体罰に対する恐怖心から子どもの望ましい行動まで抑制してしまう。
④ 子どもと教師の教育関係を破壊してしまう。
③ 体罰を加える教師に対して憎しみや反発を感ずるが、子どもの協力がなかったら教育・授業は成立しない。
④ 子どもの自尊心を傷つける。この子どもの自尊心こそ子どもが自発的にのびていくためにどうしても必要なものであり、これを傷つけたら子どものもっている良いものを引き出すことはできない。それやえ、体罰は子どもが伸びていく内発的動機を破壊してしまう。 
① 罰を避けるために要領の良さとか、ずるがしこさ等の望ましくない回避行動を子どものなかに生み出す。
 体罰は子どもに欲求不満を与える。すると緊張解消行動として教師を殴ったり器物を壊すという直接攻撃や弱いものいじめといった転移性攻撃があらわれてくる。
 以上の点が体罰に関する世界の心理学研究をふまえてのまとめである。

十一、体罰の横行する背景
 
私たちの教育界では、長年の間体罰についてのまともな論議がなされてこなかったという事情のもとで、体罰に何らかの教育効果を期待するという悪弊が半ば許容されてきたという経過があります。加えて近年「子どもがなかなか言うことを聞かない」という状況が増大している中で力ででも言うことを聞かすというやり方が、かえって増えてきているのではないかと思われる。その一つの現われとして、いくつかの地域で中学校の生徒指導主任として圧倒的多くが、体育教科あるいは生徒ににらみのきく先生が選ばれている実態があります。
 体罰で得られる何らかの効果というものは一体どういうものなのか、それぞれの具体的な実例の深い検討を通して問題点を明らかにしていく必要があります。

十二、法が休罰を禁止するのはなぜか

 このことについて今橋盛勝教授(千葉大) の説を紹介する。           
 「現行憲法の基本的人権の尊重、教育基本法の人格の完成(教育目的)のもとで、法が体罰を禁止するのは次のような理由からである。
 第一は、体罰の実態・本質は生徒に対する教師の暴力的権力的支配であり、そのため生徒の生命・人身を侵害するからである。
 第二は、心理学者が言うように、生徒の精神に打撃をあたえ健全な発達を歪めたり破壊したりするからである。暴力による身体の損傷・苦痛・屈辱感・恐怖心・反撃心を生み出す。兼子仁教授がいうように『人が人間らしく扱われることの憲法的保障』を人権といい、そして他方で教師から殴られる蹴られる、髪の毛をもって振り回される、膝で地面に顔を押しつぶされる、黒板消しを投げつけられる、問題が解けないからといって錐を小学校低学年の子どもの頭に落とされることを、子ども・生徒及び父母が受忍しなければならないと
するなら、この子ども・生徒は『人間』でないことになる。『人間らしく』扱われないでどうして子ども・生徒は人間らしくなっていけるのだろうか。
 第三には、近・現代社会における、人と人との関係・対立は暴力によって解決されてはならないとする非暴力主義の原理、それをふまえた人間関係の在り方を学ばせない点で、非教育的・反社会的である。逆に暴力としての体罰によって暴力による自己主張、他者・『弱者』支配を子ども・生徒に教えているともいえよう。
 第四は、体罰は教師の専門性に反する。体力・知力・身分的に勝っている教師が、それらの点で劣っている子ども・生徒に暴力としての体罰を加えるほど容易なことはない。しかも体罰は子ども・生徒が反撃してこない、それを許さない、また体罰を拒否したりその場から自らの身を守るために逃避することを許さないような条件・状況のもとで行う点で、中学生のわが子に父母が体罰を加える場合とも明らかに異なっている。体罰は法的教育機関としての学校・教師に憲法・教育基本法が要請する『ありうるべき教育』の内容・方法からのもっとも容易な逃避行であり自らの教師の専門性と人格を拒否する行為である。つまり体罰は教育法的には許されざる反教育的行為・違法行為であり、子ども・生徒の学習権と一般人権を侵害する行為であると解されるのである」(『文化評論』一九八三年五月)    
 私たち教師は、教授する権利を持ち、行使にあたって何人からも干渉を許さない厳しさが必要であると同時に、物事の「条理」に忠実でなければならないと思う。
 体罰の本質は暴力であるというとらえ方を改めて深くとらえ直してみたいと思う。

