雑賀光夫の徒然草

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グラムシから「経済学哲学草稿」へ

グラムシから「経済学哲学草稿」へ
さらに田中吉六から僕の原点への旅

1 グラムシに引かれて「経済学・哲学草稿」へ

 竹村英輔「グラムシの思想」を読んで「(グラムシの見解は)しばしば、自然の先位性の否定のように引用されたが、人間の認識の歴史的社会的相対性の否定に対する詰問として…理解すべきではないか」として、「人間がなかったとしたら、という仮説が成り立たぬことを指摘しているという意味で、むしろマルクスの『経済学哲学手稿』(岩波文庫P146-147)の指摘と共通であり…」との指摘にぶつかった僕は、「経済学・哲学草稿」の岩波文庫版を買わなくてはならないことになった。
 県庁まえの宇治書店で取り寄せて手元にとどいた。「城塚登・田中吉六訳」となっている。「田中吉六」というのは、在野の異色の理論家である。戦後民科に結集していた「正統派」マルクス主義哲学者とは一線を画し、三浦つとむなどと親交があり、物理学者・武谷三男を尊敬していた。「経済学・哲学草稿」に沈潜して「主体的唯物論」を主張した人だということは知っていた。
さっそく「P146-147」をくってみる。 
 「…すなわち君がさらにだれが私の父を産み、だれが父の祖父を産んだのか、などと問いつづけでいくような無限の進行にだけ注目してはならない。君はまた、あの進行のなかで感覚的に見てとることができる循環運動をも、すなわちそれにしたがえば人間が生殖において自己自身を反復するところの、したがって人間がつねに主体としてふみとどまるところの循環運動をも、しつかりつかまなければならない。……君が白然と人間との創造について問う場合、君は人間と自然とを捨象しているのだ。君はそれらを存在しないものとして措定しておきながら、しかもそれらを存在するものとして私が君に証明することを君は要求しているのだ。そこで私は君にこう言おう、君の捨象をやめたまえ、そうすれば、君はまた君の問いをもやめるだろう。それとも君が君の捨象に固執しょうとするなら、首尾一貫したまえ。そして君は人間と自然とを存在しないものとして考えながら、考えを進めるのなら、君もまた自然であり人間であるのだから、君自身を存在しないものと考えたまえ。…」
 何のことだかさっぱり分からない。竹村英輔氏に導かれてこの文章にたどりついた経過からみれば、「人間がいない自然など考えることが無意味だ」ということにつながるのだろうか。
僕は「経哲草稿」をあちこちひっくり返してみるが、さっぱりわからない。理解する手がかりになる解説はないのだろうか。

2 田中吉六とその周辺

 そこで僕は、田中吉六の著作を買っていたのを思い出した。「マルクス、再出発」(三交社1975年刊)である。東京には、古本ではない新本だが本屋で売れ残って返本になった本を安い値段で売る店がある。そんな書店で買ったもので、定価1500円の本に250円のシールを貼っている。もう一冊「史的唯物論の成立」(1949年理論社刊、1971年季節社再刊900円)は、300円のシールを貼っている。
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 私は、歯が立たない難解な古典に近づくために次のようは方法をとっている。
 「岩波文庫」で先に引用した「P146-147」の欄外に「竹村『グラムシの思想』p225」と記入しておく。実際にはもっと簡略に「竹グp225」とする。「竹村『グラムシの思想』p225にこの箇所についての論及があった」という意味である。
 こんどは、「マルクス、再出発」の田中の講演に引用されているものをマルクスの原本にあたって、欄外に「田中P18」など書き込んでいくのである。
 堀江正規さんの「文章の読み方」にも「経済学・哲学手稿から」として「意識的生産と美の法則にもとづく創作」と表題をつけた文章の解説があったのを思いだした。それを開いてみたが「マルエン全集第40巻」というだけで、ページが示されていない。これでは探しようがない。ところが、「マルクス、再出発」に同じ文が引用され、ページが示されている。さっそく探して、欄外に「堀江178」「田中50」と書き込む。さらに「文章の読み方」の該当箇所に「岩波P96」「田中・再出発p50」と書き込むわけである。
 書き込みはつづく。「ドイツイデオロギー」(岩波P37)「人間相互の間にはひとつの唯物論的つながりがあって、これは欲望と生産様式とによって制約され、そして人間と同じように古いのである」という箇所の欄外にも、「田中P41」と書き込む。

