雑賀光夫の徒然草

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紹介「現代の哲学と政治」

紹介「現代の哲学と政治」
(岩波新書・ジョンサマヴィル著・芝田進午編訳)
志位委員長のアメリカ訪問にかかわって
(一)
 参議院選挙を前にして、街頭宣伝にでます。
…いま、最大の政治問題は、沖縄基地の問題です。
鳩山首相は「国外に移す、最低でも県外に、」とさかんに言っていましたが、いま鳩山首相が言っているのは、当面は今の基地をそのままにして、名護市の沖に杭を打ち込んで、新しい基地をつくり、一部を鹿児島県の徳之島に移す計画です。今、沖縄県では、自民党から共産党まで、すべての政党が、民主党の公約違反に怒り、先月25日には、9万人の県民大集会が開かれ(中略)
鳩山首相のあやまりはどこにあったのか。オバマ大統領と会って、「トラストミー」(を信じて下さい)などといって、アメリカも気に入るようなことを考える。沖縄県民の声を受けて、全面返還の交渉をしようとしないことです。d0067266_9532496.jpg
このたび、志位委員長など共産党代表団がアメリカを訪問し、「日米友好のためにも、普天間基地は全面返還しかないことをアメリカ政府に伝えました。そればかりではなく、アメリカ建国の精神とリンカーン大統領とマルクスの交流に触れて、アメリカ民主主義に訴えかけたのでした。…
このたびの志位委員長のアメリカ訪問、そこでアメリカ国民に訴えた中身は、大変深い思想的意味をもつものだと思います。
            (二)
私は、いま、若い人たちに読んでもらいたい一冊の新書本を本棚からとりだしました。標題にかかげた本です。1968年に出されたもので、私の蔵書には、「1971年3月30日―31日」と書き込んでいます。学校現場でいて組合青年部や民主青年同盟の活動をしていた時代です。65歳になったいまなら、新書本でも読みとおすのに一週間ぐらいかかりますが、「40年前には、二日で読んだんなあ」という感慨もわきます。読書は、若いころにこそすべきものです。インクで書き込みがあります。「マルクス主義とジェファソン主義は、共通の基礎に立ちうる!」
ジェファソンというのは、アメリカの第三代目の大統領ですが、アメリカ独立宣言起草に中心的役割を果たしたのです。独立戦争で大きな役割を果たした軍人のジョージ・ワシントンが第一代大統領になるのですが、アメリカ独立宣言の思想をジェファソン主義というのだそうです。この本ではじめて知って、本に書きこんだのでしょう。

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by saikamituo | 2010-12-14 21:20

魯迅と宮沢賢治

魯迅と宮沢賢治
 サラリーマン・宮沢賢治がテレビで紹介された。これまでにない新しい視角で、それなりに面白かった。童話を何度も書き直したということも紹介されていた。そこで久しぶりに宮沢賢治詩集をとりだした。
 宮沢賢治の詩というのは、わかりにくいのである。「雨ニモマケズ」というのは、分かりやすいから、宮沢賢治という人はそんな詩を書いた人だと思ってはいけない。岩波文庫の「宮沢賢治詩集」は、谷川徹三編集のものだが、そのかなりの部分を占める「春と修羅」などという詩は、僕には全く理解できない。「雨ニモマケズ」というのは、生前に発表されたものでなく、サラリーマン賢治の鞄の中の手帳に書きつけられていたもの。それが一番有名な詩になったわけである。
 一時、「もし私が先生になったら」というのがはやったことがある。 『もし私が先生になったら』 もし 私が先生になったら 自分が 真実から目をそむけていて どうして子供たちにあしたのことを語れるか・・・。 もし私が先生になったら 自分が 未来に目をそむけていて どうして子供たちにあしたのことを語れるか・・・。 (以下・略)
   作:作者不明(宮沢賢治とされているが違う)

 宮沢賢治だったら、こんな風に語っただろうということが、誰かが詩の形式で語ったもので、大変よくできている。一時、「宮沢賢治・作」ということで流れていたが、「賢治にそんな作品はない」ということになった。その論議の時、「本当の宮沢賢治なら、こんな平明な表現はしない」という専門家の意見があったが、僕もそうだろうと思う。ただ、この偽作は、それ独自の価値を持って、先生の在り方を語っている。宮沢賢治も「勝手に名前を使ってけしからん」とは、言わないのではないだろうか。
そんなころ、谷川徹三編集の賢治詩集を手にした。教育にかかわるもので「生徒諸君によせる」という詩がある。生徒諸君の中には多くの天才がいるとして、未来のダーウィンよ、コペルニクスよ、マルクスよと呼びかける壮大なスケールの詩である。「雨ニモマケズ」の素朴・平明さは、例外的である。

d0067266_1054859.jpg 宮沢賢治の晦渋な詩と平明な童話や「雨ニモマケズ」について考えているとき、もう一人の文筆家の名前が頭をかすめた。魯迅である。最近、「魯迅評論集」(岩波文庫・竹内好)をベッドに持ち込で読んでみた。この魯迅が、分かりにくいのである。「私は人をだましたい」などという文がある。魯迅の「故郷」というのが好きだった。「故郷に帰ってきて、幼馴染に昔のように声をかける。ところが幼馴染は、『旦那さま』といって、その息子にまで頭を下げさせる。そこに作者は矛盾を感じる」という、平明な内容で、「はぐるま教材」にはいっていた。
 平明さと晦渋さをあわせもつ賢治と魯迅。そこに彼らが生きた時代の反映があるのではないかと思うのである。

 ベッドでの読書の最たる友は、夏目漱石、とくに「吾輩は猫である」である。
先日、中学校のころから読んだ文庫本がぼろぼろになったので、岩波文庫の一冊を買って、今も枕元においている。d0067266_1062826.jpg
 魯迅と漱石というと「私の読書法」(岩波新書1960年)を思い出す「「図書」に掲載されたものをまとめたものだ。高校生の時、海南高校図書室で手にした。その中で大内兵衛さんは「このごろの読書」として、「寝床で漱石と魯迅を読んでいる。魯迅はえらすぎる。」という趣旨のことを書いておられたのを記憶していた。
 改めてひもといてみると、「夜中に目が覚める。2・3時間読書することもあるが、たいていは10分間で寝てしまう」とある。「10分間で寝てしまう」だけは一緒だとうれしくなる。50年前の大内先生にちかづいたようでうれしくなる。
 
 作品に大きな違いをもつのに違和感を持ったもう一人の作家が太宰治である。「人間失格」と「走れメロス」はどうして同じ作家の作品となれたのだろうか。
ここに、その時代を生きた作者の屈折があるのではないかと思うのである・

2010年5月23日

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by saikamituo | 2010-12-14 21:18