十三、体罰として禁止されているものについて

 体罰の禁止についての法務省の解釈を紹介しておきます。法務長官の「児童懲戒権の限界について」(昭和二十三年)で次のような通達がだされている。
 身体に対する侵害を内容とする懲戒=殴る、蹴るの類、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒もまたこれに該当する。たとえば端座(筆者注・膝を揃えて姿勢正しく座ること)・直立等、特定の姿勢を長時間にわたって保持させるような懲戒は体罰の一種と解さられなければならない。
 さらに具体的問題について「生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得」(昭和二十四年)は次の判断を示しています。
 用便に行かせなかったり食事が過ぎても教室に留めおくことは、肉体的苦痛を伴うから体罰となり学校教育法に違反する。遅刻した生徒を教室に入れず、授業をうけさせないことはたとえ短時間であっても義務教育では許されない。
 授業時間中に怠けたり騒いだからといって生徒を教室外に出すことは許されない。教室内に立たせることは、体罰にならないかぎり、懲戒権内と認めてよい。           
 人の物を盗んだり壊したりした場合など、懲らしめる意味で体罰にならない程度に放課後残しても差し支えない。
 盗みの場合などその生徒や証人を放課後尋問することは良いが、自白や供述を強制してはならない。
 遅刻や怠けたことによって、掃除当番などの回数を多くするのは差し支えないが、不当な差別待遇や酷使はいけない。
 遅刻防止のための合同登校は構わないが、軍事教練的色彩を帯びないように注意すること。
 以上のごとく学校教育法の体罰禁止条項は、暴力をふるうことを禁じているだけでなく、懲戒の手段として肉体的苦痛を与えてはいけないとしています。

十四、教師の懲戒権について

 懲戒の基本は本人に自覚させることである。教師の行なう懲戒については学校教育法十一条でも認められており、法的にも根拠があります。生徒・児童が学校生活に必要な決まりを守らない場合、教師の指導で誤りを自覚させるのは望ましいのですが、暴力や大きな事件を起こした生徒には自分の誤りがすぐさま十分には理解が出来なくても一連の懲戒はありうる事です。この懲戒は生徒全体の学習権と、人権を守るものであり、本人にまだ不満があってもともかく自分の行為はみんなから権利侵害として非難されているんだということを十分自覚させる措置で、出来るだけ本人が誤りを納待するよう描導していくことが大切です。その時加える懲戒が本人にとっても不満であってもそれを通して分からせていくということになると思う。もちろん児童生徒に言い分のある時はよく聞いてやるべきで、何を懲戒とされているのかを分からせていくとりくみは手抜きをしてはならないと思います。

十五、教育的立場を貫く懲戒が大切

 義務教育段階では、退学・停学できないのは当然であります(学校でも教育上出来るだけさけるべきです)。具体的には教師自身が状況に応じて考えなければならない問題ですが、たとえば自宅学習というやり方がありますが、親が終日ともにいて子どもを観察したり話し合ったり出来る条件のある場合は、効果は期待できるが、その条件のない場合はかえって逆効果であります。学校へ登校させて別室で特別指導するとか、教師とともに特別の作業を課すとか色々工夫が必要であろう。                                         
こうした懲戒は非常に「困難な教育的状況」のなかで行使されるだけに難しいと思うが「教育的懲戒」といわれるかぎり、教育的立場を貫く懲戒のあり方を求められることはさけられない。

十六、「罰」について

 教師が指導にあたる場合、教育的見地から子どもに対して、一定の必要と思われる罰を加えることはありえるし、学校教育法の上でも認められている。
 この際ひとつは、罰はあくまでも教育上必要と思われる範囲内で教師が考えるべきであり、その子どもや置かれている諸々の条件を十分考慮に入れて判断すべきである。もう一つは、基本的に子どもの学習権を奪ってはいけないということをふまえておく必要がある。三つは罰そのものの中に人間的な「はずかしめ」があってはならないと思う。
 具体的な点でたとえば、忘れ物をよくしてくる子どもがいる。いくら注意をしても聞かない。思いあまって取りに帰らせる。これも一種の罰だと思うが始業前、または休憩時間の時ならまあまあ良いとして授業を抜けてまで取りに帰らせるのは間違いだと思う。わけても今日の交通の事情や留守家庭の子が多いという点を考えると、教室のなかに留めおいて何らかの手立てを考えるのが妥当だと思う。もし、忘れ物が授業に必要なものであっても家に帰らせるのでなく、その子には不自由な(不十分な)形の授業のままで参加させることの方がより妥当であると思う。むしろ、その子どもの日常の生活態度や親の方に問題が深く関わっている場合が多いので、それについての長期の粘り強いとりくみが解決の糸口になるのではないかと思う。
 授業中、先生の話を聞かないで騒ぐ、他の子どもの邪魔をするということが日常的にぶちあたる。また、教室の後へ立たせるのは良いが廊下や外へ出すのはいけない。しかし、教室に立たせるにしても立たせっぱなしにしないで、立たされている子どもの様子を観察しておいて、一定の効果(あくまでも一定の効果)を認めたならばすぐ解除しなければいけないし、効果が認められない場合そのまま長時間立たせることはさけるべきであろう。全然何らかの効果もあたええない懲罰は、懲罰として無意味であるからである。
その子にとって無意味な懲罰は苦痛でしかないし、恨めしさと憎しみしか残らないようになることを心配する。その他みせしめという形の罰、屈辱を与えるような罰等々、相当学校現場には根強いものがあると思う。全面的に再検討する必要があると思う。

