雑賀光夫の徒然草

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雲南省対外友好協会訪問

雲南省人民対外友好協会を訪問して

歓迎のことば
      雲南省人民対外友好協会 周紅 常務副会長
雲南省対外人民委員会は、先日も千葉県から友好代表団を迎えました。和歌山からの代表をお迎えするのは初めてのことです。一週間に二つものお客さんをお迎えして大変うれしく思います。雲南省の麗江市は岐阜県の高山市と、昆明市は神奈川県の藤沢市(音楽家・聶耳がなくなった町)と姉妹都市の関係を結んでいますが、まだ和歌山県とはそういう関係がありません。これから友好関係ができていけばいいと思います。
(このあと、雲南省の概況…地理的条件や産業、経済発展とともに中国のなかでも発展の遅れた県であること、貧困層が200万人もいることなどを含めて…説明)


友好訪問団のあいさつ
             日中友好訪問団長 雑賀 光夫

雲南省対外人民友好協会、周紅さん、石林さん。お会いできて大変うれしく思います。
私たちは、日中友好協会和歌山県連合会、海南支部の代表です。何回も中国への友好訪問をしていますが、雲南省訪問は、はじめてのことです。
私たちはこのたびの訪問で、昆明、麗江、大理の世界遺産などを訪ねました。また、雲南省科学技術協会の顧問である謝文明先生から、この地方での近代の戦争の歴史について伺いました。今日、このあとは西山森林公園の聶耳(ニエアル)先生(義勇軍行進曲など作曲)のお墓参りもすることになっています。
日中友好協会は、日中国交回復(一九七三年)以前から、日中両国人民の友好にとりくんでまいりました。海南市には、「日中両国平和の塔」があります。一九七二年に、市民の募金で建てられました。毎年、八月十五日には、この塔の前で「平和のつどい」が開かれます。
日中両国の歴史には、友好とともに不幸な歴史があります。そのひとつは、日中戦争、日本帝国主義による中国への侵略戦争でした。私たちは過去の誤りに決して目をそむけてはならないと考えています。同時に、その時代にも侵略戦争に反対した人たちもいました。日本共産党を中心にした人たちです。
戦争が終わったとき、日本国民は二度と戦争という過ちを繰り返さないことを決意しました。それが平和憲法、憲法九条です。私たちは、憲法九条を守る運動を進めています。
日中友好のもう一つの断絶は、中国の文化大革命の時代でした。対等平等の友好運動をすすめようとした私たち日中友好協会は中国の公式代表とはお会いすることもできなくなりました。しかし、中国人民のみなさんとはいつか友好関係を回復できると信じてきました。
今日、そのことが実現できたことを大変うれしく思っています。以前の訪問で、中国の小学校を訪問して日本と中国の子どもたちの絵を交換して展示会を開いたこともあります。
和歌山県には、中国とのゆかりの地がたくさんあります。徐福が不老不死の薬を求めてやってきたという伝説があります。また孫文先生は、和歌山市に来られて南方熊楠という学者と語り合った地があります。その和歌浦に記念碑をたてようという運動を進めています。
日本と中国、和歌山県と雲南省の友好をいっそうすすめていきたいものです。みなさんも日本においでになれば、和歌山におこし下さい。
本日は、こうした会合の機会をもっていただいてありがとうございました。
(この後、記念品として黒江漆器の「ついたて」を贈りました)

(周紅副会長)今日、雑賀団長さんの熱意ある話をお聞きしました。雲南省と和歌山県の友好関係がすすめばうれしいと思います。和歌山のみなさんに、雲南省においでいただけるようにお伝えください。
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by saikamituo | 2007-11-17 00:15

日中友好協会について

日中友好協会について紹介
         訪問団顧問   橋爪利次
大変ご多忙のなか、ご歓迎をしていただき感謝します。日中友好協会の歴史についての自己紹介を申し上げます。
 日中友好協会の創立は一九五〇年。創立の主役として重慶の日本人反戦同盟の指導者の鹿地亘さん、上海内山書店の内山完造さんが活躍されました。お二人は魯迅の友人です。侵略戦争に反対して投獄され、敗戦で出獄した日本共産党の幹部、また地方の共産党員、民主人士たちが大きな役割を果たしました。日中友好、アジアの平和、日中国交回復実現をかかげたこの運動は創立早々からアメリカ占領軍、日本官憲の激しい弾圧をうけましたが、日中友好と交流は二千年の歴史があり、一部大企業の経済的要求も加わり、運動は国民的運動の広がりをみせました。
ところが突然、中国に文化大革命が発生し文革支持を求めてきて、それに同意しないわが協会と日本共産党にたいする激しい攻撃が行われました。このとき教会内の一部の役員と会員が文革四人組に追随した文革派日中の別組織を作り、華僑青年をかじえた日本紅衛兵舞台による真の日中運動の活動家に暴力的攻撃が行われました。私は当時、本部事務局長でしたが、本部は相当大きな建物内にありましたが、三年間にわたり昼夜にわたる攻撃が続き、事務所は大きく破壊され、一時は常駐者は監禁状態になり暴力にさらされ食事も水も断たれました。私たちを救援しようと、かけつけてきた人たちは紅衛兵の暴力を受け、事務所内と救援者の負傷者は数百人。だが警察もマスコミもこの大事件を黙殺しました。
私は監禁状態のなかでラジオで、私と一九六五年に親しく4時間も懇談した彰真北京市長ら革命の功労者が相次ぎ逮捕され、かつて食事をともにしたことのあった「義勇軍行進曲」作詞者の田漢先生も受難されたと聞き、涙が出る思いがし、ご無事を祈りました。
 中国共産党が文革の誤りについて総括をし、しばらく年月がたって関係中断中の日中両共産党、日中両友好協会の関係正常化が実現しました。私は関係正常化後の最初の本部訪中団に加わりましたが、中日友好協会幹部との懇談の仲で、中国の幹部たちもみんな文革で被害を受けた話を聞きました。文革の被害では共通しているとの思いを抱きました。
 私は入会して五五年。長い夢であった雲南訪問が実現し、こうした歓待を受け感無量の思いです。今後の交流の発展を心から期待いたします。本日はありがとうございました。

