雑賀光夫の徒然草

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「レーニンの再検証」(聴涛弘)に出会って

「レーニンの再検証」(聴涛弘)に出会って         

    (一)
この本を共産党書籍部にたのんで取り寄せてもらって読み始めている。
 この本を読みたくなった理由は、どこかの広告に「なぜ、レーニンは憲法制定議会を解散させたか」という一項を見たからである。これを見たからには、読まずにはいられない。
 「憲法制定議会」というのは、1917年、10月社会主義革命直後に大問題になった案件である。10月革命以前に、選挙で選ばれた「憲法制定議会」は、形式民主主義からいえば、最も合法的な国民の代表であった。レーニンは、この「憲法制定議会」を尊重して、革命を推し進めようとした。しかし、その議会では、ボルシェビキ(レーニンが率いる社会民主党左派)は、少数である。一方、革命的統一戦線組織としての「労働者農民兵士ソビエト」というものが存在する。10月革命後の激動の情勢の中で、レーニンは、憲法制定議会を解散し、「全権力をソビエトへ」という選択をする。d0067266_23455732.jpg
 それが「憲法制定議会についてのテーゼ」であり、そのことについて「民主主義を踏みにじるもの」と攻撃をかけてきたカウツキーとの論戦の書が「プロレタリア革命と背教者カウツキー」である。ここで、プロレタリア・ディクタツーラをめぐる論戦がおこなわれる。「プロレタリア・ディクタツーラとは、法律に依拠するのではなく力に立脚する無制限の権力である」(不破論文で一面的と批判されたもの)という定式がでてくる。
「プロレタリア・ディクタツーラ」は、「プロレタリア独裁」と翻訳され、共産党の1961年制定の綱領にも、この言葉ではいっていた。若いマルクス学徒だった私たちにとって、はじめは理解しにくい言葉だった。1970年代に日本共産党は、「独裁」を「執権=ディクタツーラ」と訳し変え、さらに、「権力と同義語」だとして、党綱領から削除した。
20歳代だった僕は、この問題が「訳語問題」として提起されたとき、強く反発した。(不破論文が出て、やっと納得した)
そこで僕が主張したのは、レーニンが「プロレタリア・ディクタツーラ」に固執したのは、権力と同義ではないからだ。それは「革命的合目的性は、形式民主主義に優先する」という思想の表明だということだった。同時に、「今日の日本では、形式民主主義が革命的合目的性に優先することなどほとんどない」とも述べた。
レーニンの「プロレタリア・ディクタツーラ」は、よかれあしかれ憲法制定議会をめぐる論争に真骨頂があったというのが僕の理解だったし今もそう思っているが、レーニンの憲法制定議会についての態度について論評したものを、僕の不勉強のせいだろうが、見たことがなかったのだ。そこで、聴涛さんの著書の紹介に出会ったのである。
            (二)
年をとると、本を端からギチギチ読む根気がなくなるので、関心がある「憲法制定議会」の問題から読む。それにつづく、「ブレスト講和」(ロシア革命を守るためにドイツなど帝国主義国との屈辱的停戦講和をあえてした)、それにつづく「戦時共産主義」(日本のシベリア出兵なども含む干渉戦争とたたかいながら、無理をしながら共産主義政策を遂行した時期)についての、聴涛さんの叙述は、まさに「血みどろのレーニン」である。
若いころ、「レーニン全集」を読んでいて「我々は、シベリアで死ぬかも知れない。しかし、フランス革命のその後がどうであったとしても、フランス革命の歴史的意義が失われないように、我々が革命を始めたことの意義は失われない」というような意味の文章に出会って、衝撃を受けたことがある。学習会で「自分たちは、ロシア革命があったら、その後順調に発展したように思いがちだが、レーニン自身が、シベリアに逃げて死ぬかもしれないというほどの、大変なことだったんだ」と語ったこともある。しかし、聴涛さんのレーニンは、僕の理解していた以上の、「血みどろのレーニン」だった。

              (三)
本書の最後には、レーニン「国家と革命」「帝国主義論」の評価が論じられる。
「国家と革命」については、僕が関心を持つイタリア共産党創始者・アントニオ・グラムシとの関係で論じられているのがうれしい。
「国家とは、強制力の鎧をつけたヘゲモニーなのである」というグラムシの有名な言葉を紹介して、「教会・政党・労働組合・学校等々が国家概念に包括されるということになる。ここには論理の飛躍がある」とされる。
その脇に、僕は書き込みをした。「国家概念を支配体制と言い換えたら問題ないんじゃないか」と。

「帝国主義論」を論じた部分の圧巻は、「レーニン帝国主義論の真髄」(本書P269より)である。カウツキーの「超帝国主義」にかかわって、聴涛さんはいう。
「レーニンにとって経済的に『超帝国主義』が生まれるかどうかが問題であったのではない。…現におこなわれている強盗と略奪の帝国主義戦争に反対して闘わないカウツキー許せなかったのである」(本書P270)
レーニンは、「帝国主義のあとに資本主義の新しい段階、すなわち超帝国主義が抽象的に『考えられる』ということに異論をはさむことができるだろうか?いや、できない」と述べたことが紹介される。僕は、このことを全く知らなかった。出典は「ブハーリンの小冊子『世界経済と帝国主義の序文』(レーニン全集22P116-117)とある。
埃をかぶっていた「レーニン全集」を引っ張り出してページを繰った。「あった、あった」若いころ通読したつもりなのに、赤い線も全く入っていなかった。
こんな具合に、レーニン全集の出典に当りながら読んだものだから、「間違い」を発見した。本書P241にある引用文の「全集21」は「全集22」の誤記である。ただ、この部分は有名な「帝国主義論・序文」なので、よく知っている人は困るまい。
小さい本に問題意識をいっぱい詰め込んだものだから、叙述の不十分さは感じるが、最近めずらしく問題意識をかき立ててくれた本である。
                     2012年5月ごろ記す (完)

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by saikamituo | 2013-07-05 23:40