十七、「辱め」「みせし」の罰について
 いわゆる、「懲らしめ」の罰の限界についてであるが、徳川時代の罪人を罰するのに腕に刺青をしたり市中衆人の中を引き回しをする、衆人の前で刑を加える、さらし者にする等のことがやられたようである。このことと現在の懲戒とを単純に比較するのは当を得ていないが、懲戒という名によるよく似たことが、私たちの回りに皆無といえない。相手が子どもであるからか、また、自分でも悪いことをしたという意識が働いているからか、相当ひどい罰であっても直接的には大人である教師を告発しない。「懲らしめ」の罪にも限界があり「辱め」「みせしめ」となると、明らかに懲戒の限界をこえるものである。
私も実のところ小学校時代には非常にやんちゃであり、よく先生に怒られた経験がある。その中でいちばんいやであったのは、職員室のなかで怒られることであった。怒られている事実よりも、他の大勢の先生のなかでさらし者になっていることがなによりも苦痛であった。むしろその場でゴッンと一発殴られることの方がかえってすっきりした記憶がある。小さな子どもでもどんなに悪さをする子どもでも自尊心があるのである。直接身体に加える「殴る」等の体罰よりも、ある意味では「みせしめ、辱め」の罰は子どもの心を深く傷つけるのではないかと思う。

十八、学校で今、大切なことは

 今依然として子どもの非行が広く深く進行している中で、子どもの心に辛抱強く問いかける余裕のない中で、取締や規則あるいはてっとり早い懲罰で止むなく切り抜けようとする状況について、この辺で思い切った検討を加えてみたいと思う。こうしたものは、ひそかにそれぞれの教室でやられているだけに公開の論議になりにくいと思うが、実際のとりくみの事実から教育を出発させる勇気が今必要になってきていると思う。
 以上、「体罰」 に問題を絞って、いくつかの点について述べてきましたが、一先ずこれで終わることにする。重要な点でふれなかったところ、不十分なところ、実際非行問題に直面して苦悩している中での問題点に正しくこたえられなかったところ等、多く残してきていると思う。体罰は、永年にわたって残されてきた悪弊であり、それの克服は簡単ではない。だからといって先送りするのでなく、まず、学校の中からすべての暴力を一掃し、体罰を否定するところから教育を出発させること、そして、体罰によらないで子どもの内面の願いに視点をあてながら、子どもとの間に人間的なつながりを作り上げていく努力をする必要がある。
              岩尾靖弘(和歌山県国民教育研究所事務局長)
(参考文献)
☆牧柾名・今橋勝編著『教師の懲戒と体罰』(絵合労働研究所発行)
☆牧柾名著『学校と子どもの人権』(新日本新書)
☆埼玉教組「学校から体罰をなくし人間を大切にする指導を貫くために」(埼玉教育新聞号外) 、
☆「学校暴力から教育を守る共産党の提言」(『赤旗』一九八三年三月十≡目付)
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# by saikamituo | 2013-02-05 18:21

福沢諭吉の評価をめぐって 

福沢諭吉の評価をめぐって 「季論21」バックナンバーから

「季論21」という雑誌を手にした。まえから和歌山大学の松浦先生からお聞きしていたものである。編集委員は、鯵坂真(哲学)浜林正夫(イギリス近現代史)、堀尾輝久(教育学)、森住卓(フォトジャーナリスト)、渡辺治(政治学)など、学習協会員のみなさんにもなじみの方が多い。松浦先生もそのお一人である。
 このたび、バックナンバー18冊をとりよせ目次をくっている。そこには論争がある。論争好きの僕は、毎日それにかじりついている。そのいくつかについて紹介したいが、とりあえずは「福沢諭吉の評価をめぐって」である。

1 「天は人の上に人を作らず・・・」という文句は、小学生でも知っていよう。人権尊重作文の書き出しにもつかわれる。「封建制度は親の仇でござる」といった福沢諭吉は、晩年、朝鮮への侵略戦争に反対せず「外戦もやむなし」という態度をとったことも知られている。
 政治学者・丸山真男は、福沢諭吉を高く評価して、「文明論の概略を読む」(岩波新書3冊)など著作があり、僕も読んだことがある。一方、安川寿之輔さんという方が「福沢諭吉と丸山真男 『丸山諭吉』神話を解体する」(高文研)で、二人を重ねてぶちきるような批判をされている。

2 「季論21」では、編集委員でもある吉田傑俊氏が書いた「福沢諭吉と中江兆民」という本について、おなじく編集委員である宮地正人氏が「福沢諭吉の評価をめぐって」という問題提起をする。(第5号、2009年夏)それにたいして吉田氏は「第6号」で「宮地正人氏への返書」というものを発表される。
 吉田氏の本は読んでいないが、安川さんのような批判でなく、諭吉を「近代化」(啓蒙思想)、兆民を「民主化」(自由民権)の代表的政治家・思想家としてそれぞれ評価しながら、その違いを明らかにし、前者が「正統」、後者が「異端」とされていることはどうかという問題意識であったらしい。
 