(周紅副会長)橋爪会長さんのお話をお聞きしまして、橋爪さんのような方は、歴史の証人だと思いました。ありがとうございました。
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by saikamituo | 2007-11-17 00:14

雲南省対外友好協会訪問

雲南省人民対外友好協会を訪問して
歓迎のことば
雲南省人民対外友好協会 周紅 常務副会長
雲南省対外人民委員会は、先日も千葉県から友好代表団を迎えました。和歌山からの代表をお迎えするのは初めてのことです。一週間に二つものお客さんをお迎えして大変うれしく思います。雲南省の麗江市は岐阜県の高山市と、昆明市は神奈川県の藤沢市(音楽家・聶耳がなくなった町)と姉妹都市の関係を結んでいますが、まだ和歌山県とはそういう関係がありません。これから友好関係ができていけばいいと思います。
(このあと、雲南省の概況…地理的条件や産業、経済発展とともに中国のなかでも発展の遅れた県であること、貧困層が200万人もいることなどを含めて…説明)


友好訪問団のあいさつ
日中友好訪問団長 雑賀 光夫
雲南省対外人民友好協会、周紅さん、石林さん。お会いできて大変うれしく思います。
私たちは、日中友好協会和歌山県連合会、海南支部の代表です。何回も中国への友好訪問をしていますが、雲南省訪問は、はじめてのことです。
私たちはこのたびの訪問で、昆明、麗江、大理の世界遺産などを訪ねました。また、雲南省科学技術協会の顧問である謝文明先生から、この地方での近代の戦争の歴史について伺いました。今日、このあとは西山森林公園の聶耳(ニエアル)先生(義勇軍行進曲など作曲)のお墓参りもすることになっています。
日中友好協会は、日中国交回復(一九七三年)以前から、日中両国人民の友好にとりくんでまいりました。海南市には、「日中両国平和の塔」があります。一九七二年に、市民の募金で建てられました。毎年、八月十五日には、この塔の前で「平和のつどい」が開かれます。
日中両国の歴史には、友好とともに不幸な歴史があります。そのひとつは、日中戦争、日本帝国主義による中国への侵略戦争でした。私たちは過去の誤りに決して目をそむけてはならないと考えています。同時に、その時代にも侵略戦争に反対した人たちもいました。日本共産党を中心にした人たちです。
戦争が終わったとき、日本国民は二度と戦争という過ちを繰り返さないことを決意しました。それが平和憲法、憲法九条です。私たちは、憲法九条を守る運動を進めています。
日中友好のもう一つの断絶は、中国の文化大革命の時代でした。対等平等の友好運動をすすめようとした私たち日中友好協会は中国の公式代表とはお会いすることもできなくなりました。しかし、中国人民のみなさんとはいつか友好関係を回復できると信じてきました。
今日、そのことが実現できたことを大変うれしく思っています。以前の訪問で、中国の小学校を訪問して日本と中国の子どもたちの絵を交換して展示会を開いたこともあります。
和歌山県には、中国とのゆかりの地がたくさんあります。徐福が不老不死の薬を求めてやってきたという伝説があります。また孫文先生は、和歌山市に来られて南方熊楠という学者と語り合った地があります。その和歌浦に記念碑をたてようという運動を進めています。
日本と中国、和歌山県と雲南省の友好をいっそうすすめていきたいものです。みなさんも日本においでになれば、和歌山におこし下さい。
本日は、こうした会合の機会をもっていただいてありがとうございました。
(この後、記念品として黒江漆器の「ついたて」を贈りました)

(周紅副会長)今日、雑賀団長さんの熱意ある話をお聞きしました。雲南省と和歌山県の友好関係がすすめばうれしいと思います。和歌山のみなさんに、雲南省においでいただけるようにお伝えください。
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by saikamituo | 2007-11-17 00:12

お礼の言葉

お礼の言葉
     和歌山県訪中団副団長  光吉 敏郎
雲南省対外人民協会のみなさん、こんにちは!
本日は大変忙しい中、日中友好協会和歌山県訪問団一同を快くお迎えくださり、経済・文化・歴史など多方面にわたって親しく懇談する機会を得ることが出来ましたことに心から厚くお礼も申しあげます。
 二〇世紀は中日両国人民にとって「戦争」という不幸な時期もありましたが、私たちはこれを教訓として二一世紀が世界人民にとって平和で幸福な世紀となりますよう、がんばっていきたいと思っております。
 本日はどうもありがとうございました。
 前事不忘 后事之師(過去にあったことを忘れず、未来への教訓としよう)
     
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by saikamituo | 2007-11-17 00:07