雑賀光夫の徒然草

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不破さんの「古典への招待」〔上〕)を読んで

不破さんの「ドイツ・イデオロギー」解説(古典への招待〔上〕)を読んで
(一)「ドイツ・イデオロギー」を買いあさった私

 私は、たくさんの翻訳を買いあさった本が二つあります。一つは「資本論」。岩波・青木・大月・国民文庫・新日本・あゆみ・初版(国民文庫)・フランス語版(林直道)・フランス語版(法政)・それにドイツ語版・英語版です。
いまひとつはマルクス・エンゲルス「ドイツ・イデオロギー」です。マルクス・エンゲルスの思想形成を解明するには、欠くことのできない労作だとされていますが、マルクス・エンゲルスの生前には出版されなかったものです。
 岩波文庫版(古在由重訳)、国民文庫版(真下信一訳)。さらに「マルクス・エンゲルス全集」を古本屋で見つけて買い足していったので、その「第三巻」を手にしています。
しかし、これらの翻訳の底本は「アドラッキー版」といわれ、それは「偽書だ」ということを私が初めて知ったのは、広松渉という方が書いた文章からでした。アドラッキーという編集者が、マルクス・エンゲルスの草稿から、当時の史的唯物論の理解にそって、張り合わせた編集で、「マルクス・エンゲルスの著作とは言えない」というのです。
 広松渉さんいついては、いろいろな評価がありますが、私は、広松渉さんが編集・翻訳した「ドイツ・イデオロギー」訳本に関心をもっていました。「ドイツ・イデオロギー」は、マルクス・エンゲルスの生前には出版されず、原稿の紙束として残されました。それも、半分に折った紙の左に書き込んだ原稿に、右側に書き込みがあるなどの複雑な原稿です。ですから、普通の翻訳では再現できないのです。広松版というのは、箱に入ったドイツ語・日本語の二巻本。しかも、左右見開きの右側は、贅沢な余白を空けて、原本の忠実な再現を図っているのです。東京の古書店で、「広松版」を見つけ、値段が高かったので逡巡した末に買いました。
 その後、「前衛」誌上に、「ドイツ・イデオロギー」の新訳が掲載されました。(1995-6年)それが服部文男訳でした。その後、「草稿完全復刻版・ドイツ・イデオロギー」(渋谷正 編・訳)(新日本出版社1998年)が出版されました。「渋谷訳」というのは、箱入りの二冊本。ドイツ語の原文はないかわりに、ものすごく詳しい「注釈」が本文と同じ厚さの一冊になっているのです。もう一つの特徴は、左右見開きを広松版のようにとっていて、マルクスの悪筆の部分が、(エンゲルスはきれいな字を書くが、マルクスは悪筆で知られます。)ゴジック体の活字になっています。その分量は、大変少ないことが分かります。このころ私は「広松先生がんばれ、服部先生がんばれ」というようなちゃかした文を書いて、自分のHPにものせていると思います。

(二)不破さんの「古典への招待」の衝撃

 ここまで述べたように、「ドイツ・イデオロギー」の翻訳を買いあさった私ですが、とても歯の立つものではありませんでした。
 そこで出会ったのが、不破さんの「古典への招待」(上)でした。2008年2月の出版です。マルクス・エンゲルスの古典解説なのですが、その圧巻が「ドイツ・イデオロギー」解説のように思います。そのことは、ページ数でも他の古典解説の二倍のスペースを割いていることからも伺えます。不破さんがいう、マルクス・エンゲルス・レーニンを「現在進行形で読む」、その発展・理論的進化の過程を追って読むという方法は、「ドイツ・イデオロギー」のような著作でこそいっそう光ります。
 さらに、その解説の最後で、「ドイツ・イデオロギー」の到達を、その後の重要な著作である「経済学批判・序説・序論」と対照表をつくって解説するのには、あっと驚く思いをしました。こんな解説をした人は、これまでなかったのではないでしょうか。
 最初に「招待」の解説を読んで、古典の文章にあたろうと「渋谷訳」をとりだしたのですが、不破さんの解説が、「渋谷訳」のどの部分に当たるのか分からないのです。そこで私は、不破さんの解説に使われている「新訳・ドイツ・イデオロギー」(服部文男 監訳)を買うことにしました。「前衛」連載訳をベースに1996年に出版されたものです。
 服部文男先生の解説も、広松渉さんの「物象化論」と「疎外論」の関係など、大変興味深いものです。「広松版は…技術的には原本に近い形を再現していますが、『ドイツ・イデオロギー』エンゲルス主導説…という独特の解釈が翻訳に反映していますので、一般読者向けではありません」(P125)というのは、どういうことでしょうか。先に「渋谷訳」で述べたように、マルクスの悪筆(訳文ではゴジック)の部分は、大変少ないのです。共同討議したものを、字が上手だったエンゲルスが書いたというのが、服部先生のご意見なのでしょうか。
 不破さんの解説を導きの糸にしながら、「服部訳」のフォイエルバッハについての「四つの草稿」のうち最初に書き下ろしたという第二草稿を不破解説の7つの区切りにそって、赤鉛筆で区切りをいれたところです。それと「渋谷訳」と付き合わせる作業を始めています。そうすると、「渋谷訳」に入っているが、「服部訳」では省かれている部分がたくさんあることが分かります。マルクス・エンゲルスが線を引いて抹消した部分です。その中には、不破さんが解説の中で「服部訳にははいっていないが、大事な部分だ」といって、わざわざ「渋谷訳」から引用して紹介した部分もあります。
 こうした作業をして思うのは、原文を忠実に訳出した研究者用の「渋谷訳」とくらべて、「服部訳」がすごく読みやすく整理されているということ。アドラッキー版の「偽書」といわれた整理でなく、原文にそった、しかも研究者でない私たちにでも読める翻訳ができたということでしょう。不破さんは、読みやすい「服部訳」をテキストに解説しながらも、研究者版の「渋谷訳」に目を通しているのだから、すごいものです。
 もう一つ思うのは、不破さんの解説も、ページ数をとって解説していると言っても、7つの区切り一つ一つをみると、きわめて簡略な解説になっていることです。「解説を読んで古典を読んだ気になってはいけない」ということを考えさせられます。
 服部先生も広松先生も亡くなられました。先学の研究によりながら、マルクス・エンゲルスの思想形成を追ってみられたらと思いますが、県会議員としての忙しさの中ではままなりません。暇ができるころには、こうした意欲が残っているでしょうか。あの年齢で知的作業ができる不破さんは、すごいものです。

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by saikamituo | 2008-03-27 21:55