*私の個人的なことを言えば、吉田傑俊氏は、京大部落研の先輩である。一緒に子ども会をやったことはないが、新入生学習会で「ものの見方について」(三一書房)という中国の人が書いた本をテキストに学習会の講師をしてくれたことがある。そのとき僕は、唯物論の根本について質問したことを覚えている。それは、「西田幾多郎の『善の研究』でのべられている絶対否定できないのは『純粋経験の事実だけである』という主観的観念論の主張をどう論駁したらいいのだろうか」という質問だった。
  のちにレーニンの「唯物論と経験批判論」のなかで、「主観的観念論が徹底的にその立場をつらぬくならば、いかなる三段論法をもってもしれを論駁することは不可能である」という意味の文章を見つけたとき、僕が持ち続けた疑問が、レーニンも論駁できないということに自信を持ったことがある。これは脱線。

3 「季論21.第7号」「特集 日本の近代化と『坂の上の雲』」の冒頭で、「生きた思想とは何か 近代啓蒙思想と自由民権」と題して、堀尾輝久氏を司会者にして、宮地・吉田両氏が直接討論する。論争好きの私には、こたえられない。夢中になるゆえんである。
吉田さんと宮地さんの対論では、吉田さんは、遠慮しながら発言しているように見える。また宮地さんに説得されているようにも見えた。
 私も宮地さんがいう「福沢諭吉が切り開いた世界の中で兆民が活躍したのだ、そして兆民とその仲間たちは、福沢が一番愛した馬場辰猪とともに自由民権運動をたたかいました」「それは対立でなく補完なのです」「兆民の『一年有半』に名前を挙げる中に福沢だけを『福沢先生』と書いています」という部分を「なるほど」と思いながら読んだ。馬場というのは、宮地さんによると諭吉の愛弟子で、馬場が亡くなった時、諭吉は「あまりに早くすぎた」と追悼文を書いたそうだ。
 僕は、子どもの頃読んだ「偉人伝」史観にとらわれているから、福沢諭吉ファンなので、吉田さんには悪いが宮地さんに軍配をあげたくなる。(注)
≪(注)僕は、「戦後政治の中の天皇制」(渡辺治)の書評を書いて、そのなかで、子どもの頃「偉人伝」(ポプラ社・偕成社)を読んで、皇国史観や英雄史観の影響を深く受けたという自己分析をしたことがある。「学習新聞」に投稿しただろうか?≫
 しかし、宮地さんが諭吉が日清戦争に賛成した問題で、帝国主義戦争に反対し他民族蔑視を乗り越えるイデオロギーは、レーニンまでなかったのだという主張には、本当にそうかなと思いながら読んだ。

4 論争はそれにとどまらない。「季論21・第8号」に「福沢諭吉についての対論をめぐって」(宮崎光雄)という討論参加者があらわれる。宮崎氏は、基本的には、吉田さんを支持するという。それでも宮地氏にも敬意を表しながらの討論参加である。宮崎さんの論文で面白いと思ったのが、勝海舟のことである。
 実は僕は、「坂の上の雲」の関係もあって、明治の文化人が、日清・日露の戦争をどう見ていたのか知りたいという問題意識をもっていた、夏目漱石は、日露戦争をひややかに斜めから見ていたと思う。このことは、和歌浦の老人ホームで開かれる「漱石を読む会」に参加し、漱石に「趣味の遺伝」(日露戦争で戦死した親友に思いをはせるところからはじまる)という小説があることを知って間違いないと思っている。
 知りたいと思っていたのが、勝海舟であった。「氷川清話」に中国の政治家は大きいね、大したものだというような発言があって、勝海舟の中国・朝鮮への見方を知りたいと思っていた。
 宮崎光雄さんの論文に、勝海舟と海舟が師とあおぐ横井小楠が紹介される。それが、福沢諭吉よりも進歩的な観点をもっていたというのである。また「勝は、『西郷は征韓論者ではない』という発言を最後まで繰り返した」という。
勝海舟の「氷川清話」(岩波文庫では「海舟座談」)というのは、僕が良く寝床に持ち込む一冊である。「海舟座談」をまたひっくり返さなくてはならない。
*「海舟座談」で見つからず、インターネットで「勝海舟 西郷 征韓論」と検索したら、「読書日記」というものが出てきた。そこで次のような紹介がある。
≪征韓論(とされているもの)に破れた西郷が、横浜から船で大阪へ向かうとき、真方衆の急報で、横須賀から横浜へ駆けつけた勝海舟が西郷と対話したときの話の内容について、それから二十年後の日清戦争の頃、勝が巌本善治に語ったとして、巌本は、その内容を『女学雑誌』に次のように発表している。
 「“ナニが征韓論ダ、いつ迄、馬鹿を見てるのだ、あの時、己は海軍に居ったよ。もし西郷が戦かふつもりなら、何とか話しがあらふジャアないか。一言も打合はないよ。あとで、己が西郷に 聞いてやった。『お前さん、どうする積りだった』と言ったら、西郷メ『あなたには分ってましよふ』と言ってアハアハ笑って居たよ。其れに、ナンダイ、今時分まで、西郷の遺志を継ぐなどと、馬鹿なことを言ってる奴があるがエ。朝鮮を征伐して、西郷の志を継ぐなどと云ふことが、何処にあるェ”と言ふことで、丁度日清戦争の頃ろ、烈しいお話しのあったことがある。つくづく西郷先生当年の言動を考へて見ると、忽まち此の秘密が頓悟されるやうに思はれる」≫