 田中吉六は戦後直ぐの時代に、一定の注目を浴びた理論家である。1970年代に突然生き返ったように「左派」学生(ブンド派)の中で講演してまわる。その講演には、僕にとって懐かしい名前がでてくる。
・ 武谷三男……湯川・坂田とともに「素粒子論グループの三羽烏」といわれた物理学者。最近の日本の物理学者のノーベル賞受賞にかかわって、マスコミにも湯川・坂田の名前はよくでるが、武谷の名前があまりでてこない。不破さんがこの問題にふれるときには、正当に評価している。
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武谷三男
・ 三浦つとむ……僕が高校時代に一番よく読んだ「哲学者」。共産党では神山茂夫(志賀義雄とともにソ連に追従して分派)に近く、神山よりも先に党を離れる。「日本語とはどういう言語か」という本が講談社文庫ででている。早くからスターリン批判をしていた点では、先駆性をもつ。
・ 梅本克己……「人間論」「マルクス主義における思想と科学」などの著作を持ち戦後活躍した「主体的唯物論派」といわれた理論家。緻密な理論家で、三浦つとむ批判では、この方の批判で納得した。
・ 黒田寛一……トロツキスト学生の大御所である。
・ 広松 渉……ドイツイデオロギーの原文に近い翻訳をした。その翻訳をめぐっては服部文男氏などから批判があり、新訳が出されている。広松訳についても、最近、「岩波文庫」(ワイド版)が出ている。

 田中吉六の論争の対象は、三浦つとむ、黒田寛一、広松渉、梅本克己などにかぎられる。古在由重、芝田信午、寺沢恒信などことのついでにふれられるだけである。田中に言わせと戦後「民科」に結集した民主的哲学者、マルクス主義・科学的社会主義の学者は、話にならない、論争相手にする必要もないという調子で、「左翼」学生の中でとくとくと講演しているわけである。
そんな田中の講演を、「経済学哲学手稿」を読み解く手引きにするなんて、僕もかわりものだなあと思う。

4 河合栄治郎教授の登場

 田中吉六が、河合栄治郎が「経済学哲学手稿」についての「書評」を昭和2年の東大経済学部「経済学論集」に載せているとして、評価しているのをみつけてびっくりした。(「マルクス、再出発」P149)
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                  河合栄治郎
 僕のマルクス主義への接近途上で、忘れることができない一人が、河合栄治郎教授なのである。僕の本箱には「マルキシズムとは何か」「学生に与う」(「現代教養文庫」)がある。
 「学生に与う」という本は、学生の思想善導(赤化防止)のためにかかれたものである。「マルキシズムとは何か」の中で、河合教授は大要次のようにのべている。
 「東大、法経学部には、3000人の学生がいるが、7割は何の目的ももたない酔生夢死の徒である。あとの3割のうち、1割がマルクス主義に近い、1割人が自由主義的、1割が右翼的学生である。その中で1割のマルクス主義的学生が頭脳も優れた人格の立派な学生だということが心配だ。」(「マルキシズムとは何か」P19)
 この文章は、同じく反マルクス主義の小泉信三が「私とマルクシズム」の中で、野呂栄太郎の思い出を敬意をこめて書ていることも思い出させる。
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                  小泉信三
 反マルクス主義の立場で学生の「思想善導」につとめた河合栄治郎教授は、その後、その自由主義的思想のゆえに、官憲の弾圧を受けることになる。
 河合教授と僕の出会いは、海南高校の「どんぐり会」の一員だったころだった。マルクス主義とちがったものも読まなくてはバランスを欠くと言う思いから読んだ。柳田謙十郎さんの「わが思想の遍歴」は、西田哲学からマルクス主義への思想遍歴を述べた名著だが、「わが思想の遍歴」によく似た表題の著作で「わが精神の遍歴」(亀井勝一郎)がある。これは僕にとってはやっかいな本だった。亀井勝一郎は「東大新人会」という左翼学生のメンバーだった。自分としては無理をして左翼学生をつづけるのがしんどくなっているときに逮捕されて転向してすっきりしたということらしい。僕も、部落子ども会にとけこめず、「左翼であることに自分は無理をしてるんじゃないかな」と学生時代思ったとき、亀井勝一郎を思い出したものである。
 河合栄治郎の「マルキシズムとは何か」亀井勝一郎の「わが精神の遍歴」は、マルクス願望の青年だった僕を、うしろから引き止めるものだった。
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                        亀井勝一郎

5 おわりに

 グラムシから「経済学哲学草稿」、そして田中吉六を読んで、思いつくことを書いてきた。これは僕の青春の思想遍歴の思い出である。
 ところで、河合栄次郎や亀井勝一郎から後ろからひっぱられ、新左翼・社会主義学生同盟からオルグされてはゆらぎ、構造改革派(統一社会主義同盟)にもゆらぎ、いろいろ揺らいだ僕が、人生の方向を決断したのは、大学一年生の夏休みに古い海南教育会館での中山豊先生との出会いだった。
 とつとつと語る中山先生のお話を聞きながら、「僕は大学に入ってすごく世界が広くなったように思っているが、あの学生たちは地域に帰ってその思想を通せるのだろうか」という疑問がわいた。
これが、わたしの人生を決め、いま共産党県会議員をさせていただいている原点なのである。(2009/07/24原稿を3分の2に圧縮)

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by saikamituo | 2009-07-28 21:55