5 討論はさらに続く。「季論21・第16号」には「『福沢諭吉神話』を超えて」(杉田聡)という論文が掲載されている。それは、宮地氏の見解とは対極にある、冒頭に紹介した安川寿之輔さんの「福沢諭吉と丸山真男 『丸山諭吉』神話を解体する」と同じような見解なのだ。
 編集委員でもある宮地さんと全く対立する論文を掲載するところに、この雑誌の魅力がある。

 福沢諭吉びいきのわたしは、ここで「文明論之概略」で福沢諭吉が、論争は民主主義の基礎であることを強調したことを紹介しておこう。
 僕のHPに1998年にアップした「福沢諭吉との40年ぶりの出会い」という文で、次のように書いた。
≪「文明論之概略」は、いま、読みかけだが、すごくおもしろい。
 「第一章 議論の本位定る事」とある。福沢はその進歩性の限界が語られることがあるが、福沢なりの限定された歴史的制約の中での判断も、それなりにうなずかれるような気がする。
おもしろいのは、秦の始皇帝が、書物を焼く焚書をしたのはなぜかという分析であった。焚書では、孔子・孟子の書物も焼かれたが、孔孟だけなら、始皇帝も焚書はしなかっただろうという。その時代は、諸子百家という百家争鳴の時代だった。異なる意見を戦わせることが民主主義の基礎であると諭吉は考える。だから、始皇帝は書物がこわかったという。≫(1998年以前 記)

雑賀光夫 2013年1月 記

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# by saikamituo | 2013-01-30 21:50

のまさんの大きな手

野間さんの大きな手 
   …野間さんは庶民の心に生きている… 
 

 野間さんが逝かれた。和歌山の共産党と民主運動の時代を画した巨星落つとの思いにかられる。
 議員をさせていただいている関係で地域をまわると、「野間さんをよう知ってるんや。おい・おまえ、の関係でつきあってきた」と言われる方によくお会いする。先日も、紀美野町でお会いした方は、「野間さんの手は大きかったなあ。土方などのアルバイトをしながら大学へいって弁護士になったんやもんなあ。あんな人、ないで」と言われた。野間さんは、今も庶民の心の中に生きている。
 野間さんが初当選した1972年。社会党現職の中谷鉄也氏が突然の立候補辞退。かわって貴志八郎氏が「死中に活を求めて」「革新一議席は社会党」と立候補。私は、投票日直前に海南鋼管の前で中山豊さんたちとビラ配りをしていた。社会党陣営も、ビラを配っている。社会党幹部の方が中山さんの近づいてささやいた。
 「あと一歩なんや。ここはゆずってくれんか」
 そんな攻撃を跳ね返して、世直し弁護士・野間さんの当選をかちとったのは、共産党と後援会の奮闘とともに、真の革新・本当の庶民の代表を国会に送りたいという和歌山県民の熱い願いだったろう。
 「紀ノ川のように」という野間友一随想・対談集がある。そこでは、尾藤監督との対談とならんで、私の父・紀光も対談している。紀光が後に野間さんのリーフレットに推薦の言葉を寄せたことがある。
「野間さんは立派な人だ。その野間さんを毎回国会に送っている和歌山県民も立派だ。」
県党常任委員だった松葉さんが「ええ言葉やなあ」と言ってくれたが、野間さんを国会に送ってきたことは、県民の誇りである。
 野間さんの当選と共産党の躍進は、労働運動にも大きな影響を及ぼした。争議団共闘などは、前進的に解決にむかう。1980年ごろになるが、いま、海南海草の党の責任者をしている西上さんは、美里(今の紀美野町)のある企業で労働争議をしていた。田舎のことで悪戦苦闘。そこに野間さんが激励にきてくれた。それだけで、地域の空気ががらりと変わり、勝利和解に向かったという。
 野間さんの当選は、大企業労働者のたたかいを励ました。その一つが住友金属の労災隠しである。沖縄出身の下請け労働者が工場内で亡くなった。いったんは病死とされ、遺体が故郷に送られていたものが「電気溶接の感電死だ」という職場活動家の告発を聞いて、野間さんは遺体を和歌山に送り返させた。和医大で解剖して、労働災害が認定されたのであった。野間さんはその問題を国会でもとりあげた。
銀行のサービス残業問題も大きく前進した。残業手当が支払われただけでなく、夕方になって自宅に早く帰って来た銀行員の夫は「どこか悪いの?」と奥さんから聞かれたという。
田中角栄のもとでの狂乱物価もあって、73、74春闘は、15%、30%の大幅賃上げを勝ち取る。74年の年末には公務員労働者の「人事院勧告差額」は、「ボーナスが二回あったようだった」と今も語られる。和教組委員長をされた田淵史郎さんは、「政治闘争の前進が賃金や教育条件改善などの要求運動にどう影響するか」という例にこの話をよくされたものだった。
 野間さんは、タクシー労働者などに特に人気があった。県地評幹部だった木戸孝和さんは、「野間さんの偉いところは、労働者から訴えを受けた時、それが解決できるかということの前に、一緒になって共感して『許せん!』と怒ることなんや」と言われたことがある。議員になってから、その言葉を何度もかみしめている。

                    和歌山県議会議員 雑賀 光夫

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# by saikamituo | 2012-10-06 18:57

漱石と日露戦争

夏目漱石と日露戦争

1 「趣味の遺伝」という作品があることを知ったのは最近だが、私は「漱石の日露戦争観」に関心を持ってきた。
 親友である正岡子規は、「坂の上の雲」の3人の主人公の一人にされた。軍人である秋山兄弟とは立場が違うが、同じような角度で時代をみていたのではないか。そこで日清戦争では従軍記者を志願する。日露戦争のときには他界していた。d0067266_17525666.jpg
 漱石は、日清戦争のことはわからないが、日露戦争については、斜めからひややかにみていたように思う。「草枕」からそのにおいを嗅ぎ取ってきた。徴兵忌避をしたということは、最近知った。
 漱石は、「坂の上の雲」の原作では松山で子規が下宿に転がり込んでいた時代のことが出てくる。映画では、「大和魂」についての持論(「吾輩は猫である」に出てくる)をはいて、あとから謝るというような変な登場させられる。これは、子規の死後、高浜虚子が主宰する会で「猫」を読み上げたという事実から映画に組み込んだのだろうが、原作にはあるのか?謝ったのなら、出版した「猫」には組入れなかっただろうと思うが・・・。
 漱石は、のちに満州への旅行にでかけるのだが、それは、斜めに見ている漱石を、大学の友人である満鉄総裁・中村是公が「わしらがどんなすごいことをやってるか、見に来いよ」と誘い出したものではないか。
 ここまでは、確たるものをもたない私の、漱石や子規については子供時代の「偉人伝」レベルの知識に基づく印象である。

*「満韓ところどころ」を読みかけている。子どもの頃の「偉人伝」からの印象は、そうまちがっていないようだ。

2 「趣味の遺伝」を初めて読んでびっくりした。
 日露戦争で日本中が沸き立っているなかで、よくまあ、あそこまでかけたものだと思った。
 私たちは、戦前の時代に反戦・厭戦の小説は弾圧をうけるように思ってしまうが、与謝野晶子の「君死に給うことなかれ」は、家に石を投げられたとしても、官憲の弾圧をうけたわけではないから、おどろかなくてもいいのかもしれない。
 しかし、漱石が描く日露戦争、203高地のたたかいは、きわめて概念的である。芥川龍之介に「将軍」という小説があり、そこに203高地への突撃の白襷隊がえがかれる。芥川のほうが、はるかに人間の機微をえがいている。
 ぼくは、ここに漱石の限界を見る。「趣味の遺伝」のなかで主人公の「余」は、図書館へいくぐらいしかしない人間だと述べている。大変正直に自分の限界を述べているのは、漱石の偉さかもしれない。
 漱石の多くの小説に登場するのは、「吾輩は猫である」を例にとれば、学者(くしゃみ先生とその家族、寒月君)と親の財産でくらしている高等遊民(迷亭など)が中心になる。中学校の生徒、どろぼう、巡査、軽蔑の対象としての実業家(金田・鈴木君)もでてくるが中心的登場人物ではない。肉体労働者は「車屋」であるが教養のない軽蔑の対象でしかない。
 林田茂雄さんが「漱石の悲劇」という本に「漱石の作品の主人公の家は、どんなに落ちぶれても、ばあやを雇っている」という意味の指摘をしている。
 ばあやのいる家から学校と図書館に通う生活から見える世界が、漱石の世界だというのが、漱石の一面である。
 漱石の作品で、労働者を主人公に近い扱いにしたものがある。「工夫」である。炭鉱の仕事を手伝ったことのある学生が持ち込んだネタで学生の目を通して工夫を描いている。異色の作品である。
 この漱石の限界から、203高地の激戦は、概念的なものにとどまっている。漱石は、「余は、日露戦争に主眼を置いたのではなく、菊の花を持ってきた麗人を描いたのであるから、ケチをつけないでくれ」というかもしれない。

3 しかし、学校と図書館を行き来する漱石は、イギリスにも留学して、古今東西、万巻の書に通じた大学者である。哲学者・戸坂潤が、「岩波文化」「教養主義」という線上で、漱石の教養の高さというものを評価したことがある。
 だから、この人物は「時流に乗る」というような、安っぽさがない。日露戦争で日本中が湧き上がっていても、幸徳秋水のように戦争に反対するわけではないか、時流を冷ややかにみるという余裕をもっている。d0067266_17543766.jpg
 そこで「大和魂」を茶化しもするし、日露戦争を斜めに見る。
 和歌山での講演「現代日本の開化」が、前日の国威高揚の演説会に冷や水を浴びせたというのは、教養ある世界的視野を持った漱石である。

4 戸坂潤が言う「教養主義」あるいは「岩波文化」「漱石文化」というものは、民主主義の幅広い基盤であると思う。
 戸坂潤というのは、京都大学の西田門下から唯物論に進んだ論客である。西田学派が戦争に協力したといわれるが、それは、西田幾多郎の亜流ではないかと思う。西田幾多郎のものを読んでみると、観念論の枠内で、偏った考え方をきらう論評がある。そうでなければ、その門下から、三木清、戸坂潤、柳田謙十郎、務台理作といった唯物論(あるいはそれに近い)哲学者が出るはずがないと僕は思う。

写真は 戸坂潤

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# by saikamituo | 2012-10-06 17:43

日中平和のつどいでの挨拶2012

おはようございます。県連副会長・共産党県会議員の雑賀です。

今年は日中国交回復40周年の年でございます。そして、和歌浦の孫文と熊楠の出会いの地に念願の表示板もできました。d0067266_1640845.jpg
 一方では、尖閣諸島の問題など日中間には、難しい問題もありますし、日本も中国も国民が主人公と言える平和国家になるためには、まだまだ課題がたくさんあります。
 しかし、いまや日本にとっては中国は輸出も輸入も第一位の経済関係が一番深い国になっています。中国にとっては、日本が輸入で第一位、輸出ではアメリカに次いで第二位です。
 多くの課題を抱えながらも発展する中国と、どう友好関係を築くのかは日本にとって避けて通れない問題です。d0067266_16422190.jpg
 最近、日本共産党の志位委員長は日本の対外関係がどうあるべきかの「外交ビジョン」を発表しました。
 実は、私は今年の3月、大阪の中国総領事館を訪問して総領事と懇談いたしました。孫文・熊楠の出会いの地に標示板ができた記念集会に招待にあがったわけです。懇談の最後に、私は申し上げました。
「私たちは日中友好の基礎に日本国憲法9条を置きたいと考えています。二度と戦争をしないという憲法9条の立場に立てば、沖縄にアメリカの殴りこみ部隊の基地はいりません。1機100億円もする戦闘機もいりません。
日本の外交がその立場に立てば、中国も多額の費用をつかって軍事力増強する必要もなくなるでしょう。
 そうすれば、アメリカも日本も中国も、財政力の多くを、国民の生活向上のために振り向けることができます。
 本日の訪問をきっかけに、対等平等な日中両国の平和と友好を、さらに発展させたいと願うものです。」
日中間のむずかしい問題も外交的努力で解決することができる。これが、日本共産党の「外交ビジョン」であります。
対等平等の立場で日中友好運動をすすめてきた私たちの出番です。
ご一緒にがんばります。
ありがとうございました。

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# by saikamituo | 2012-08-16 16:30

あまりにひどい「放射線副読本」

あまりにひどい「放射線副読本」


1、このたび、文部科学省から「放射線副読本」というものが、各学校に送られてくるという話を聞きました。奈良県会議員・宮本次郎さんがブログで批判しているのを松坂県議が見つけて教えてくれたのです。
県教委の担当者にお聞きすると、昨年秋つくられ、文部科学省から各学校に見本がおくられ、希望を取って、来週にも送られてくるというものです。ほとんどの学校が希望したと言います。d0067266_1159367.jpg

2、「小学生のための放射線副読本」、「中学生のための…」「高校生のための…」の3冊とそれぞれの教師用指導書があります。どれもがカラー、上質紙で、「小学生の」は、18ページ、「中学生の」「高校生の」は、それぞれ22ページあります。教師用指導書は、細かくてもうすこしページがあります。

3 とりあえず「中学生のための放射性副読本」を開いてみましょう。
① 「はじめに」という文があってこの「副読本」の趣旨がかかれています。
 原発事故によって、放射性物質が大気中や海中に放出された。避難や出荷制限がおこっている。
 「放射線への関心や放射線による人体への影響などについて不安を抱いている人が多いと考え、放射線について解説・説明した副読本を作成しました」とかかれている。
② 「不思議な放射能の世界」(P3-4)「太古の昔から自然界に存在する放射能」(P5-6)は、「原爆や原発と無関係に放射線は活用されていること」「自然の中に放射線はある」という説明です。
 「原爆や原発で放射能は怖いものという思い込みがあるが、そんなことだけを考えるのは一面的だよ」ということをいいたいのでしょう。
③ 「放射線とは」「放射線の基礎知識」では、放射線の基礎知識がとかれます。ここではじめて「放射能」「放射性物質」ということばがでてきます。
 「ベクレル」「シーベルト」という単位の説明や、「半減期」の説明、「測定器」の紹介があります。
④「コラム 放射能・放射線の歴史」(p12)
 レントゲン、キュリー夫人などの放射能研究の歴史がかかれています。ところが、悪魔の兵器・核兵器につながったということにもふれていない。原爆の悲惨さも原子力発電所事故もどこにもないのです。
⑤「放射線による影響…外部被爆と内部被爆」(P13-14)
 ほんとうなら、ここは放射能・放射線の危険を説明しなくてはなりません。ところが、その内容は驚くべきものです。
 「放射線は体を通り抜けるため、からだにとどまることはなく」というのは、たしかにそのとおりですが、「そのことが人間の細胞に傷つける場合がある」という説明はありません。妊婦がレントゲン撮影をさけるのは、そのためではありませんか。
 「万一汚染してしまった場合は、シャワーを浴びたり、洗濯すれば洗い流すことができます」…そんな簡単なものでしょうか?
 「内部被爆を防ぐには、放射性物質を体内に取り込まないようにすることが大切です」と書いてあるだけです。そのために日本中が大騒動しているのではありませんか。
 挿絵が、なんともまあ、平気な顔で放射線をあびている女の子、放射線のはいった水を飲んでいる男の子。なんと無神経なのでしょう。
 さらに、ご丁寧に「体内・食物中の自然放射性物質」の詳しい説明。「原発事故がなくても、放射能はどこにでもあるんだよ」という最初にあった説明の繰り返しです。
 「出典(財)原子力安全研究協会「生活環境放射線データーに関する研究」(1983年)より作成」と丁寧に書いてくれているので、「お里が知れる」というものでしょう。
 その次の「放射線から身を守るには」というのが一番大事なところですが
 距離をおいたり、時間を短くしたり、へいしゃ物をおけば、「放射線をへらすことができる」(大丈夫・大丈夫という印象をあたえる記述)
⑥「放射線による影響…放射線量と健康との関係」(P15-16)
 「100ミリシーベルトの放射線をうけても、癌発生が1000人のうち300人が305人に増えるだけだ」しかも、「癌発生の原因は、いろいろで、喫煙・食事・食習慣・ウィルス・大気汚染など…これらと同様の原因の一つと考えられる放射線についても受ける量をできるだけ少なくすることが大切です」
⑦「くらしや産業での放射線の利用」(P17-18)
 またも繰り返して、放射線は役に立っているという説明です。
⑧ 「放射線の管理・防護」(P19-20)
 まず、平常は、原子炉のまわりはモニタリングされているから大丈夫ですという説明です。
 「非常時における放射性物質に対する防護」は、ひどいものです。全文紹介しましょう。
「原子力発電所や放射性物質を扱う施設などの事故により、放射性物質が風に乗って飛んで来ることもあります。
 その際、長袖の服を着たりマスクをしたりすることにより、体に付いたり吸い込んだりすることを防ぐことができます。屋内へ入り、ドアや窓を閉めたりエアコン(外気導入型)や換気扇の使用を控えたりすることも大切です。なお、放射性物質は、顔や手に付いても洗い流すことができます。
 その後、時間がたてば放射性物質は地面に落ちるなどして、空気中に含まれる量が少なくなっていきます。そうすれば、マスクをしなくてもよくなります。」
4 おそらくこの「副読本」は、原子力発電所を見学に行ったとき説明されることの焼き直しでしょう。福島原発で安全神話がくずれ、日本中が、原子力のあり方は、いままでのままでいいのかと模索しているとき、こんな副読本を子供たちに配ろうという文部科学省の神経は、どうなっているのでしょうか。
 しかも、その最後には、「編集委員」メンバーの名前がならんでいます。
 編集委員長は 中村尚司(東北大学名誉教授)副委員長は熊野善介(静岡大学教育学部教授)よくまあ、恥ずかしげもなく名前をならべたものだと思います。
2012年3月10日 さいか

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# by saikamituo | 2012-03-10 11:52